あらすじ
作者は作品を支配する神ではない!! 作者と作品を切り離して読んでみよう!! “テクスト”と向き合うことで生まれる文学作品との新しい出会いは、今まで経験したことがないスリリングでクールな読書体験となるでしょう。従来の作家論や作品論による作品読解ではなく、現代文学理論による作品読解を高校生になじみ深い作品や作家で実践的に解説。旧知の作品の新たな魅力を発見する。
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Posted by ブクログ
国語に苦しんでいた時にこういうの知っていたかった、と思ったけれども、
中高のときにこんなこと話されてもやっぱ理解できなかったかなーと思ったり、
超入門!とタイトルにありますが、私には時間をかけて消化すべき、とても充実していて大満足の内容でした。
Posted by ブクログ
最近、ちくまプリマー新書はハズレがない。文学理論が使えるようになる画期的な本である。ロシア・フォルマリズム、言語行為論、読書行為論、昔話形態論の四つとも使えるようになります。
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確かに、本書でたびたび言及されていたように、学校教育での「文学」への触れ方は、「作者の意図と主人公の気持ち」に偏重していたのではないか。テクストをテクストとして読むとか、あるいはストーリーの構造やアーキテクチャについてということを、国語の先生から教わった記憶は、全くない。
Posted by ブクログ
異化や言語行為論、読書行為論など、テーマを絞ってわかりやすく解説されていてよかった。
特に読書行為論の章は宮沢賢治の作品を題材にしながら、語り手と読む主体(自分)との関係などについて解説されていて興味深かった。
文学の受け取り方についての知識があるともっと小説を楽しめると思ったので、文学理論について他の本も読んでみたいと思った。
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学校の国語の授業で一般的な"読み方"を教わるが、そもそも読み方に正解はない。自由な解釈を心がけよう。『批評の教室』とセットで読むと理解が深まる。
Posted by ブクログ
高校生向けのシリーズ「ちくまプリマー新書」からの一冊です。さまざまな現代文学理論のなかでも、とりわけ主要な四つの文学理論を解説する内容です。その四つとは、「ロシアフォルマリズム」「言語行為論」「読書行為論」「昔話形態学」。
国語教育でよくあるのが、作品の「読み」そのものに必ず作者自身の性格や環境、書かれた時代背景などを加えるパターンです。そうやって読解することが深い「読み」であるとされる。また、受験の現代文で問われるのは、言葉の使い方のロジックの部分や正確で客観的なテクニカルな文章の読み方だったりします。前者も後者も、授業を聞いたり勉強したりしていると、まさにこれこそ学業ってやつだなあと、あまり良い意味合いではなく思えてしまいます。いくらか、不必要にすら感じられるくらいの苦痛を内包した学びになっていたりしてはしなかったでしょうか。
ただ、僕個人の経験でいうと、小学校の国語授業では、高学年になるにつれてある種の正解を求めるような読解に近づいていったような覚えがあります。でもまだどこか自由なほうで、「誰々君はここについてはどう思う?」なんて何人か先生に訊かれてそれぞれがそれぞれらしく答えても、初歩的なロジックの部分での誤読じゃなければ「そういう考え方もあるね!」とみんな認められていましたね。北海道の田舎の、進学校でもない小学校の国語教育ってそんな感じでした。中学校もそれに近かったような気がします。まあ、思春期になるにつれてどんどん学校教育とは距離ができていった(自ら距離を取っていったともいえます)タイプなので、その頃の国語教育がどんな傾向だったかはよくわからないことはわからないのですが。ただ、授業でいろいろ発言していたときに、先生が答えを言う段になって教科書にもどこにも書いていないような社会背景や作者の性格や環境がでてきたときには、「そんなのずるい!」と言ったような気がします。教科書に載っている短い作品それのみからいろいろ考えて答えを導き出すゲームじゃないか、と言いたかったんでしょう。
閑話休題。
