【感想・ネタバレ】現代オカルトの根源のレビュー

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Posted by ブクログ 2016年02月18日

 たわ言である。

 本書がたわ言なのではなく、たわ言について書かれた本である。「思想というのは本来的に、一般の人が理解しているよりも、はるかに危険なものです」という著者のインタヴューをネットで見て手に取ってみたのだが、核にあるのはオウム真理教体験である。オウムの行状がどこに由来するのか、思想の面か...続きを読むらたぐってみたのが本書であり、それは著者が「霊性進化論」と名付ける思潮を辿ることになる。

 名前はよく聞く神智学、これがどういうものか本書でよくわかった。話は神智学から始まる。ブラヴァツキーというロシア生まれの女性が各地を放浪し、様々な宗教思想を取り込んで創りあげたのが神智学。輪廻をはじめ古来の思想に影響されながらも、進化論の影響が強いところが特徴で、人間は輪廻を繰り返し霊的に進化して神に近づいていくというもの。さらに人間の霊性進化は大師(マスター)との接触により促され、大師たちは「大白色同胞団」なる結社を作って人間の進化を陰で支えているのである。
 しかし大師たちは姿を隠しているので簡単には接触できない。そこで大師と交信するための超能力を獲得することが必要である。そのために修行をする。空中浮遊とか。
 他方、人間は霊性を失い、動物化する危険をも有しているのであり、人間を堕落させようという「闇の子」の結社もある。
 そして人間の霊性進化が進むと古い世界は滅びたり、動物的進化に走ってしまって滅びたり、いろいろ訳ありだが滅びるのである。
 つまり、霊性進化、陰謀説、終末論という三幅対。
 何ともお馴染みな感じがするのはフィクションであまねく行き渡っている設定、いや思想だからである。アストラル界だのレムリア大陸だの、ネタの宝庫である。また、神智学の流れをくむシュタイナーはシュタイナー教育で大きな影響を残している。
 ところが、霊性進化にアーリアン学説(アーリア人優等学説)、陰謀説にユダヤ陰謀説が結合するとこれはナチス思想の源流のひとつになるのである。

 以上がヨーロッパでの神智学の展開。第2部は英米のポップ・オカルティズム。ニュー・エイジ思想の一角を占めていくことになるのだが、ここで脱力。空飛ぶ円盤のアダムスキー、例のマヤ歴終末論のアグエイアス、そして爬虫類型異星人陰謀説。トンデモ本の世界である。
 こんな話を一生懸命紹介している著者が可哀想になってくるほどだが、しかしこれらが一定の支持を集めているということも事実である。

 そして第3部は日本。ひとつは神智学系ヨーガの流れで、阿含宗が生まれ、そこから麻原彰晃が台頭してくるのである。オウム真理教による殺人は、霊性進化を遂げない人間を殲滅し、霊性進化を遂げた人間の国を作るという思想に裏付けられているのである。
 他方、スピリチュアリズムと神智学の結合からGLAが生まれてくる。これは先頃亡くなった平井和正が入信して作品が神がかってしまった宗教団体である。『幻魔大戦』シリーズなどではまさに霊性進化論が出てくる。そしてGLAから分派してきたのが幸福の科学なのである。その教義は実に壮大だが、神智学との共通点がしっかりと保たれているし、爬虫類異星人陰謀説まで取り込んでいるという。

 「思想は危険」と本書でははっきり言われているわけではない。しかし霊性進化論の系譜は純然たる誇大妄想の体系に帰着してしまうと述べられる。すなわち、霊的エリート主義の形成、被害妄想の昂進、偽史の膨張。
 思想は危険であろうか。イスラム原理主義者の残忍性に対して、ふつうのイスラム教徒とは違うと擁護されるが、あの不寛容さはイスラム教の教えに内在するものであるとはいえないか。それは何もイスラム教だけが悪いわけではなく、ユダヤ教やキリスト教に共通するものではないだろうか。その危険性を抽出して認識することも必要な営みなのではないか。もちろんアジアの宗教にはまた別の危険が潜んでいるかも知れない。
 思想の自由は権力や暴力に向き合う個人のためにある。権力や暴力の背景にもそれぞれの思想があり、たわ言呼ばわりできているうちはいいが、力ある思想には必ずしも自由を与えてはならないかも知れないのだ。

