あらすじ
「ぜったい一緒に寝ようね。おにいさまより。」漫研の合宿に初参加した15歳の「わたし」は、出発前のバッグの中にメモを見つけて……。テレビもラジオもない漫画漬けの日々、熱愛カップルの復活、思いがけないおしおき、意外な告白、夜更けの甘いあえぎ声……。切なさに胸熱くなるひと夏の物語。著者初の自伝的BL小説。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
藤野千夜はずっと好きで、今回は初の自伝的な小説ということで、期待して読んだが、裏切られなかった。藤野さんがあの学校の卒業生だと知っていたが、敢えて自ら触れないのは、いい思い出がなかったからかと思っていたが、読んでみると、あの学校だからこそ、素晴らしい中高生時代が送れたのだとわかった。知的レベルが高くお互いの個を尊重し、個性を重視する先生と仲間がいたから、世の中や自分自身に違和感を感じながらも楽しく過ごせたのだなと。マッチョな学校に行っていじめられたら、今の藤野さんはなかったな、と。
書くことに迷いもあったろう。「おしおき」なんて、本人にとっては闇に葬りたい記憶だったにちがいない。35年経ってやっと書けるようになったというのは、よく分かる。(「ビューティーペア」はいい得て妙過ぎる。藤野さん、確かに似ている。これは絶対フィクションじゃない。)
私は藤野さんより少し年下だけど、漫画好きだったので、書かれている漫画のことをありありと思い出した。懐かしい。あの頃の少女漫画は今とは全く違って独特の世界があった。男子の漫画はスポコンかギャグ漫画が殆どで、少女漫画を男子は読まないというのが普通。読んでいるのがバレるのは恥だった。姉妹がいるならともかく、いなければ変態の烙印が押されかねない。そんな少女漫画に心を寄せる男子が集まったクラブなら、ホモセクシャルが多くても納得できる。当時はホモセクシャルは変態扱いだったし。それを個性として当時から認めていた麻布(あっ、言っちゃった)に感動。
できればこの後の大学時代、編集者時代も書いてほしいなあ。
それにしても、この表紙の絵はない。恥ずかしくて買えないじゃん!裸でなくてもいいのに。ボーイズラブがメインの小説じゃないんだよ!思春期から青年になるまでの男子たちの個性的で不器用で滑稽で切ない青春小説だよ。その年ごろなら恋愛があって当然。それがたまたま同性愛だっただけ。
文庫化するとき表紙変えてほしい。
Posted by ブクログ
面白かったー!タイトルからして濃ゆい話が読めるのではとわくわくしました。後から知りましたが作者の自伝的小説なのですね。たった7日間の出来事を事細かに描いており、何気ない描写も取りこぼさずに描かれているので読んでいて楽しい。また登場人物の生きているのが伝わってきて、部員の仲間入りをしたかのような気分になります。こういう話は書けるようでなかなか書けないように思います。この方、上手だなぁという印象です。作者はまさかの女装をされた男性と知り、ビックリ。(女性だと思っていました。)藤野千夜さん、他の作品もどんどん読んでみたくなります。
Posted by ブクログ
どこかで読んだ書評に興味を惹かれ(とはいえ、その内容は忘れてしまったけど…)、読んでみてこういう話しだったのかあ、と(一体その書評のどこに惹かれたんだろう…?)。校内で『ホモとおかましかいないと言われている漫研』の夏合宿は、なんかもう、ホントにこんな風にカップルだらけになっちゃうの?と驚くけれどこれが自伝とは再度ビックリ。悩みを抱え、嫌なことも多分にあっただろうけれど、こうして振り返り、作品にできるというのは、作者にとってはキラキラとした夏の1コマなんじゃないかしらん。そう思いたい。作中に登場するマンガがどれも懐かしい。
Posted by ブクログ
新聞に載ったインタビューにひかれて手に取った、著者初の自伝的小説。いやあ藤野千夜さんがかの麻布学園の出身だったとは。「ずっとフェリスって言い張ってきた」そうだが、「やっと覚悟のようなものができ」三十五年前のことをありのままに書こうと思ったそうだ。
描かれる状況はかなり特殊だ。中高一貫男子校の漫研メンバー(中二から高二まで)十三人がD菩薩峠(言うまでもないがこれは大菩薩峠)で一週間夏合宿をする。OBが顔を見せたり、日帰りハイキングに行ったりしつつ、基本的にはずっとマンガを読んで議論する。まあ、ここまではそんなに変わっていると言うほどのこともないが、問題は、誰もが合宿でどんなカップルができるか、誰のとなりで寝るか、それを一番に気にしていることだ。
おや、これってBL小説?と危ぶみながら読んでいったが(私はBLがちょっと苦手)、そういう場面も少しはあるものの至極あっさりした感じで、主に描かれるのは著者自身と思われる少年の揺れ動く心だ。これがねえ、実に覚えのある痛さ、恥ずかしさなのだった。男同士だからどうとか、そんなことあまり関係なく、多くの人が思い当たるであろうあの年代独特の、繊細で、時にひどく鈍感な心情が書き込まれている。
主人公小笹は、特に誰が好きというわけではないけれど、合宿で何かが起きることを期待している。同時に、何も起きないこと、自分が誰からも求められないのではないかということをひどく恐れている。その描写が実に巧みだ。こういう思いをほとんどしたことがないという人もあろうが、そういう人はあまり小説など読まないだろうし、これなんか読んだら「だから何?」とイライラするに違いないが。
現在の視点から書かれるエピローグが切ない。長い時間がたって、それぞれの人生にも転変があり、過去の出来事はおぼろな記憶の中に沈んでいる。それを著者がまるで昨日のことのようにすくい取っていることに感嘆した。
・この表紙はちょっとどうだろうか。あまりにもそれっぽくて敬遠しちゃう人もいるのでは?
・漫研合宿だから当然あれこれのマンガが登場する。私は著者とほぼ同年代なので、それらがとても懐かしい。各章のタイトルも名作マンガからとられていて、エピローグの「夏の終わりのト短調」なんか、ほんとぴったり。
・「大菩薩峠」と聞いて何を思い出すか。これは年齢や趣味関心によって違うと思われ、結構面白い質問かもしれない。「セキグンハ?」と聞き返す当時の著者はまったく何も知らなかったようだが(大菩薩峠は赤軍派が武装蜂起を目指す軍事訓練を行った所)、舞台がここであることが小説全体に響かせている意味は軽くないと思う。
この合宿は1979年のことと思われる。著者は高二。中学校入学は1975年になる。その頃の麻布は、いろいろな形で70年前後の学生運動の余波がまだあったようだ(ほとんど校則らしきものがない自由な校風や、運動会がないことなど)。しかしそれは作中では完全に「背景」であって、直接的には語られない。
この感じはとてもよくわかる。自分の出身校も田舎なりに運動の盛んな高校だったそうで、75年入学の私にもその残り香のようなものが感じられた。でも、それは自分のこととして切実に考えることではなかった。ちょうど小笹が大菩薩峠で赤軍派のことなど何も知らず、手紙をくれた「おにいさま」は誰かということばかり考えていたように。情けなかろうがなんだろうが、それが私たちの「リアル」だったのだ。