あらすじ
人のおっぱいはどうしてこういう形になったのか。一夫一妻の論理と流行のファッションとの意外な関係とは。少子化のコストベネフィット。戦争の背後にある、遺伝子に組み込まれた攻撃性とは別の「美学」の問題。科学と神はほんとうに対立するのか。――動物行動学の草分けとして長く第一線で活躍した著者が、あえて動物学的見地から「人間」を問う。言葉をもって概念を生み出すようになった人間は、どのような存在になったのだろうか。身近で多彩な例を引きつつ、表面的な現象の奥にある人間の行動論理を、やさしく深く考察する。
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・利己的遺伝子説。調べてみたい。
・知らなかったこと:
『人間の場合もお尻は女の性的信号になっているが、直立して互いに向きあって話をするようになると、後ろ向きの性的信号は、思ったほど効果を生まない。これでは困る。前に向けてもきちんと性的信号を発信したい。そこで、なんとかしようとした。
元来、生物はあまり突拍子もないものを使ったりはせず、今あるものをうまく使おうとする。本来お尻が性的信号だったのだから、前を向いたお尻はつくれないか。なにかそれに使えるものはないかというと、おっぱいがあるではないか。「よし、おっぱいをお尻にしてしまえ」ということで、おっぱいをなるべくお尻に近いものに変えてしまったのである。お尻だから従来の細長い形ではダメだ。それでおっぱいをだんだん丸くしていき、今のような形ができてきた。それが人間にとっては非常に美しいものになり、大事な意味をもつようになったのである。
こういうことは、自然界ではけっして珍しいことではない。擬態と言えば、ガがハチを擬態するというように、自分がほかのものを 真似ることとして知られているが、「自己擬態」と言って、自分自身の体の一部で体のほかの部分を擬態することもある。もっとも有名なのがゲラダヒヒであろう。ゲラダヒヒのメスには、胸に性器のような模様がある。ゲラダヒヒはいつも座っているから、胸の色を性器のようにしてオスをひきつけることにしたのである。 また、マンドリルのオスの顔は性器をあらわしているとよく言われる。』
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利己的な遺伝子、ホトトギスはどうやってホーホケキョ と鳴くのか。他のホトトギスから話して育てた鳥に、カラスの鳴き声を聞かせても興味を示さないが、ホトトギスの声には耳を傾け、学習する。環境か、遺伝か、というが学ぶべき内容が遺伝で決まっているのだ。
その他、textureや倫理の話が印象的。
視覚から触覚を感じる、texture. それを彼は冬から春の山に見出す。なんとも言えない、ふっくらとした春の色。
青砂浜辺の美しさは、偶然により創り出されたもの。自然の倫理、人間の倫理、建築の倫理様々のものがあるが、どれかを通すのではなく、そのやりとりの中、共生の中で新しい美しさが生まれるのではないだろうか。
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人間は動物の中でも特別な存在である、と人間は思っているが、本当にそうなのか?ということを追及する一冊。僕個人としては、人間も動物である、そして動物でいいではないか、という意見をもっている。
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リチャード・ドーキンスの《利己的遺伝子》の影響をかなり感じる一冊。全ては遺伝子が望んで起きていること。そして、その通りになることで全てが上手く回るのだ。
しかし、そんなアダム・スミス的、リベラリズム的な自由放任主義が最適解なのか…
『人間は本当に動物なのか?』
本の前提は人間も動物の一種であることのはず。だが、読み進んで行くうちに「そんな単純な話じゃない」と気がつく。気がついてしまった。
この場で、すぐに評価してしまうのは気が引ける。気になる以下の2冊の本を読んでからのまた考えよう.…
・リチャード・ドーキンス『利己的遺伝子』
・ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は動物である』
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日本の動物行動学の先駆者のお一人である故:日髙先生のエッセイ的な本。(2008年) 文章が知的でユーモアがあり面白いです。
3章から成り、表題作(人間とはどういう...)は、第1章だけですが、読み終えると、やはりタイトルをもう一度考え直してしまうから凄いです。
ドーキンスの「利己的遺伝子」説や、科学(学問)とは「ものの見方が変わる」もの、「共生」とはせめぎ合い…etc.動物から自然、教育や宗教、幽霊、頭の良さなんかにも少しずつ触れています。
言語がますます新しい概念をつくり、先生のいうイリュージョンや「美学」を生み出し、戦争をする、アンチ•エイジングに狂奔するー「人間」という動物は、果たして賢いのかー サラリと考えるきっかけをくれる本でした。
おまけ 以下、第1章より
“頭についてはこれでよいとしよう”(p.20「直立二足歩行」より)
“ぼくはそれをコム・デ・ギャルソン戦略と呼んでいる”(p.44)
“「コスト・ベネフィット」計算のことだ”(p.45「少子化の論理」より)
“遺伝子は残さなくてもよいから、ミームは残したい、と思う人もいる。(p.50)
“学習と遺伝は対立するものではなく、学習は遺伝的プログラムの一環であるということになる。なにを、いつ、どういう形で学習するかということも、遺伝的に決まっているらしい。しかし、それは種によってちがっている”(p.68)
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「人間はどう生きるべきか」ではなく、「人間とはどういう動物か」という視点で自然科学、動物行動学、哲学を描いた本。詳細を端折って丸めてしまっているところは読んでいてもやもやしたけど、ローレンツからドーキンスへの変遷はコンパクトにまとまっており、さらっと読むのにちょうどよかった。
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人間が体毛を失った理由として、水生哺乳類説は化石の証拠が出てこないし、ノミ・シラミ説はゴリラやチンパンジーに付かないため考えにくい。体毛を失って発汗することにより長距離を走ることができることが狩りを有利にしたという説が有力だが、狩りをしない女性も体毛を失ったことが説明できていない。
先進国で少子化が進んでいるのは、子どもに高等教育を受けさせることが結婚や孫ができる可能性を高めるが、その経費が大きいというコスト・ベネフィットで説明できる。
言葉は概念を整理するためにできたのではないか。それがコミュニケーションにも使われるようになったのではないか。
ローレンツは動物の攻撃性について、なわばりを設けること、食物の枯渇やすみかの汚染・伝染病を避けることによって、種の維持に有利になると考えた。現在は利己的遺伝子の考え方から個体自身の遺伝子を残すことに有利であると考えられている。
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表題の通り、人間が一つの動物であるところに立脚点を置いて論を進めている。しかし、表題に対する明快な答は得られない。
トリビアとなりえる様々な事象を紹介してくれた点では非常に興味深い内容だった。しかし表題の答えを知りたいと思う読者にとっては、すこし回り道が過ぎるかもしれない。特に第二章「論理と共生」では都市計画に関する記述に終始している部分もあり、本題との関連性の低さを思わせた。
雑誌等に掲載された著者の短編を集めているので、内容の重複も多々ある。特に「利己的な遺伝子」に関しては何度も出て来て、しつこいようにも感じた。
ドーキンスをはじめ、様々な動物行動学の学説を概観できるという点では、お手頃な本だと思う。読んでいて退屈な本ではなかった。