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Posted by ブクログ 2013年09月30日

「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
たとえ、山を動かすほどの完全や信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」
(使途パウロのコリント信徒への手紙1 13章)



「スピリチュアルや宗教お断り」とか、苦手だという人が多いのも、
それが往々にして、「...続きを読むハラスメント」と結びつくようになるからだろう。

それは、反動として人々をまた、無神論・唯物論という過ちへと駆り立てることにもなる。


ちくま新書の『現代オカルトの根源』(大田俊寛)に、「幸福の科学」が取り上げられていたのに驚く。

GLA,オウムも、またスピリチュアルや神智学の影響を受けている。
宇宙人論というのも、オカルティズムの世界的状況からすれば、実はそこまで奇異なものではないという。


要するに、常識外れのオカルトは何もK会だけの専売特許ではない。

神秘思想や、オカルトの類は、古代から連綿と続いてきている。

すべての、壮大な霊や魂、神や宇宙論が、「単なる誇大妄想」で一笑に付されるべきではない。


問題は、それが、「妄想の体系」になったとき、差別を生み、カルトを生み、被害者意識を生み、事件まで引き起こすということである。


そこで、私は冒頭に挙げたパウロの言葉を忘れてはいけないと思うのである。

どんなに壮大な世界観や真理を知識として知っていて、
議論で論破しようとも、
基本的な愛がなければ一切は無意味なのである。

パウロのこの言葉は、「カルト」を防ぐ防波堤である。

「心を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛せよ」というイエスのことばも、
つまりは、「倫理なき宗教、道徳なき信仰は無意味である」ということだ。


私は、神学を用いて議論や論争にふける学者よりも、
聖書を読めないものの、愛を知り、人に親切にすることができる子どものほうが立派なキリスト者であると信じる。


私たちは、どんなに壮大な世界観を知っても、(知らなくてもよいが)、
基本には、愛がなければならないし、
知識がその愛を妨げるようなことがあってはゆめゆめならない。

むしろ、愛を増すための知識でなければそれは偽りであろう。



ブッダは、死後の生命の存続や、宇宙の無限か否かという議論について、明言するのを避け、
その代わり、魂が穏やかになる方法を説いた。


一応、私は輪廻を肯定する立場であるし、オカルトも否定はしていないが、
それを追求するあまり、仮論にふけり、己の心と行いを見失うことは本末転倒と言わざるをえない。


あくまでも、魂や霊界という概念は、「追求」や「探究」の範疇ではなく、
私にとっては、魂の修行の上の「前提」や「仮定」として「あったら便利」「つじつまが合う」程度のものである。


神を「対象」にしてしまうことは、
神を自分の延長にして、理解の範疇に押し込めてしまう極めて傲慢なことだろう。
そして、謙虚さをわすれ、それを他人を裁くための道具とすることは、イエスが最も嫌ったことに他ならない。


私たちは、オウムの痛みを覚えていなければならないし、K会の痛みを忘れてはいけないと思う。
しかし、その痛みというのは、理論を超えて、実は人間にとって良心という本質的なものを示してくれる、魂の声なのだということ。


「キリスト教が上、仏教のほうが平和だ、いや、それらは過去の教えだ、これからは新しい救世主が・・・」
という議論は良いのであるが、それはどうでもいい。

「だから、何なのだ」という話である。

あなたの属する教団や宗教や教祖や開祖が偉かろうが、それはあなたの魂が優れていることを示すわけではない。
むしろ、入り込めば入り込むほど、それはあなたを盲目にさせる。

問題は、あなた自身の魂の世話をすることにほかならないし、
ブッダも、ソクラテスも、それを第一になすべき勤めと説く。



「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るようになる。」
(ヨハネによる福音書 13章)

