あらすじ
愛情を受けず病気を繰り返した幼少期、全国を回った皇太子時代、明治天皇の重圧と闘いながら病状を悪化させていった天皇時代……。明治と昭和のはざまに埋もれた悲劇の天皇像を明らかにした、毎日出版文化賞受賞作が待望の文庫化。
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Posted by ブクログ
文庫になったんや、と思って買ってから選書版を本棚から発見。でも文庫読み進めても読んだ記憶なし。買うだけ買って積ん読やったんかな。
明治、昭和の大帝の間で地味なのよね、大正天皇。在位期間も短いし、病気もあったし。遠眼鏡事件は聞いたことくらいはあったけど。しかし、人間味あふれるということと天皇であることの両立が病むきっかけとかツラいなぁ。
Posted by ブクログ
原武史による大正天皇の研究書。著者らしく、鉄道や行幸を丁寧に追うことで、ありありとした皇太子時代の雰囲気がとても良く伝わってくる。
また、それに対になるように、前後の明治と昭和との違い。その時の大正天皇を取り巻く政治的な思惑。それぞれの声を拾い上げて、イメージを作り上げるのは大変興味深い。
Posted by ブクログ
明治天皇、昭和天皇に比べ圧倒的にマイナーな存在の大正天皇。その生涯に光をあてた評伝。
即位するまでの破天荒なエピソードが面白い。激務で病状が悪化したことは間違いない。側近の苦労もしのばれる。
筆者の「押し込め」説も興味深い。
Posted by ブクログ
朝日選書で既読だったが処分してしまい、文庫になったのを期に購入。
人は生まれてくる時代と環境は選ぶことは出来ない。特別な環境に生まれることは本人にとってどうなのか。
偉大すぎる父、優秀な息子に挟まれた凡庸で病弱といわれた大正天皇の人間味溢れる生涯が書かれてある。
Posted by ブクログ
大正天皇の評伝
大正天皇と言えば、病弱だったという事と晩年は後の昭和天皇が摂政を務めたという事ぐらいしか知らない
あと、EXILEにいても違和感のなさそうな御真影とかねw
「遠眼鏡事件」もこれを読んでそんな事があったのかと知った
そんな病弱で精神的に問題があったというイメージも後付で作られたもので、大正天皇の実像に迫るという論旨になっている
ただ全部読み終わっても、結局は幼少期は病弱で、大人になってやっと落ち着いたけど践祚してからはまた体調を崩し、天皇として資質に欠けた人物という印象は拭えなかった
後にも先にも大正天皇の評伝は珍しいらしい
それは、大正天皇がある意味でタブー視されている存在である以上に、人物像を掘っても「面白くない」のもあるんじゃなかろうか?とも思った
偉大な明治天皇のようには振る舞えなかった
だからこそ、後の昭和天皇の教育方針や権威付けの成立に反面教師として周囲の意識に大きな影響を与えたという意味で、近代天皇制を語る上では必要な人物に思える
言い換えるならば、皇室に生まれてしまった病弱な凡人が唯一の後継者だったという、皇室の転換期の物語 かな
側室の子として生まれ、家臣の家で育てられ病気を繰り返した幼少期
病気による授業の中断により学習の遅れ
気心の知れた有栖川宮が教育係の東宮輔導に就いてからは、教育よりも健康を優先するようになったため以前よりはましになる
気晴らしと教育の遅れの補完のために各地に微行を行う事でより健康に
皇太子としての権威を示すより、自分の興味の赴くまま口を開き予定を変更するような軽率さ
大人になって行った行啓でも軽々と口を開く
4人の皇子(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)の父としては子煩悩の側面
形式的には一夫一妻制をとった(実態としては女官に手を出してたようだが……)
明治天皇が崩御されて践祚した後、以前と同じように窮屈な生活のため体調を崩しがち
政務を行えなくなったため、本人の意思に反して周囲が摂政を置くように画策
後の昭和天皇の権威付けのための印象操作
国体として強い権力の象徴であるべき天皇でありながら病弱という事態に対し
皇室の権威を維持するために、周囲が摂政として皇太子を祀り上げていく過程で作り上げられた近代の天皇制というのがよくわかる
ただ、その過程は一次資料は示されているものの、著者による憶測が多分に入り込んでいるため信憑性に欠ける
明治、大正、昭和と行われた行幸、巡幸、行啓、巡啓
それぞれの時代により意図が異なる
明治天皇の場合は、江戸から明治への転換による混乱を収めるためのもの
昭和天皇の場合は、国家主義の象徴として
では、大正天皇の場合はどうだったかというと、学習の補完、体調管理の一環、本人の要望等という印象を受けた
また、地方のインフラ整備にも寄与したというのも面白い側面だと思う
やはり、最後まで読んでも「凡庸だったんだなぁ」という印象は覆せない
その分、昭和天皇の評伝を読みたくなった
Posted by ブクログ
原著(朝日選書版)は2000年刊行。その後の史料状況の変化に合わせて加筆訂正した箇所はあるが、論旨はほとんど変わっていない。顕彰本以外では長らく単独の評伝がなかった大正天皇に対する史上初めての本格的研究として当時話題になった。「遠眼鏡事件」の風聞に象徴されるように、当時から精神病者としてのイメージが濃厚だった大正天皇だが、本書は皇太子時代の行啓・巡啓を中心にその行動を検証し、少なくとも青年期・少壮期は(規律や規則への不適応はあるものの)健康であったことを明らかにし、認知機能障害が顕在化して以降も「正常」な意思はあり、摂政設置は一種の「押し込め」であったと評価した。この「押し込め」説に対しては古川隆久が厳しい批判を行い、議論の応酬が展開された結果(いわゆる「賢君論争」)、学界では概ね否定的な評価が確定したようで、その点は注意が必要だが、大正天皇研究の出発点として依然逸することのできない成果であることは変わっていない。