本書でまず最初に取り上げられる「ロシアフォルマリズム」は、作者の性格や環境、社会背景を考えるような読みはしません。そこに書かれている「ことば」の外にあるものを問題にしないのです。記号としての、機構としての、ことばをみていく。たとえば、そのような読み方で浮き上がってくる文学構造的な特質は、「異化作用」というものです。「異化作用」は、「日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法」です。そうすることで読み手は「そうだったか!」「そういう見方ができるんだ」と、知覚や意識が覚醒して活性化することになる。それこそが、異化作用の目的なのでした。それは、安定した日常に背く行為でもあります。日々安定したものとして見えていたものが、異化作用によってまったく別の形をして見えはじめる。ですが、そこで新たな気付きが得られるわけです。芸術の目的とは、まずひとつ、こういったようなことがあるのでした。本書での単純な例としては、「上は洪水、下は大火事、これなんだ?」というなぞなぞが書かれています。これは昔ながらの薪で沸かした風呂のことを異化しているのです。小説作品では、もっと長い文章量を用いて、積み重ねて積み重ねてリアリティとか実感を読み手にシンクロさせていって、それから異化して衝撃を与えたりしますよね。異化作用には快感もあると思います。
このように、「ロシアフォルマリズム」だけでも興味深くておもしろいのですが、つづく「言語行為論」「読書行為論」「昔話形態学」も同じくらい興味を惹く中身でした。とくに「昔話形態学」についてはプロップという人が多くの昔話を分析して見つけた31の物語構造が解説されていて、この31の約束どおりをプロットでなぞってみるだけでもいっぱしの物語ができるに違いないほどでした。また、僕個人がこれまで書いてきた短篇を思い返してみても、知らずしらずのうちにこの物語構造をなぞっていることがわかり、ちゃんとやれてたなという優等生な気持ちと、逆にステレオタイプめいてたかなという残念な気持ちとが半々な気持ちになりました。また、極論すると、「行って帰ってくる」のが物語である、となるのですが、読み終えてすとんと腹に落ちるかたちの物語って必ずそうだと思います。ただ、現代の小説って、そこを気持ち悪く終わるものもありますよね。うろ覚えですが、ポール・オースターの『ガラスの街』なんかは行きっぱなしで帰ってこなかったような気がしますが。帰ってくるけどいろいろ喪失している、っていう終わり方もありますよね。さまざまな可能性があってこそ小説はおもしろいともいえるので、31の定型の形のなかで自由をやる以外の方法もまだまだ残されているのではと思いました。亜種のように出来あがるものもあるでしょうし。
そういうところですが、本書によってもっと読み方が自由になる方はたくさんいらっしゃると思います。理論を知ることで読み方の地平が切り拓かれる。そんなタイプの開いた読書へとつながる本だと思いました。タイトルから受ける印象ほど堅くはないですよ。
Posted by ブクログ
一つの作品について、いろんな解釈の仕方を知ろうと思って読んでみた。が、思ったほど分かりやすくはなかった。というより、読み手側の問題だと思うけど。
これまでの学校教育では、作者の意図や主人公の思いを読むことだけが正解としていたが、作者と作品を切り離して、作品をテクストと呼びいろんな角度から捉え直そうとする、という基本的な考え方は理解できた。
ロシアフォルマリズムの章は何とか理解できた気がするが…自動的な「認識」を「見ること」へと戻し、対象を異化する。自由に読んで、感じて良い、ということだとは思うが、第三者の共感を得られるような、新たな読み方ができれば、それが論文のネタになるんだろうなぁ。
Posted by ブクログ
文学を作者と切り離し、分析して読むテクスト論的な読み方。国語の授業での文学の読み方を、もっとテクスト論的に分析して読むような視点が入っていたら、面白いのではないかと思うが、プリマー新書でも結構難しかった。ロランバルトの言う「作者の死」についてもっと知りたい。物語の典型的な構造についての最終章は分かりやすかった。貴種流離譚とか、二男一女の物語とか、広い型としてもいろいろあると思うし、それは面白い。期待の地平を裏切っていく物語の面白さ、というのもあるなと思う。
Posted by ブクログ
●大塚英志の本でプロップの物語構造論については知っていたが、文学を理論的に捉えるということに馴染みがなかったので、その他の紹介されていた理論については小難しく感じた。