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Posted by ブクログ 2023年12月05日

スピリチュアルもUFOも、ヨーガによる覚醒も、オウム真理教や幸福の科学、そしてそれらの源流となったいくつかの新興宗教の教義も、それら現代に息づくオカルトは、「神智学」という根を持っています。

さらさら読めてしまう新書の範囲内に収まる本ではありますが、それでもそれぞれのオカルトの要所要所をつかんで書...続きを読むかれているので、かなりくわしく読んでいくことができます。しかしながら、荒唐無稽な妄想ともいえるものをたくさん扱っているので、終盤にあたる現代日本の新興宗教までいくと、そうとう疲れてしまいました。

プロローグでオウム真理教の教義に触れているのですが、努力して進歩していこうとする「人間」と快楽におぼれて堕落した「動物(的人間)」という二元論を用いて、動物を駆逐して人間の王国を作ろうと信者を扇動しサリン事件を起こしたことを示していました。1980年代の東西冷戦時代、資本主義でもなく社会主義でもない宗教の王国を目指したのがオウムで、70年代から流行したノストラダムスの大予言に代表される終末思想が広く世の中に浸透していたことがその土台となったのでした。オウムはそういう土台の上での「排除の論理」だったか、と気づくに至りました。

時代と同期して生きていたら、その時代の最中では疑問に思いにくい領分ってありますし、その時代に勢いのある領分の論理に論破されて同化をせまられて困ってしまいそうな場面なんてものが、けっこうかんたんに思い浮かんでしまいます(マスメディアとか、テレビとか。大きなものを共有して時代と同期していると、そのときどきって、同期している感覚無しに同期してしまっているものなんだと思うのです。いまは、インターネットがそれにあたるのかもしれません)。はたまた、そんな彼らに冷笑や嘲笑を浴びても、それだけでは教義や宗教的信条が論理的に破綻しないので、冷笑などはレベルの低い者からの迫害であって、レベルの高い我々信者はそれらを乗り越えてみせなければならない、なんていう宗教的使命を強化させもしてしまいます。この「教義の頑健さ」が厄介です。そして、教義を形作る源に、「神智学」があります。

人間と動物(動物的人間)という分類にあらわれている「二元論」や、最終戦争が来ると予言する「終末思想」、そして「排除の論理」などは、オウム真理教独自のものではなく、19世紀にブラヴァツキーが誕生させた「神智学」を祖としていて、そこから無数に枝分かれしたうちのひとつに過ぎないのでした。



「神智学」を誕生させたブラヴァツキー夫人は、母親が小説家だったこともあるのでしょうが、幼少時には物語を作って周囲を楽しませる才能に長けていたと言われているそうです。ブラヴァツキーは7つの根幹人種というものを想定しています。現人類は第5根幹人種に位置し、第7根幹人種まで行くと、霊性としての進化が終わる、すなわち、完成されるという論理になっています。

「神智学」以来のオカルトは、輪廻転生のシステムをデフォルトとして備えています。霊性(≒魂)が生まれ変わりながら繰り返しこの世の肉体を持った生命として修養を積み続けて霊性を上げていく、という考え方です。著者はこれを「霊性進化論」と名付けているのでした。

ブラヴァツキーの「神智学」に影響を受け、神智学協会で力をつけていったリードビーターという人物がブラヴァツキーの次に挙げられているのですが、彼は神智学に傾倒する以前に『来るべき種族』という小説を愛読し、自身でも幻想的な物語を作ることを好んでいたそうです。彼はインドの貧しい少年・クリシュナムルティを新たな教団「東方の星教団」の教祖に据えて、神智学を展開していきます。しかし、16年経って、クリシュナムルティが救世主的役割である「世界教師」という立場を自ら否認し、教団は解散します。

