あらすじ
ラカンを理解する最短ルートは、その理論を歴史的に辿ることだ──。鏡像段階、対象α、想像界・象徴界・現実界など多種多様な概念を駆使し、壮大な理論を構築したラカン。その理論は、精神分析のあり方を劇的に刷新し、人文・社会科学全般に大きな影響を与えた。本書では、その難解な思想を前期・中期・後期に腑分けし、関心の移り変わりや認識の深化に注目しながら、各時期の理論を丹念に比較・検討していく。なぜラカンはこれほどに多彩な概念を創造し、理論的変遷を繰り返したのか。彼が一貫して問い続けてきたこととは何だったのか。その謎に挑んだ好著、『ラカン対ラカン』増補改訂版。
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Posted by ブクログ
入門とはいえ、一読では理解しきれない。「人はみな妄想する」の方が平易であり、入門向き。こちらは「人はみな〜」の鑑別診断縛りを取っ払い、より大きな枠組みでラカンの理論的変遷を説明していると言っていい気がする。読んでいるうちにだんだん欲望のグラフの読み方がわかってくる気がするが、何度か読んでラカン語彙に馴染まないと理解しきるのは難しそう。
Posted by ブクログ
良書。精神分析学ラカン派入門。入門とあるが厚く、論考やソシュール等の基本的知識は前提とする。ひとにものを勧める趣味はないが、特にひとの親となるひとには勧める。人間の精神はこの世界に属するものではないが、物理学が宇宙の誕生をそのビッグバンから0.1秒以下の出来事を詳細に語りつくすように、人間の精神、そのミクロコスモスの誕生から人間に至るまでを分析的に記述する。現在、アメリカを主軸とする精神病における唯物論的理解と真っ向から対立する。そのため明確に科学ではない。一般に、人間は正常という状態にあって病気に侵される風に考えるが、ラカンでは正常な人々を神経症のひとと呼ぶ。神経症のひとにはものを創造することは難しい、などと語られ、芸術分析的側面も存在する。精神病患者に限らず、すべてのひとが病気なので対象はすべてのひとである。精神病に生物学的な論拠を求めず、純粋に精神分析的な解釈を行う。このため、例えばうつ病は薬で治る、というようなスタンスと対立する。そもそもラカンにおいては生物的な男女さえない。人間の精神に、男女の区別は存在しない。この考えを元に展開されるモナリザの芸術分析的記述などは面白い。主体は存在しない。主体は存在欠如である。主体は他者のなかにある、といった基本理念を元に解説され、論考や仏教との類似点も見え隠れする。ラカンは80歳で亡くなるが、70歳代になってなお溢れる泉の如く新たな用語を生み出し論理を展開させ構築させていったという恐るべき才能は驚嘆に値する。後、読んで理解すれば軽度の精神病は治ると思う。
Posted by ブクログ
ラカン初期から後期までの考えの変遷が丁寧にフォローできる貴重な本。わかりやすく書かれていると思うけど、やっぱり難しい。特にマテームは理解できない。。
Posted by ブクログ
本書は、ラカン理論の中核を成す概念を、実践的な理解へと導く画期的な入門書です。以下、本書の具体的な内容と特徴を詳しく解説していきます。
第一章では、ラカンの最も基礎的な概念である「鏡像段階」について論じられています。著者は、生後6-18ヶ月の幼児が鏡に映った自己像を認識する過程を詳細に描写しながら、この現象がいかに人間の自我形成の根本に関わっているかを説明します。例えば、幼児が鏡に映った自分の姿を見て喜ぶ瞬間が、実は「誤認」に基づく自己像の獲得であることが指摘されます。この「誤認」は、後の人生における自己像の不安定さの源となることが、具体的な臨床例を通じて示されています。
第二章では「想像界」の概念が展開されます。著者は、私たちの日常生活における様々な人間関係のダイナミクスを例に挙げながら、想像的関係の特徴を解説します。特に興味深いのは、職場での人間関係や恋愛関係における「鏡像的な関係」の分析です。例えば、上司と部下の関係における権力構造が、実は互いの想像的な期待によって支えられている様子が鮮やかに描き出されています。
第三章では「象徴界」と「シニフィアン」の概念が取り上げられます。ここでの説明は特に秀逸で、言語が私たちの無意識をいかに構造化しているかを、日本語特有の言い回しや文化的な例を用いて説明しています。例えば、「お母さん」という言葉が単なる呼称以上の象徴的な重みを持つことや、方言と標準語の使い分けに現れる主体の分裂など、読者にとって身近な例を通じて複雑な理論が理解可能なものとなっています。
第四章の「大文字の他者」の説明では、SNSやインターネット社会における「まなざし」の問題を取り上げながら、現代的な文脈でこの概念を理解することを可能にしています。特に、「いいね」を求める行動や、匿名の他者からの評価に過剰に反応してしまう現象などが、ラカンの理論的枠組みの中で見事に説明されています。
第五章では「対象a」という難解な概念が扱われます。著者は、この概念を説明するために、現代人の消費行動や趣味的な没入、さらには芸術作品の享受といった具体例を豊富に用いています。例えば、ブランド品への執着や収集癖といった現象が、「対象a」を巡る欲望の運動として理解可能になることが示されています。
第六章の「現実界」に関する議論では、トラウマや症状の問題が具体的に論じられます。著者は、自身の臨床経験から得られた豊富な事例を基に、言語化できない体験や反復強迫的な症状が、いかに「現実界」の現れとして理解できるかを説明しています。
本書の特筆すべき点は、各章末に設けられた「臨床との対話」というセクションです。ここでは、その章で説明された理論的概念が、実際の臨床場面でどのように現れ、どのように扱われるのかが具体的に示されています。例えば、摂食障害や強迫性障害の症例を通じて、ラカンの理論が単なる抽象的な思考実験ではなく、実践的な治療理論として機能することが理解できます。
さらに、本書では随所に文学作品や映画からの具体例が挿入されています。例えば、村上春樹の『海辺のカフカ』における「父の名」の問題や、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』における「シニフィアン」の働きなど、読者にとって親しみやすい作品を通じてラカン理論の実践的な適用が示されています。
結論として、本書はラカン理論の「入門書」でありながら、その射程は現代社会における様々な現象の理解にまで及んでいます。初学者はもちろん、すでにラカンを学んでいる読者にとっても、理論と実践を結びつける新たな視点を提供してくれる貴重な一冊となっています。
特に、本書の持つ大きな意義は、難解なラカン理論を、単に分かりやすく解説するだけでなく、それを読者自身の生活体験や臨床実践と結びつけることを可能にした点にあります。これにより、理論の「理解」が単なる知的な把握を超えて、実践的な「了解」へと深められているのです。