【感想・ネタバレ】対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係のレビュー

あらすじ

夫婦・パートナー関係は、悪くすればストレスのもととなって病気の発症につながり、うまくいけば病気からの回復を支える力になる。筆者は豊富な臨床経験から、心の健康を決める重要な因子である夫婦・パートナー関係に対人関係療法を用いて光を当てる。現在パートナーとの関係にお悩みの方、今後の参考にしたい方などに。また、お子さんに問題を感じておられる場合、自らの夫婦・パートナー関係を振り返ってみるのも重要である。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

相手への不満は「期待していることが満たされていない」状態。何がどう満たされていないのか、そもそもその期待が相手の現実に合った妥当なものなのか。 #メモ

パートナーは「役割の変化」を支える。 #メモ

「重要な他者」との関係が心の健康を決める。 #メモ

「結婚前とは性格が変わってしまった」という場合、単に愛がなくなったわけではなく、単に熱病のような恋愛期が終わって本来の姿に戻っただけという人が多い。 #メモ

本来の姿に戻ったときが、ようやくお互いの「違い」に取り組むときがきたということ。変わったという事実だけに目を向けるのではなく、変化は変化として認めた上で、今何が2人の違いなのか、その違いがどのように自分にとってストレスなのかを見ていく。 #メモ

パートナーに対しては甘えが出るものなので、最も重要な相手のことを褒めもせず責めてばかり。 #メモ

パートナーとの関係に「運命共同体意識」を持ってしまうと「人格を持つ一人の他人を責めている」という実感があまり持てず、自分の一部を叱咤激励しているおうな気持ちになってしまう。 #メモ

「あなたがそんな服装でいると妻である私がセンスを疑われる」などと「自分の問題」として責任を持って語っているならまだいいけれど、「あなた、そんな服装でいるとセンスが悪いと思われるわよ」などと客観的な事実であるかのように語られてしまう。 #メモ

夫婦関係がストレスだけど、それはパートナーの努力が足りないからだ、と思っている人の場合、「自分が」取り組むということには抵抗が強い場合も少なくない。

改善の努力をするのは相手であって、相手が誠意を見せるのであれば自分も努力してもよい。もしくは自分ができる努力はすでに全部やっており、これ以上はどうすることもできない。と思っていたりする。

夫婦関係に取り組まないことによって自分の不満を示そうとして、何らかの取り組みをしてしまうと、まるで今までのことを水に流して自分から仲良くなろうとしているように見えるのではないかと思う。

人は他人から与えられた「正解」によって本当に納得して変わることはない。 #メモ

あらゆる対人ストレスは、役割期待のずれ。

自分は相手のことを知っているという思い込みを手放す。

現在の言動は、人それぞれの事情の総合的な結果。

話を聞いてもらうだけで事態が前に進む理由は、自分ひとりで考えていると、ネガティブな感情で頭がいっぱいになってしまって、前向きな気付きや思考の妨げになるが、安全な環境で口に出してみる(=ただ話を聞いてもらう)と、感情が現実的な大きさにおさまってくるから。

安全な人に自分の話をして、感じ方を肯定してもらうと、「こう感じて良いのだ」と安心し、自己正当化にエネルギーを使わなくて済み、結果として自分の感情へのとらわれがゆるみ、客観的な見方が可能になる。

「感じ方の肯定」は自分も一緒になって怒るという意味ではない。

不安は不安として語らないと「責められた」と受け取られることが多く、それが相手の防衛的な姿勢を生み、事態がさらなる悪循環に陥るということになりがち。

「言われなくてもわかるはず」という期待。「言わなくてもわかる」ことによって相手の愛情をはかろうとする。

愛情がなければとっくにこんな生活からは去っているはずであり、続けているということは何らかの愛情がある証拠だという考え。

--------------------
パートナーとの関係では、「相手のことくらいわかっている」という思い込みが強いため、相手の言動について「なぜそうしたのか」ということの確認を怠っている場合がとても多い。

不満を表す手段として沈黙する。沈黙しているのだから怒っていることがわかるはず、という思い込みがある。

沈黙はまさにコミュニケーションの打ち切りであり、努力の停止と言える。沈黙に事情はあるかもしれないけれど、沈黙からは何も改善されないという事実は変わらない。

「率直なコミュニケーション」という名のもとに怒りをそのまま相手にぶつける。

ただ不満という形で語られるときは相手に対する人格的な決め付けのように聞こえがちであるのに対して、「ずれ」として語るときには、お互いが参加してつくり上げるひとつの人間関係の姿が見えやすくなるもの。