読んでいるといろいろ出てくるのですが、ブラヴァツキーにしても自分には霊能力があると見せたがって、詐術に走っているんです。霊能力というのは最大のカギですから、最近の宗教でもそこには最大の注意を払わなければいけません。霊能力が信者を取り込み、教義を信じさせる最大のカギであることを、霊能力を使えるとする側はしっかりわかっているので、誰かが「霊能力なんてそんなものないでしょ?」と疑問を呈したり否定したりすると、霊的な位からするとザコだだとか、悪魔かあるいは悪魔の手先か何かに指定されるとかされて、攻撃すらされかねなくなります。そういうことを無しに教義を展開するような公正さのないところが、「神智学」以来の新興宗教やスピリチュアルの弱点だと思います。それと、UFOや宇宙人のオカルトにすら、その根源に「神智学」の論理があります。なので、UFOフリークでもやっぱり排外主義的な心理傾向を陥りがちなのではないかと思います。


さて、話を進めていきます。19世紀半ば、フランスのゴビノーによる『人種不平等論』で、「黒色人種は知能が低く動物的、黄色人種は無感情で功利的、白色人種は高い知性と名誉心を備えている」とされましたが、その源には、「インド・ヨーロッパ語族」という言語分類の学問的発見によって派生した「アーリア人」という概念があったということです。「アーリア」はサンスクリット語で「高貴さ」を意味し、インドに侵入したサンスクリット語を話す人たちが自らを「アーリア」と称していて、そんな彼らが北西に進路を取りヨーロッパに入ってヨーロッパの人たちの祖となっているとしたことから、「アーリア人」が生まれたそう。「アーリア人」は神智学の第5根幹人種のことを指します(神智学は、これらの学説から多大な影響を受けてできあがっているのでした)。アーリア人種は白色人種の代表的存在で、インド、エジプト、ギリシャ、ローマ、ゲルマンといった主要な文明は彼らによって築かれたとされます。それで、19世紀末に『一九世紀の基礎』(チェンバレン著)によって、アーリア人種の中でもゲルマン人こそがもっとも優れているとされたのでした。

この先鋭化が、ナチスドイツのイデオロギーを支えたわけで、ナチスドイツへの国民の熱狂っていうのは、いわばオカルトに飲み込まれていたということだと言えるのだと思います。もうすこし詳しく見てみると、アーリア人のうちでもゲルマン人がとくに優秀とする学説と神智学が結びついたものを「アリオゾフィ」といい、ドイツに「アリオゾフィ」を説くトゥーレ協会(宗教結社)ができあがります。そして協会はトンデモ政党のドイツ労働者党を結成し、それが後にナチスと改称したその翌年にヒトラーが第一書記に就くのです。やっぱりオカルトに飲みこまれてそうなったんです。



ここからは「これは言い得ている!」と思った箇所の引用をふたつほど。
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これまでいくつかの例を見てきたように、この世は不可視の存在によって支配されているとするオカルティズムの発想は、楽観的な姿勢としては、人類は卓越したマスターたちに導かれることによって精神的向上を果たすことができるという進歩主義を生み出し、悲観的な姿勢としては、人類は悪しき勢力によって密かに利用・搾取されているという陰謀論を生み出す。(p160)
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→昨今注目されている陰謀論って、こういうところからも生み出されてきます。

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古来、悪魔や悪霊といった存在は、不安・恐怖・怨念といった否定的感情、あるいは過去に被った心的外傷を、外部に投影することによって形作られてきた。近代においてそれらは、前時代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが、しかし言うまでもなく、それらを生みだしてきた人間の負の心性自体が、根本的に消え去ったというわけではない。そうした心情は今日、社会システムの過度な複雑化、地域社会や家族関係の歪み、個人の孤立化などによって、むしろ増幅されてさえいるだろう。一見したところ余りに荒唐無稽なアイクの陰謀論が、少なくない人々によって支持されるのは、(中略)現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。(p178)
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→これは爬虫類型宇宙人(レプタリアン)の存在を強く主張するデーヴィッド・アイクというイギリス人の節での文章です。不安や被害妄想を緩和するなにか別のもの、あるいは受け皿となるものが他にあるといいのに、となりますよね。



