あらすじ
ダンナと一緒に暮らし始めたころ、朝起きて、隣でまだ眠っている彼を見つけたとき、不思議な気持ちと嬉しさで、思わず「あ、おった!」と叫んでしまった。(中略)会いたいというのは、その人が「いる」ということを、ただ感じたいだけなのだ。私もあなたも、分け隔てなく、そう思ったり思われたりしている――。名脚本家が、ささやかな日常に見いだす幸せのカタチ。普遍の青春ドラマ『野ブタ。をプロデュース』に主演した亀梨和也との対談も特別収録!
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Posted by ブクログ
・ドラマを書く仕事をしていて考えるのは、人は何を見たいのかということだ。ストーリーだと思うかもしれないけれど、実はそうじゃないと私は思っている。見たいのは、人間のリアクションなんじゃないだろうか。バラエティー番組で追い詰められた芸人さんの姿に思わず笑ってしまう。ドラマも同じだと思う。役者がこの状況でどんな表情をするのか、もしかしたら見たいのはそれだけかもしれない。
・よい結末になるかどうかは、日常のささやかな行動の中にすでにある。人はなりたいものになれるはずである。
・匂いは、コトバにできない、でもそこにある。白い夏の制服に、うっかりつけてしまった習字のシミのように、洗っても洗っても消えずにそこにある。まるで私が生きていた証拠のように。
・どんなコトバを信じて、どんなコトバを拒むのか。私たちが今感じていることが、この後の世界を決めてゆく。
・会いたいというのは、その人が、「いる」といくことを、ただ感じたいだけなのだ。私もあなたも、分け隔てなく、そう思ったり思われたりしている。
会いたいと思うのは、無事にいてほしいという、祈りみたいなものなのだろう。
・友人と見た海の夕日は、今も忘れられないが、それは別にハワイじゃなくてもよかったのだ。何処でとか、何をとか、そんなことは重要じゃない。誰となのか、それだけが大事なことなのだ。
・テレビニュースで、黒人が現地の警官に背後から撃たれたというのを聞いて、なくなるのはその人の命だけではないなぁと想像する。その人のいる場所に帰りたかった人はどこに帰ればいいのだろう。
・与えられることばかりに慣らされて、私たちは目だけは肥えているのに、何も作り出すことができない人間に成り下がってしまうのかもしれない。ヘンゼルのように道に迷わないようパンをちぎって帰り道に確保するべきだろう。それだって鳥に食べられてしまうわけだから、世間というのは油断も隙もない。見てるだけじゃ、生きてゆく地図はつくれない。
・数字は便利なものだが、その背後にある物語を見えなくしてしまう。人を数字に置き換えたとたん、それは利用する者には消耗品にしか見えなくなり、どこまでも無神経になれるのではないか。
・宗教が持っていた物語が脆弱になってしまった今、死という現実も個人で背負わなければならない。大事な人を失った喪失感をどうやって一人で癒すのか。不条理としか言いようのない状況に立たされた時、どうやって一人でしのぐのか。そのための物語が、わたしたちに必要なのではないか。
Posted by ブクログ
木皿食堂シリーズを読むと、自分が欲しかった言葉や知りたかった言葉はこれだったのかと毎回気付かされる。あの時言えなかった自分の気持ちはこれだったのかとも思わせてくれる。
「ダンナは私の頭上に小さな花を降らせてくれる」
「寿司の味はもう覚えていないが、あの日の満足感は忘れていない」
「会いたいと思うのは、無事にいてほしいという、祈りみたいなものなんだろう。」
「居場所というのは、物理的な空間である必要はなく、それさえあれば煮詰まった日々も乗り越えられるという救いのようなもの」
過去の自分を思い出しながらゆっくり読ませてもらいました。楽しい時間でした。