【感想・ネタバレ】獄中記のレビュー

あらすじ

微罪容疑によって逮捕、接見禁止のまま512日間勾留された異能の外交官は、拘置所のカフカ的不条理の中で、いかなる思索を紡いでいたのか。神との対話を続け、世捨て人にならず、国家公務員として国益の最大化をはかるにはいかにすべきか。哲学的・神学的ともいうべき問いを通してこの難題に取り組んだ獄中ノート62冊の精華。書下ろし100枚。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

獄中記 (岩波現代文庫) 2009/4/16

拘置所生活は、自分の内面との闘い
2019年7月7日記述

佐藤優氏による著作。
2009年4月16日第1刷発行。

著者が逮捕勾留されていた2002年から2003年にかけてノートに日々記録をつけていたモノを編集した本。
このような環境に陥っても日々自分自身を向き合い
ストイックな努力(読書・勉強)を続ける著者は凄い。
むしろまとまった時間ができたと前向きに生きているなと感心する。

拘置所暮らしをしているとリンゴなどの差し入れが
非常に大きいのだなと思う。
植えている木や動植物の鳴き声などが憩いにつながる。
この辺りは実に現実味がある。

印象に残った部分を紹介したい

拘置所の中では、取り調べ以外にも、健康管理、
精神的安定の維持等いくつもの試練があります。
この中で最も重要なのは人間としての尊厳を維持し続けることです。
いわゆる「プライドを高くもつ」ということではなく、人間的思いやりをもち、憎悪や嫉妬に基づいた人間性崩壊を防ぐことです。
その意味で、拘置所生活は、自分の内面との闘いでもあります。

小泉改革の目指すものはなにか。一言で言うと、日本の基礎体力回復による生き残りである。
平等主義、弱者保護路線を切り捨て、強い者をますます強くし、機関車とすることにより、日本を
ひっぱっていこうとする。そのためには国民の圧倒的多数に裨益しない政策を遂行する必要に迫られる。
この点を隠すためにナショナリズムを煽り、また、人為的に「抵抗勢力」(国民の敵)を作り出す。

自国中心のナショナリズムを放置すると、それは旧ユーゴやアルメニア・アゼルバイジャン紛争のような「民族浄化」に行き着く。
東西冷戦という「大きな物語」が終焉した後、
ナショナリズムの危険性をどう制御するかということは、責任感をもった政治家、知識人にとって最重要課題と思う。

基礎体力さえできていれば、人間の能力は与えられた器に合わせてできる。
これがポストが人を作るということ。
組織には、組織が必要とする
水準に個人の能力を引き出す本姓がある。
逆に組織から仕事で課される器が小さくなると、
人間の能力は低下してしまう。
中略)そのような場合には、知的世界で大きな器を作る。
それは(テーマの選び方にもよるが)いくつか仕事の役にも立つし、トータルに人生を考えた場合もマイナスにならない。

わかりが遅いのは悪いことではない。
人間でも、政策でも、本当に理解し、納得できるまでは信じるな。
日本人であれ外国人であれ高邁な理想を述べる政治家、外交官、学者でも、その人間がどうやって生活しているのか、自分より力のある者と弱い者に対する態度に極端な裏表がないか。
時間をかけて見極めてから、判断をしてもおそくない。

日本の外交官は弱すぎます(戦争などの修羅場をくぐってないせいか)
1秘密が守れない。口が軽すぎる。
2自己顕示欲が強く、組織人として行動できない
 (その裏返しとして、出世街道から外れると、イジけたひねくれ者になる)
3語学力が弱く、十分な意思疎通ができない
4任国事情や一般教養に疎く、任国エリートから相手にされない
5人情の機微をつかむことができず、人脈をつくれない
6セクハラが横行しているため、女性外交官の能力を活用し切れていない