というところで、まとめにはいっていきます。たとえばオウム真理教であらずとも、「理想郷・シャンバラ」っていうユートピアを掲げる神智学由来の宗教者や思想家が数々いることが本書からわかります。そうやって様々なところから同じ言葉や理想像が出てくると、連作短編を読んで受ける感銘に似た印象的なインパクトがその人の心理に生じやすいのではないでしょうか。神智学も、それ以降の流れのものも、それまでのいろいろな宗教教義を折衷しています。そして、とんでもないくらいの想像力でそれらの隙間を埋め、あるときにはひとつ上の段階でまとめあげて融合させたりしています。

それらを踏まえて。
まとめて言うならば、これらは「壮大で超強力なフィクションである」と僕は言い切ることにします。

最後に、神智学由来のオカルトの害について、本書の「おわりに」から要約的に紹介します。

(1)霊的エリート主義の形成:霊性進化論の信奉者は、みずから修養に励むことで他の者よりも自分の霊性が高いと信じることになる。また、信奉者たちの格によって序列が生まれ、格の高い者の意思に服従するという構造が生まれてしまう。対極的に、霊性の低い者には、「悪魔が憑りついている」「動物的存在に堕している」とされて、差別や攻撃の対象となる。
(2)被害妄想の昂進:霊性進化論の諸思想を知り、それらを信じることになると、世界の見えないところを知ることができたという興奮や喜びを信奉者は得ることになる。しかし、それらの団体が拡大していく影響で批判にさらされるようになると、闇の勢力によって攻撃・迫害をされているのだと思い込むようになる。そればかりか、闇の勢力による真理の隠蔽であり、闇の勢力が広範囲にネットワークを作り上げていて人々の意識を密かにコントロールすらしているという陰謀論の体系に発展していく。
(3)偽史の膨張:「人間の霊魂は死後も永遠に存続する」という観念を近代の科学的な自然史や宇宙論に持ち込もうとする。その結果、地球が生まれる前から人間の霊魂は存在していた、という奇妙な着想が得られていく。この論理によって、地球が存在する前から、人間の魂は他の惑星で文明を築いていただとか有史以前に科学文明を発達させていたなどという超古代史的な妄想が際限なく展開されていく。その結果、歴史は、光と闇の勢力が永劫にわたって抗争を繰り広げる舞台となり、両者の決着がつけられる契機として、終末論や最終戦争論が語られるもするようになる。

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Posted by ブクログ 2019年01月04日

進化論の登場によって迷信と化して行き場を失った古来よりの宗教的心性を持つ者が、その進化論を取り込んで新たに作り出したのが神智学であり、軸となる考えが霊性進化論だという。霊性進化論そのものが、次々現れるオカルティストに引き継がれては古今東西のありとあらゆるオカルト的なものを引き寄せては取り込む霊的存在...続きを読むそのものに思える。SF作品によく登場する高次元生命体のプロットもこの霊性進化論をヒントにしているのだろう。

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Posted by ブクログ 2017年12月18日

現代オカルトの根源というタイトルそのままの内容。これらを霊性進化論の諸相という観点で総ざらいしている。オカルトに対して引いて引いての視点。ひとつの見識としてある話だと思う。少なくとも、こういう視点を持つことは大事。高級低級の二元論から階級志向といような話については、そういう性格をこれらに見出すことは...続きを読むできるかもしれないけど個人的にはちょっと違和感があるかな。とはいえ面白い一冊だった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2015年11月12日

評価:★★★★☆

もう随分前になるが、グノーシス主義に興味があったことが一時期あって、そのときに大田俊寛の本を買おうとしたことがあった。

その本は彼の処女作にあたるものだったが、既に絶版であり、古本でもちょっと高価だったので結局手に取らずじまいとなった。

それから時間がたって先日、ニコ生に出演...続きを読むしている彼を見たらその話がとても面白かったので、著作の中で一番手を出しやすい本書を買ってみた。

本書を読むまでの僕のオウム真理教に関する理解は、「チベット密教をカスタマイズしたもの」という程度だった。

ところが本書によると、どうやら麻原彰晃は、チベット密教から直に影響を受けたというよりも、カリフォルニア経由で変質した東洋思想や神智学に影響を受けた、かなりニューエイジがかった人だったようだ。

