あらすじ
メタルギアソリッド、リドリー・スコット、押井守、そしてウィリアム・ギブスン――個人ブログ「伊藤計劃:第弐位相」を中心に、SF、映画、ゲーム、さらに自らの病について綴られた数々の文章。その独特の語りと、冷静かつユーモアを湛えた世界への視線で、作家デビュー以前から類いまれな才能をうかがわせた2001~2005年までの文章を収録する全記録第1弾。
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Posted by ブクログ
ゲームデザイナー小島秀夫の作品に関するエッセイと伊藤の個人ブログに掲げられたテクストから主に映画評と闘病に関する記述を抜粋。言い尽くされた言いまわしだが、抗がん剤治療の苛酷さを淡々と綴っていくくだりには、胸が苦しくなってしまった。「わたし」の身体が自己の思う通りには決してならないという現実を生きながら、伊藤は小説を書いていたわけだ。
「1」の中心は映画評だが、伊藤が'90年代~'00年代のぶろっくばすたー商業映画を(くだらないもののくだらなさをふくめ)徹底的に渉猟していたことがよく分かる。批評もじつに的確で、博覧強記ぶりにも舌を巻かざるを得ない。「映画狂人」蓮實重彦の暴走ぶりを見つめる快楽や、東浩紀批判の部分で「イノセンス」のイメージ一元論を「嘘っぱちだと思う」と記したところは、伊藤の作品世界を考えるうえでも重要なコメントだと思う。
Posted by ブクログ
ぼくらのまわりを見てごらん、自然物がどれだけある?人間の手によって植えられた草や鉢植えや街路樹や、駐車場の雑草が「自然」かな?近所を流れている川、それは自然の川かね。何か最近になって出来た用水路は論外としても、実は昭和、明治、さかのぼって江戸時代につくった農業用水だったりしないかね。
ぼくらは人工物に囲まれて生きている。ぼくらは人間が思考してそう望んだ環境に囲まれて生きている。人間の思考の結果に囲まれて生きている。なぜ大地震で5000人の人が死ぬことにみな驚きながら、年間の交通事故によるものすごい数の死者には驚かないのかな?それはすなわち、自然は「降ってわいた災害」で、予測できないファクターだったのに対し、交通事故は「社会的に予測の範囲内であり、許容できる副産物」に過ぎないからだ。自身は自然の災難だけど、交通事故は人間の思考の守備範囲なのだ。道路も、ビルも、家も、食料も、すべては人工物にすぎない。
Posted by ブクログ
悪性腫瘍しゅよう 5年生存率 窓からの光の筋が見えるようなリドリー・スコット部屋 コロンビア号 チャレンジャー号爆発事故の調査報告 原因はOリングの弾性劣化ではないという話もあるけれど 科学技術の粋すい 消費を中心にした幸福な生活モデルの最後の時代だったと言えるかもしれない 怠惰さが切実さを圧倒した 愚かさというのはこういう精神的に便利な特典もついてくるので 基本的に猥雑で下劣な裾野なのである それともエログロ込みで引き受ける覚悟を固めているのだろうか そしてPSGは今も叫び続ける 原作のパッチワーク感 二次創作としての フォレストガンプのスマイルマークシャツ誕生の件 えんえき演繹 卑近さを 阿部和重の語りをえらくアナクロなものに思わせてしまう ふせって臥ってます 出会い系を装った文学 趨勢すうせい ぺ・ドゥナたんの御尊顔を拝してくることであるわけで 誰にでもやってくるのは死だけだ。死が暴力的なのは有無をいわさず誰にでもやってくるからだ。 回避不能を宣言されたわけだから 「もののけ姫」はそんな宮崎作品の中にあって、唯一宮崎駿がヤバいところまで行った「狂気」に限り無く近いものが、ある種の逡巡と傲慢さが同居した結果落とし所がまったく不明なまま物語が暴走する、「手に汗握る絶望」が全編を覆っている凄い作品だと思う。 彼岸と此岸しがん 其れは一言で言って死が怖い映画であり、死に脅かされる人間達の寂しさを扱った物語だ。「バレット・バレエ」からの塚本映画は、常に「終わりの刻」を見据えながら、その虚無に怯えながら撮られているように思う。 その衝撃は「メメント」など比較にならぬほどの衝撃の結末と化し、そして我々の心に生じる静かな怒りは、貧乏人が金持ちに対して抱く殺意のそれであるだろう。 とうじん蕩尽ぶりが 称揚された残酷なファンタジーのキャラクターは 技芸を駆使さした 宿業にに囚われざるを得ず 言うなれば畜生としての腕っ節のみであり 作り手が「怪奇」の近似値として南部の田舎という、悍ましさの残り香がまだ有効な土地を(日本でいえば近親婚がまだ続いてそうな横溝的田舎に相当します)選ばざるを得なかった、という理性的な思考の結果です。 本田美奈子の死と、宇宙戦争という映画は、僕の体に起きた理不尽な出来事を経由して繋がっている。あなたは、体と心中するしかない。叙事的な映画というのは、そういう事を嫌でも感じさせてくれる。あれは、容赦ない。あれは、人を選ばない。あれは、突然やってくる。出来事というのは、そういうものだ。死んだ事のある人はいない、と誰かが言っていた。 山田風太郎『人間臨終図鑑』