敵を愛するということは、白旗を掲げ敵に屈する、あるいは敵におもねるということではない。
憎しみの論理は人の眼を曇らせる。
敵を憎んでいると、闘いの構造が見えなくなり、
従って対応を誤るのである。
こちら側が弱いときほど、正しい対応をするために、要するに自分のために敵を愛することは必要なのである。

女の底力をキリスト教はよくわかっている。
自分の力で友の窮地を救えないことがわかっている場合、本当の勇気とは怖くても見届けることだと思う。

僕は性格的に決して強い方ではないが、そこそこ我慢強いのではないかと思う。
外務省でいつも不思議に思ったのは、耐性が弱く
かつ努力することのできない人間がなぜこんなにも多いのかということだ。
入省後10年以上になる外交官で、きちんと勉強を
続けている人が何人いるだろうか?
裏返して言うならば、あまり勉強しなくても、
語学力が(通訳はもとより)新聞の論説を読めないレベルでも今の外務省では生き残っていくことができる。
しかし、日本外交の基礎体力は確実に弱りつつある。
僕はこの流れを何とか変えたいと思ったのだが、力が及ばなかった。
これは外務省だけではなく日本全体の基礎体力低下だということに対する認識が弱かったのだと思う。

持続的経済成長のためには、おだやかな人口増加、少なくとも人口の現状維持が不可欠の条件である。
日本の少子化傾向は当面続くであろうから、現水準のGDPを維持するためには労働人口を外国から獲得しなくてはならない。
具体的には、中国、フィリピンから労働者が流入してくることになる。
小泉型の自民族中心主義の下、日本では他民族社会への備えはできていない。
しかし、外国人の流入は進んでいく。
石原慎太郎流の「中国人が犯罪を運んでくる。外国人犯罪の取締りを強化する」などというレトリックでは解決できない
構造的な問題がある。
このままの状態では10~20年のスパンで日本は深刻な民族問題を抱えることになる。
この点でも、政治エリートは今から日本社会の他民族化をにらんで国際協調主義を根付かせていかなくてはならないのだが、多くの人々にそれが見えないのである。

0
2021年12月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

筆者(私)は、この本の著者(佐藤)があまり好きではない。というのは、①自分の価値観を他人に押し付け、②自分が有している知識をひけらかし、③それを自分独自の考えに発展させず、④他人(読者)にわかりやすく伝える努力を放棄しているからだ。
 換言すれば「俺ってこんなに物事知ってるの。すごいでしょ!俺の考えじゃないけど、○○って偉い人が~って言ってるよ。」というスタイル。佐藤の自己満足(マスターベーション)的な匂いが、私にとって鼻につくのである。
 そんな佐藤に批判的な私だが、「佐藤の本の中では得るところが多い」という意味と語学に対する参考文献の多さで★4つとさせて貰った。

 私がこの本を手に取った理由は、佐藤が獄中でドイツ語をはじめとする語学を勉強していた、ということを知ったからに過ぎない。私の目下の興味は語学なので、その観点からこの本を読んだ。
 読めばわかると思うが、この徹頭徹尾、彼のマスターベーションが続く。彼の神学論争やヘーゲル哲学の解釈がずっと続くが、別に理解できなくても飛ばし読みで構わないと思う。佐藤は自分が解釈した神学やヘーゲル哲学を発展させて、読者に「わかりやすく」伝えようとする努力は一切しない。彼は「インテリの世界で一定の発言力を確保したいと考え」一定の発言力を持つために「理解される文章を綴る」べきと考えている。他者に全く理解されない文章は「インクのしみ」にすぎない(p.442)と述べているが彼の著作は到底「理解される文章」だと思わないしこの彼の発言と矛盾するのではないかと考えている。ここで注意したいのは、佐藤は一般人向けではなく「インテリの世界」のみを対象として文章を書いている注意されたい。
哲学・神学を基礎とした彼独特の政治思想・政治哲学に興味を持つ人が多いのか、彼の巷間での評価は高いみたいだが、私はほとんど評価していない。一例を挙げると、この本の中で「(自分は)国益のために働いてきた」という記載が多くみられるが、その「国益」の定義を一度もしないまま議論が進んでいく。彼の考える「国益」と読者が考える「国益」が相違する可能性があるのに、佐藤と読者の国益が同一だという前提があるのではないでしょうか。