そう考えると、中沢新一を始めとした学者や文化人たちが麻原を好意的に評価したのも頷ける。

言ってしまえば、“同じ穴のムジナ”だったということだろう。

とにかく今の世の中がイヤで仕方がないから変革しようという、世が世なら革命家になりたかったようなペテン師たちだ。

結局、共産主義が挫折して、経済の面で社会を変革するのに失敗したから、今度は精神面でリベンジ!というわけで、そういう時代が麻原にある種のオーラをまとわせたことで東大出のエリートがコロッといってしまったのだろう。

幸福の科学の大川隆法も含めて、こういう感じのカルト宗教をやる人たちは、皆おなじような所に出入りしているというのも、笑えるというか笑えないというか。

子供にシュタイナー教育を受けさせたくてオーストラリアに移住した劇画原作者の雁屋哲さんにもぜひ読んでいただきたい一冊。

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Posted by ブクログ 2015年08月31日

輪廻する霊魂を歴史の果てに進化させ、神の高みへと到達する
そのような大目的のために人が生きるのだとすれば
いま現在あなたが直面する苦境は、あなた個人のものではない
それを乗り越えるための努力は、霊魂の集合知として
回収されるだろう
だからあなたの生には意味があるのだ、という世界観を信じることで
救わ...続きを読むれる人の心は理解できる
しかし一方、それは安易に選民思想・レイシズムへと
堕するものでもあった
つまり獣欲にのみ忠実な者どもは切り捨てられるべきであると
…ナチスドイツ、オウム真理教、その他多くの先鋭集団が
自分たちこそ「神人」であるとして、それを疑わなかったのである

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Posted by ブクログ 2013年11月26日

「しかし、はたしてわれわれは、その思想を一笑に付して済ますことが許されるだろうか。それもまた、余りに一面的な短見と言わなければならないだろう。なぜなら、宗教と科学のあいだに開いた亀裂、すなわち、科学的世界観や物質主義的価値観のみで社会を持続的に運営することが本当に可能なのか、長い歴史において人間の生...続きを読むを支え続けた過去の宗教的遺産を今日どのように継承するべきかといった、霊性進化論を生み出す要因となった問題は、根本的な解を示されないまま、今もなおわれわれの眼前に差し向けられているからである」 ー 245ページ

科学主義に対応するかたちで神秘主義が隆盛を極め、そしてその極端なかたちのものが出てきてしまうというのは時代を象徴していたのだろうなあと思うけども、少なくとも人々が科学的な世界観を盲信しているからこそ本書で挙げられているようなカルトやらなにやらを忌避しているのではなく、それがあまりにも極端な視座をもっているからということに他ならない気はする。言い換えると、そんな極端にみんな科学主義をとっているとは到底周りを見ていても思えないのだけど、それは時代やら環境やらの問題なのだろうか。

まあ両極のもう一方、ごりごりの科学主義については過激な神秘思想のように弾圧されることもないだろうから、著者が展開したい主張というのも理解はできるんだけれども、別に科学主義と対立せずとも、宗教的遺産を継承するという道はどんどん形成されていっているように思えるし、今後はこういう二項対立が現実に即さなくなってくるのではないかなあと予測。

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Posted by ブクログ 2013年08月28日

なんでこんなん信じるんだ,という話だが,魅力的なんだろうな。人間は霊的に進化し続ける。で,堕落する獣人と高みへ歩む神人に別れてゆく。自分は選ばれし者。あいつらは愚かにも真理に気付かず動物化していくのだ。何とも排他的,自己陶酔的,被害妄想的なことである。
そういう霊性進化論の潮流を,19世紀末からの神...続きを読む智学,反ユダヤ主義・アーリア人種至上主義,戦後にポップ化されたニューエイジ系諸思想(超古代史,UFO・宇宙考古学,マヤ暦,爬虫類人陰謀論)を経て,日本のオウム真理教,幸福の科学までざあーっと見ていく。前半はあまり馴染みがないが,後半はなかなか面白く読めた。

