あらすじ
久石譲が綴った「文字になった音楽」。
宮崎駿監督や北野武監督の映画音楽の作曲家として知られる久石譲氏は、コンサートのチケットは発売と同時に完売、作曲した曲は中国、台湾などのアジアをはじめ、ヨーロッパなどでも演奏される名実ともに日本を代表する音楽家です。
その久石氏が、クラシック音楽を中心に、音作りや演奏活動から発想の源や思索の原点などについて執筆。特に近年、力を入れているクラシック音楽の作曲と指揮については、その難しさを含め、楽しさ、醍醐味、指揮してわかることなど幅広いエピソードが綴られています。また、氏の原点ともいえる現代音楽を、「現代の音楽」としてあらたに作曲し、演奏、伝え、拡げていくための、格闘にも似た営為を、日常の何気ない思いもはさみながら描写しています。
作曲家であり指揮者、そしてピアノ奏者で、エンターテインメントを知り抜いた久石氏だから創り出せるクラシック音楽、そして「現代の音楽」。その新鮮かつ素晴らしい体験を、コンサート会場と本書で味わってください。
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感情タグBEST3
Posted by ブクログ
何度も読み返したい本
久石さんの音楽をもっと知りたいと思った。
音楽のさまざまな哲学や歴史について考えさせられる。基礎知識が浅い自分にはまだ全てを吸収できていないという感覚に陥る。かなりわかりやすく説明してもらっているが不甲斐ない限りである。
読みやすい口調の部分が多くスラスラと読める一方、興味がない部分や読んでも読んでも内容が入ってこない部分は飛ばして読んだ。それでも得られたものは多い。
Posted by ブクログ
音楽系の小説も好きですが、現役音楽家のエッセイも音が流れてきて素敵です。
視覚と聴覚は聴覚の方が早く脳に情報伝達する。同時に見えて聞こえても音の方が早く聞こえたように感じるらしい。
主体という言葉は「自分の意思や判断によって、自ら責任を持って行動する態度や性質」と、もう一つ「違うものを同じものだと固定する機能」つまり「
寝る前の私」と「起きた私」明らかに別人なのに同一人物であるとするのはこの主体性。
「自分のゴルフが〜」など二十歳やそこらで選手が言っているが、君たちの世界はそんなにそこが浅いのかと言いたくなる。本来なら、「自分はまだ何も分からないが、練習してきたことを精一杯出し切って頑張る」って言うのでは?
内田樹 私家版・ユダヤ文化論