役割の期待は具体的にしないと、ずれは解消しない。例えば何をもって「協力的」かは人それぞれだから。

必要とされていることを自発的に汲みとって行動することが重要だと考えている場合は、その役割の期待は「自発的な行動」ということになる。

多くを求め過ぎなのではなくて、現実的でないことを求めている。

「相手が気遣ってくれない」という場合、相手なりに最大限に気を遣っていることが多い。要は気遣いの「形」の問題。

不満から期待へとトーンが変わることによって、相手を攻撃する要素がなくなる。

自分が満足する結果を出すためには、相手の協力が必要。相手の協力がいらないことであれば、ここまで悩んでいるわけがない。

相手を強く攻撃すれば変わるはず、という変な思い込みをもっている。

役割期待のずれに取り組むためには、自分側の役割期待を整理するとともに、相手側の役割期待についても正しく知る必要がある。

「どちらが正しいか」を手放す。

介護、教育、経済的問題など新しいテーマが出てきたときは、役割の変化のとき。お互いがどんな変化を乗り越えているのかについて話し合う。

相手が聞ける時間に話す。「話を聞ける状態ではないときも話を聞くべき」などという役割期待をしてしまうと、それがかなえられることはまずない。

自分について何かを決めつけられると、それを「攻撃」ととらえる。すると自己防衛に入って、反撃したり自己正当化したりコミュニケーションを撃ち切ってしまったり、ということが起こる。

「あなた」ではなく「私」の話をする

私はこうして欲しいけれども、あなたにとってそれは現実的ですか?

期待のずれを是正するときも、マイナスの行動を減らしてもらうこととプラスの行為を増やしてもらうことと2通りのアプローチがある。後者を選んだほうが成果が得られやすい。「これが望まれている行動なのだ」と知ることができ、次からの行動の目安になる。

話し合いの場を持つことの重要性

キャンセルではなく、変更する。

過去のことが許せないと思うときには、それをそのままぶつける前に、何があってからその気持ちが強くなったのか、ということを考えてみると効果的。

心が傷ついているときの反応は、怒りという形をとることが非常に多い。これは、二度と傷つかないようにするための防御は反応みたいなもので、少しでも傷つけられそうな兆候を察知すると相手を激しく排除するという仕組み。

自分が生まれ育った家族から導き出した「人間とはこういうものだ」というデータベースを通してしか目の前の相手を見ることが出来ない。そしてそれは無意識に自分の対人関係パターンに組み込まれていることが多いので、自分が特殊なデータベースを通して見ている、ということにすら気づいていないことがほとんど。

「パートナーの親離れを支える」という役割を引き受けるのもひとつの選択肢。もちろん、本来なら結婚前に済ませておくべきテーマになぜ付き合わなければならないのか、と考えるのもひとつの選択肢。

いわゆる「嫁・姑」問題を細かく見ていくと、その根底に「良い嫁だと思われたい」という気持ちがあることに気づく場合が多い。自分はどう思われようと構わない、という場合には、相手は所詮他人なので違和感はあっても生活を支配するほどのストレスにはなりにくい。

嫁・姑は「ずれ」があって当然の関係性なので、「自分がきちんとすれば相手も自分を評価してくれるはず」という期待はそのまま満たされることはないと考えたほうが良い。

子供が生まれたときの変化の受け止め方の違い。よく見られる傾向としては、男性は「家族を養うためにもっと稼がなければ」と経済的責任をより強く感じる一方、女性は「子供を育てる」ということにより集中する。

親としての愛情と人間としての相性は別のもの。子供に対する親の接し方は親本人が自覚しているよりも個人差がある。でも、明らかな虐待でもないかぎり、子供は親のあり方に適応するだけの柔軟性を持っているもの。

別れについての基本姿勢は、「別れるなんてとんでもない」という狭い見方でもなければ、「嫌いな相手なのだから別れて良かった」という単純な見方にも終わらない。

別れるために人の力を必要とするケースは案外少なくない。

離別の場合には、相手の喪失については割りきれていても、既婚者という立場の喪失をなかなか受け入れられない、ということもある。

パートナーは自分の弱点が最も現れる相手。

0
2014年07月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

■パートナーを「重要な他者」と言われたときの感じ方


パートナーは間違いなく「重要な他者」に含まれるのですが
パートナーを「自分にとっては全然重要でない」という感じ方をする人も居ると思います。
それは自分の現実生活の中でパートナーが全く頼りになっていない、役に立っていない
あるいはむしろ足を引っ張っている、憎しみあっている、というような状況であるかもしれません。

講演会で面白い?反応なのですが
パートナーは重要な他者です!というと男性はうなずくが
女性の聴衆は「えー」というような反応が返ってきます。






■ふとしたキッカケで破綻

パートナーとの関係における手抜きの背景には
距離のある人との関係は儚く壊れてしまってもパートナーとの関係は
そんな簡単には壊れないはずだ、という安心感もあると思います。
特に子どもがいる場合には
実際に別れることは容易ではありませんし
子どもがいなくても対外的なことや生活の大きな変化を考えれば
「まあ、今のままでも仕方ないか」という結論に達してしまいがち。
普段の生活はそんなうえに成り立っている人も多いでしょうが、
どうしても看過できないような問題が起こってくると
こうした関係性の積み重ねも手伝って不和が顕在化してきます。

現在起こっている問題にプラスして
「妻はいつも責めてばかり」「夫は私の事を全く気遣ってくれない」という
長年の積み重ねが問題とされてくるのです。

0
2012年04月15日

「学術・語学」ランキング