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Posted by ブクログ 2013年08月05日

読めるところだけサラッと読んだだけなのですが
トンデモ世界を一笑に付すだけに終わらせず
専門家によるしっかりとしたチェックはYはっぱり必要なんだなあ~と。

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Posted by ブクログ 2013年08月04日

現代オカルティズムの根源である霊性進化論は、伝統的宗教世界を根底から否定するダーウィニズムのカウンターとして生まれたものだという自説に基づき、そこから現代に至るまでの霊性進化論の歩みを論じている。霊性進化論は心霊主義や神智学となり、さらにそこからさまざまに枝分かれしつつ多様なオカルティズムを生んだ。...続きを読むある主義は持論を裏付けるために科学的根拠を提示しようとしたりと、もう矛盾もへったくれもなくなっていくところがまたおもしろい。一方で、それは世紀の大量殺戮を生んだ恐ろしい歴史でもある。

信じることは、いつか自らの血肉となる。一般にはまったく理解の及ばない、あやうい信仰も、その根源にさかのぼると「自分が信じてきたものが失われてしまうことへの恐怖」という、とても素朴な人間の感情に基づくものだったことを思う。

普段、私たちには「葉」や「木」しか見えない。それさえも見ないようにすることも多い。だけど、オカルティズムそのものの歩みという「森」を俯瞰することで、はじめて見えてくるものがある。そういうことを気付かせてくれる、おもしろい本だった。

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Posted by ブクログ 2013年07月26日

 ブラヴァツキー夫人に端を発する神智学。その中心的な考え方である「霊性進化論」がどのように現代まで受け継がれていったのかを紐解いている。様々なものを吸収しながらも現在まで途絶えることなくその考えが受け継がれていることに驚きを禁じ得ない。
 複雑に入り組んだ神智学の系譜を丁寧に説明していて分かりやすく...続きを読む、神智学の入門書といっても良い内容となっていた。
 しかし同時に危うさも感じた。それはこれまでオカルト方面に触れて来なかった、つまりオカルトに免疫のない人が本書を読むことによって神智学にのめり込んでしまうのではないか、という危惧である。社会に対する不満や批判に対する答えが神智学の起源でもある。今、社会に対する漠然とした不安を持っている人が神智学という解決策を示されることによって踏み込んでしまうのではないかということである。だからといってすぐに反社会的な行動を起こすわけではないだろうが、ナチスやオウム真理教が神智学から発展した組織であることを鑑みると不安を感じてしまう。

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Posted by ブクログ 2017年06月25日

高次の存在からの指導の下、輪廻転生の中で己の魂を高みへと引き上げる。悪しき存在の誘惑にもかかわらず人類皆が高みへ登ればそこにユートピアが誕生する。

このように人間の魂は進化・成長し高次の存在となることができるという「霊性進化論」の考え方は19世紀後半「神智学」を展開したブラヴァッキー夫人にまで遡る...続きを読むことができ、
それは当時の社会状況グローバル化や進化論に影響を受けて誕生したものだった。

そこから時代を経てUFOや爬虫類異星人、フリーメーソンの陰謀などの要素を取り込みながら現在の新興宗教やオカルトの中にその命脈を保っている。

著者曰く、この霊性進化論はこれまでの歴史から生産的ではないということ、誇大妄想に陥ることが常であるとの帰結に至る。
それは「霊性進化論」という思想がゆえに抱える負の側面であると述べる。


本書を読み進めれば霊性進化論の考え方が生まれた当時ならまだしも、何故現代にいたるまでその血脈にある宗教が存在しうるのかという点に疑問に思う。また多くの読者もそう思うであろう。
しかし、著者曰く一笑に処することはできないという。
何故ならこれらの存在は科学的・物質的な価値観や世界観で社会を存続させることができるのか。宗教がこれまで支えてきた人間の“生”をどう科学的世界観との間で橋渡しできるのか、という問いを投げかけているからである。
オカルトや新興宗教、ニューエイジ思想などに興味のある方は一読の価値がある。

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