あらすじ
精神の病態を一時的な疾患としてではなく人生全体の示す歴史的な歩みとして位置づけ、独自の思想を重ねてきた著者の代表的論考のかずかず。自己と他者の「あいだ」の病態として捉えられてきた分裂病を、「時間」の病態として、現象学的な思索を展開する。とりわけ鬱病者の“あとのまつり”的体制に対し、分裂病者が“前夜祭”的な時間体制をもつという新しい構図は世界的に大きな波紋を広げた。他者や世界との「あいだ」、自己自身との「あいだ」の歴史性における患者の生のあり方を追究した本書は、精神病理学と哲学を自由に横断する独創的な学問的達成であるといえよう。
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Posted by ブクログ
ちくま学芸文庫 木村敏 「自己・あいだ・時間」
精神科医である著者が「時間」「あいだ」「自己」の概念など 現象学を用いて、躁鬱病と分裂病(統合失調症)の特徴を解明した本。現像学だけで 診断確定していることに驚く
印象に残ったのは、鬱病の「後の祭り」的性格と 分裂病の「先走り」的性格の違い。鬱病と分裂病では時間感覚が全く違う
まえがき「人間が人間であること、自己が自己自身であることは、人間が歴史的存在であり、自己が時間的存在であって、はじめて可能になる」という言葉は この本の命題になっているように思う
「躁鬱病は、人間である限り、だれしもその危険と可能性を有している、一つの人間存在様式である」
自己とは
ノエシス的な差異化のいとなみが、それ自身と差異の相関者としてのノエマ的客体を産出し、ノエマ的客体を媒介としてそれ自身をノエシス的自己として自己規定する、差異の動的構造のこと
時間とは
空間内における物の変化や移動を通じて外部的に与えられるものでなく、生命活動そのものの自己示現として意識に直接内部的に与えられる一種のはたらきであり、それ自身とのあいだに絶えず内的差異を形成しつづけるはたらきである
鬱病妄想のポストフェストゥム(後の祭り)的性格〜分裂病妄想のアンテフェストゥム(先走り)的性格
ノエシス的
無規定的、直接的、前述語的ありかたを持っている
ノエシス的自己
本来それだけでまだ「自己」といえない個別化以前・自己以前の根源的で無限定な自発性であり、「みずから」がそこから分離・差別されて出てくる源泉としての純粋自然の純粋述語的なはたらきである
ノエマ的自己
ノエシス的なはたらきが「自己」の自覚へと向けられたとき、そのつどそこから析出してくる主語的なものとしての自己である
エンドン
人間の根源的な存在様式〜人間が自然的、心的、身体的につくりあげているという事実、そのつくられ方とを告知するもの
あいだ
他者との出会いを可能とする場所であり、診察者と病者がともに主体的に生きることによって共有される間主観的な作用の場