あらすじ
戦後日本の中心には、常に「働くこと」があり、それがみなを豊かにすると信じられていた。しかし、そのしくみは、他ならぬ日本的「働かせ方」のグローバル化によって、破壊された。どこで道を誤ったのか。迷走する日本の労使関係の来歴をたどり、新たなしくみづくりに何が必要かを考える。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
1980年代、日本の製造業、特に自動車産業が圧倒的な競争力を持ち、アメリカの自動車メーカーを苦境に追い込んでいた。さすがにアメリカだな、と思うのは、その時に冷静に、「何故、日本の製造業は強いのだろう」という問いをたて、それを政府や大学がきちんと調査をし報告書にまとめ、対応策を実行に移し、結局は日本に対しての産業競争力を取り戻し、現在では圧倒しているということだ。何だか、第二次大戦での日本軍、日本国の失敗とアメリカの成功を思い起こさせる話ではある。
当時の日本の産業の競争力に話を戻すと、結局、日本企業の強みは、企業組織全体でみた連携の良さにあったのである。そのあたりを筆者は、下記の通り、詳しく書いている。
【引用】
まずもって、日本企業の強さは、働く一人ひとりが、惜しみなく自分の能力を企業経営のために提供するところにある。そのことを前提にして、一人ひとりの仕事を他の人とつなぎ合わせる、この能力を高めるとともに、組織としても効率的にかつ有機的に機能させるためだ。そうするには、個人が能力を高めるためのしくみや、組織として連携を高めるためのしくみが必要となる。それが、年功賃金、企業別労働組合、終身雇用だった。
年功賃金は、歳をとればただそれだけで賃金額が高まるというものではない。年齢と能力、そして企業に対する貢献度に連動する。だから、働く側は能力を引き上げるように自ら努力するし、経営側は終身雇用制度や従業員を訓練するための制度を用意する。
組織の連携を高めるには、働いている一人ひとりが、そこに参加しているという実感を得られることが大切だ。そのためには、さまざまな経営情報を共有したり、従業員間のコミュニケーションを重視したり、仕事上の権限を委譲するといったしくみが必要になる。企業別労働組合はその中核にいた。労働組合を通じて経営情報を従業員に流し、職場に起こりうる従業員のさまざまなトラブルを労働組合が解決する。そして従業員同士の仲間意識も、労働組合はつくりあげてきた。これは経営側と労働組合側双方の共通認識だった。
【引用終わり】
これ(リーン生産方式と言われる)が日本企業の強みであることを知ったアメリカ企業はさっそく、このやり方を取り入れる。それは、アメリカ企業の従業員の働き方を変えることでもあった。そして、日本企業の強みは強みではなくなる(誰もが同じやり方をするので)という形で、日本の日本企業で働く人たちに巡り巡って戻って来た。そして、日本企業は圧倒的な競争力を失った、というのが本書内で説明されているストーリーである。
日本の自動車メーカー、トヨタやホンダは、この方式でアメリカ国内に製造拠点を設け、そして成功している。それらの製造拠点では労働組合をつくらせなかった。そして、企業側は、このやり方は日本人労働者以外を使っても成功すること、そして、労働組合がなくても成功することに気がつかせた。これによって、日本企業の労働組合は交渉力を削がれた、と筆者は説明している。
その後、バブル経済の崩壊などを経て、日本企業はますます苦境に陥っていく。その中で、企業は非正規労働者を増やしたり、過労死が発生するまでの長時間労働を放置したりということをやっていくが、そういったことの一因は、上記のような経緯を経て、労働組合の交渉力がそがれたからだ。「働くこと」が必ずしもやりがいや働きがいにつながらなくなっていったのである。
話の道筋が分かりにくい本だったが、私が理解した本書の問題提起は上記の通りである。本書では、それに対しての対応策を提示しているが、これも少し分かりにくかった。
テイラーの科学的管理法から始まり、フォード方式、ニューディール政策、行動科学の考え方とアメリカの人事労務管理の歴史は変遷を重ねていく。それは、日本の人事労務管理史にも勿論影響を与えており、上記のブーメランの話を含めて、世界は意外とつながっているのだな、とも思った。
Posted by ブクログ
複業サラリーマンになろうと思い立った時から、「働く事」について考えてきました。
タイトルがそのものズバリの本を見つけたので読んでみると、サラリーマンという労働スタイルが、その始まりから「一人ひとりが自分の関わった仕事の成果がどのようなものであるのかを難しくさせる」事が課題だったと知り、物凄く納得しました。
働く事、特にサラリーマン生活について疑問を感じている人には、色々と得る事が多くとても面白く読めると思います。おススメです。
Posted by ブクログ
社会人になって数年経って、「何のために働くのか?」というストレートな質問に答えにくくなっている自分がいた。面接で会う学生さん、将来の子供に胸を張って話せるか…と思っていたときにタイトルに惹かれた。
結論から言えば、冒頭の問いに明確な回答をくれる本ではなかった。『論語と算盤』を読んだ方が納得感あると思う。
本書は労使関係、特に労働組合の変遷を辿ることで、過去には感じやすかった(ように思える)働くことの意義が、近現代の技術革新に伴って失われていったことに始まる。歴史の勉強という意味では学ぶことは多いと思う。
近頃、日本でも欧米のようなジョブ型雇用を導入すべきと叫ばれて久しいが、そもそも雇用形態がなぜ違っているのか?とか、日本企業が世界を席巻した時代の強さ等の歴史は読んでいて面白い。
後書きに「頑張るしかない、という結論にはしたくない」とあるが、そういう結論になっている感は否めない…。編集者から「結局どうしたらいいの?」と聞かれたともあったが、本当にそうだったのだろうなぁと、作者の苦悩も感じた。結論を出すのが難しいというか、結局は個人に委ねられる点が大きいからかもしれない。
Posted by ブクログ
「労使関係は参加型民主主義のもっとも小さな単位だ」という考えのもと、「なぜ働くのか」「どのように生きるべきか」という問かけをもとに、戦後日本の労使関係を紐解く。
グローバル化が進む現代において、迷走する労使関係の解決の鍵として、直接参加型の民主主義を説く。