あらすじ
「知の巨人」、はじめての戦争本。
「長崎という街に自分が生まれ、そこが世界で二番目に原爆を落とされた
という事実は、僕の人生に大きな影響をもたらしました」
被爆の記憶を後世に残すために、日本人は何をすべきか?
北京からの引揚体験、原水禁運動に打ち込んだ若き日・・・。
ヒロシマ、ナガサキ、アウシュビッツを通して、いま伝えておきたいこと。
【目次】
<第一章 少年・立花隆の記憶>
焼け跡の残骸が遊び場だった/DDTと給食の脱脂粉乳/あのころのリアルな日本 など
<第二章 「戦争」を語る、「戦争」を聞く>
カンパを募ってイギリスへ/なぜ「運動」をやめたのか/戦争体験を語り継ぐ/
戦争非体験者とのギャップをどう埋めるか など
<第三章 おばあちゃん引き揚げ体験記>
<第四章 敗戦・私たちはこうして中国を脱出した>
いま戦争を語ることについて/母、太平洋戦争開戦の報を聞く/
玉音放送を聞いた日/窓から見た広島は焼け野原 など
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
戦争の記憶を後世にどう残すのかは難しい。どうしても個人の記憶は一人よがりに陥りやすいし、客観性にも欠ける。
けど、あの時代に生きた国民一人ひとりの記憶は決して蔑ろにされるべきではない。ここにあるのは立花一家の引き揚げ体験が中心だけど、そうだったんだと思わされるものがたくさんだ。母親と兄とで捉え方が違うところもおもしろい。こういった試みを急がないといけない。戦争体験者は90代なのだから。
Posted by ブクログ
立花隆の戦争体験。家族と共に戦争体験を語る。
戦後70年が経過して戦争体験の語り手が少なくなってきた。戦争の悲惨さを次の世代に語り、その経験を次の世代に受け継ぐことは、体験者の使命と考えている。この本では、著者自身の経験と母親や兄弟達と語り合った対談の内容を紹介する。
長崎生まれの著者は、幼時に中国に渡り戦争が終わるまで北京に滞在した。戦争終結とともに日本に帰国するが、その行程と帰国後の生活は大変だったようだ。同じ中国でも北京と満州では状況が違っており、北京は蒋介石の意向で比較的安全に引き上げたようだが、満州は厳しかったらしい。母の故郷へ帰る道程で聞いた新型爆弾の話や、終戦直後の色々なエピソードについて語り合う。対談で家族が歳を取ると共に記憶も曖昧になっているが、共通して記憶に残る出来事については話も弾むようだ。一つのテーマで家族で話し合うことは、普段の生活ではあまり無いが、戦争体験に限らず先人の経験を聞いておくことは、後々役に立つこともあると思う。
因みに自分の父も中国・大連生まれで戦時中に帰国したらしい。当時の事についてあまり語らないが、帰省した時に聞いておきたいと思った。