あらすじ
古代史の一級資料「倭人伝」。邪馬台国や卑弥呼への興味から言及されることの多い文章だが、それだけの関心で読むのは、あまりにもったいない。正確な読みと想像力で見えてくるのは、対馬、奴国、狗奴国、投馬国…などの活気ある国々。開けた都市、文字の使用、機敏な外交。さらには、魏や帯方郡などの思惑と情勢。在りし日の倭の姿を生き生きとよみがえらせて、読者を古代のロマンと学問の楽しみに誘う。
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Posted by ブクログ
やはり碩学である。学会や専門家で一般に通じている倭人伝の解釈に疑問を呈して、なおかつ自分なりの意見を文献学的見地ではなく、考古学的見地から述べている。しかも古代音韻学・郷土史家・作家などの専門家でなくとも、直観力(「直感」に非ず)に優れた意見は予断なく受け入れて古代史の考察する角度を絶えず固定しない。この学問姿勢は古代史だけではなく、歴史全般を俯瞰するにあたってとても大切な態度だ。倭人伝に描かれている地理風俗を遺跡の科学的分析から読み直すことで、新たな解釈が産まれる。
魏志倭人伝はもう読みつくされて新たな解釈の余地のない古典ではない。常に考古学成果と合わせて読み直し続けていくことで、まだまだ古代史の疑問のいくつかは解けるかもしれないという大きな可能性を、この本は示してくれている。
邪馬台国畿内説などという、文献学的にも考古学的にも不自然で捻じ曲げた主張は、もうそろそろ下火になって欲しい。畿内説が劣勢になるにつれて、メディアは畿内説の遺跡が出たと騒ぐ。畿内説側に立つ人たちが、専門知識の薄いメディアを煽りたてるからだ。冷静に遺跡を観察し、過去に発掘された成果と比較検討して、理性的に分析してほしいと切に思う。この本の著者のように。