あらすじ
「離乳への道はひとつではない」「赤ちゃんの主体性を尊重」──教科書通りにいかなくても気に病む必要のないことと、細心の注意を払わねばならないことの区別を明確に述べ、育児初心者たちを勇気づける。(全3冊)
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
◯上巻に引き続き、初めて子どもを持った親(とりわけ母親)の気持ちに寄り添う励ましのような内容。
◯また、子どもの個性を尊重している点も目を惹く。他の人と比べることなく、ありのままを受け入れることの重要性を感じる。もちろんその姿勢は子育てだけではなく、大人にとっても重要なことだと気がつく。
◯要所要所で不意打ちのように記述されている子育てをする親への励ましに、期せずして涙を催してしまった。何度も読み返したくなる。とても心強い一冊。
Posted by ブクログ
「赤ちゃんの主体性を尊重」「離乳への道はひとつではない」と著者は強調する。教科書通りにいかなくても気に病む必要のないことと、細心の注意を払わねばならないことの区別を明確に述べ、育児初心者たちを勇気づける。
いやー
学びになりますね。
常に手探りで子育てはやらなければならないところもありますが、困ったときやもしものときのことを多少なりとも分ってるとずいぶんいざ!というときに対処ができるような気もします。
日々学びですね
Posted by ブクログ
夜泣きは生後5か月から始まることが多い。昼間に興奮したり怖い思いをした時に思い出して泣く。
離乳食は市販のベビーフードを使うことを強くオススメしてるのが意外だった。
理由は、衛生面から考えても殺菌されてて安全なこと。何より時間と手間と節約になって母にゆとりができること。特に初期の頃はそんなに量を食べないのだから、ベビーフードはどんどん使うべき。離乳食のために何時間も使うぐらいだったらその時間散歩に連れ出すべき。
生後10か月を過ぎた頃から赤ちゃんの身体、脳は急速に発達する。できる限りお世話をする人は赤ちゃんに話しかけること。どうせ分からないと思って無言で接するのはよくない。
また、テレビを見せても、赤ちゃんは言葉を覚えない。あくまで人とのやりとりの中で言葉を習得していく。
なぜなら言葉は自分の心にあるものを相手に伝えたいという気持ちのあらわれだからである。あくまでも言葉は人の心と心とを繋ぐものであるというのを忘れてはいけない。
1歳を過ぎた子供は、特にものにおびえる時代である。一度なにかで恐がらせてしまうと、長くトラウマになる。一番よくやるのは長時間、子供を一人ぼっちにさせてしまうこと。トイレぐらいの数分なら問題ないが、長風呂や買い物などで長時間放置するのは論外である。
幼児期は運動能力を磨く時代。子供がよく動くためには痩せている必要がある。最近は子供が食べるのは良いことだという風潮が独り歩きして、肥満になっている幼児が多いから気を付けること。
Posted by ブクログ
赤ちゃんは、子どもがあそんでいるのをみるのをよろこぶ。近所で子どものあそび場があったら、つれていって、あぶなくないところに赤ちゃんをおろすか、ベビーカーのなかで見物させる。(p.142)
偏食をするからやせるのだなどと母親がしかられることも少なくないが、何でも与えられるものを食べてふとるというのは、豚ならいい食肉用豚だろうが、人間では自慢にならない。むしろ、味のわかる人間のほうが、食生活は楽しいだろう。(p.269)
赤ちゃんが8〜9ヶ月ごろにツイラクを経験せずにそだつということは、まずない。ツイラクして頭を打ってばかになるのだったら、人類の文明は存在しないだろう。いちばんおおいツイラクは、赤ちゃん用ベッドからのツイラク、つぎは食卓椅子の転倒によるツイラクである。せいぜい1メートル以内のツイラクで、あとに何か異常をのこした経験を、私はもたない。(p.284)
野菜ぎらいをあまり深刻にかんがえることはない。人間が野菜をとるのは、カルシウムやカリウムや鉄のようなミネラル、ビタミンA、ビタミンC、ビタミンB1などを補給するためだが、それは野菜以外の食物にもふくまれている。野菜を全然食べなくても、牛乳やミルクや魚や肉には、ビタミンAやミネラルは、たくさんあるし、果実にはビタミンCやビタミンB1がふくまれている。ミルクをのみ、果実を充分に与えていれば、野菜を食べなくても栄養の上で不足になることはない。それに赤ちゃんの時代に野菜を食べなかった子が、もう少し大きくなると野菜をよろこんで食べるようになることも少なくない。
いろいろ工夫しても野菜をどうしても食べない赤ちゃんには、果実でおぎなうことにして、毎食、赤ちゃんのきらいなものを強制しないほうがいい。食事を楽しく食べることのほうが、うちの子は何でも食べますという母親の対外的な「誇り」よりも大事だからである。(p.369)
10ヶ月すぎの赤ちゃんに、善悪はわかるはずがないと思って、何をしても、おこらないで見過ごしておくのはよくない。近頃の母親には、子どもが何をしてもしからない人がある。しかってもだめですという。それはしかるべき時にしからなかったためだ。行為には、母親のよろこぶ行為と、そうでない行為があることを、早くから印象づけたほうがいい。母親の感情のうごきにたいして、赤ちゃんは、早くから敏感である。善か悪かという判断はできないが、母親がよろこんでいるか、おこっているかということは、10ヶ月の子は感じとれる。(p.375)
1歳から1歳半ぐらいの間のねつき方に、あまり神経質になることはない。もっと大きくなると、運動もはげしくなり、疲れ方もひどくなるから、指しゃぶりも、唇吸いも、いつか卒業するにきまっている。(p.482)