いろいろ思うところはあるんだけど、気づいたことや、印象深い記述を備忘録的に以下紹介することで、この本の感想としたい。
○「私は知識人というのは(中略)、事故の置かれた状況をできるだけ突き放してみることのできる人間だと考えています。この訓練が一般教養であり哲学なのだと思います。」(p.172)(←追記3を参照されたい)
○「語学などというのは、覚えなければならないのは二つのことだけだ。文法と単語だ。」(p.180)
○「仕事への適性というのは3-5年で明らかになり、10年くらいの経験を積んだところで一応その道で専門家として食べていくことができるかどうかが明らかになります。さらに5年くらい経ったところで、専門家の世界でどれくらいのところのに行けるかも見えてきます。」(p.229)
○「私が日本の政治家、外交官に対して何を物足りなく感じているかがわかってきました。自らの発した言葉に対して責任を負わない人が多すぎるのです。」(p.289)(←外務省にいたならこんなこともっと早く気づくべきだろう。佐藤の愚鈍さが表れている。)
○「知らず知らずのうちに恐怖政治を行うのがカルバン・タイプである」(p.362)(←カルヴァンについての言及が短絡過ぎる。なぜカルビニズムが恐怖政治を産むのか?)
○「小泉が自民党総裁に再選され、日本んはあと三年間ハイエク型新自由主義モデルを追及することになる。持続的経済成長がハイエク型新自由主義モデルデ国民全体が裨益するための大前提であるのだが、この大前提が満たされなければ、今後三年で日本社会内の貧富の差がかつてなく拡大する。これが総体として「がんばって勝ち組に入るぞ」という人の数を増やし、日本全体の活力を増すのか、それとも「競争、競争と追われてもなかなか勝ち組には入れないので、どうせ食べていけないほどの貧困はないのだからそこそこ生きていければよい、むしろ自分の時間を大切にしたい」という人々の数を増やし、日本の活力が低下するのか(中略)、僕は後者の可能性が高いと思う。」(p.425)(←経済は佐藤の専門外が故に非常に的確かつ客観的に分析できている。経済分析を行う佐藤は大変思慮深く、僕は評価する。)
○「人間の平均化は危険だ。それを打破するためにはきちんとした学識・教養を身に着け、自分の頭で考える習慣をつけるしかない。」(p.439)(←「自分の頭で考える」ことが不足気味なので身につまされた)

追記1:筆者は外交といえば米国一辺倒といういう政治姿勢に甚だ疑問を持っている。冷戦の影響もあり、露西亜およ露語(露西亜文化)への理解不足が日本では顕著であるが、米国とならぶ大国である露西亜の関係を新たにするべきではないかと考えており、その意味で付録でついている露西亜との北方領土に関する経緯を記した文書は秀逸である。大変わかりやすい。
追記2:獄中への洋書の持ち込みは禁止とのことである。もし僕が何かの理由で投獄された場合には、洋書を読んで勉強しようと思っていたのに、その野望(?)が達成できないことを知って落胆した。佐藤は獄中で、ドイツ語・ラテン語を中心に勉強していたようである。
追記3:この本はないが、別の彼の本で教養を身につけるための外国語は仏・独・英語(中国語などは本来実務言語であり、教養課程の勉強につながらないので、単位を出すべきでないとも語っている。)で最低2か国語、できれば3か国語を(大学で)習得すべきで、加えてラテン語・ギリシャ語も習得することが望ましいと主張している。個人的には英語以外の外国語を知ることは多様な価値観を身につけることにつながるので望ましいと考えるが、単位云々の話とは別次元の話ではいかと考える。

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2013年12月07日

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