あらすじ
デマ、流言、口コミ、風評、都市伝説・・・・・・。多様な言葉を持つうわさ。この「最古のメディア」は、トイレットペーパー騒動や口裂け女など、戦後も社会現象を巻き起こし、東日本大震災の際も大きな話題となった。事実性を超えた物語が、人々のつながり=関係性を結ぶからだ。ネット社会のいまなお、メールやSNSを通じて、人々を魅了し、惑わせるうわさは、新たに何をもたらしているのか――。人間関係を噂から描く意欲作。
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Posted by ブクログ
本書を読んで興味深かった点をいくつか下に記す。
①「朝鮮人来襲説」
関東大震災後、日本にて流布したうわさ。最初は「朝鮮人が放火している」という話からはじまったそうだが、つぎには「井戸に毒を投げこんでいる」という内容に飛躍、さらに「朝鮮人が襲ってくる」というふうに変化した。このうわさに日本各地で自警団が組織され、最終的には「自衛」と称して朝鮮人やそれらしき人が虐殺されるに至った。とくに、朝鮮人が「井戸に毒を投げこんでいる」といううわさは、中世にユダヤ人が迫害され虐殺された際に蔓延したものとまったく同じ文句である。
②うわさの公式
ゴードン・W・オルポートとレオ・ポストマンの共著『デマの心理学』によれば、うわさの強さ(流布量)=当事者に対する問題の重要さ×そのうわさについての証拠のあいまいさ、という公式が成り立つという。著者は、この公式が掛け算となっていること、すなわちどちらがかけてもうわさは成長しないことに注目する。
うわさを科学してみるというべきか、たかがうわさなれど、冷静に分析するとじつにおもしろい社会現象である。いつの時代にもうわさはあり、歴史には明記されず仕舞いがほとんどだが、事件の背後にはかならずうわさがある。目にはみえないが大きな影響力をもつこの媒介物に視点をおくことで、いままで表面的にしかみえなかったものがより立体的に理解できるようになるかもしれないという期待感をもった。
③うわさはときとして真実を語る
清水幾太郎は『流言蛮語』にて、言論統制下のために顕在化が禁じられた世論が流言蛮語として流出するとする。対して、体制化にとって不都合な情報が「うわさ」とされることもあることを指摘する。こうなると、うわさはときとして真実の叫びにもなる。
④うわさは人と人との関係を結ぶ
著者は、共通の話題として、関わり合いの薄い人とでもうわさ話なら話がつづくという。気持ちの共有への欲求が、うわさ拡散の原動力となる。本書によれば、戦時下や災害時にうわさが流れやすいようだが、極対極となる際にうわさがはたす役割は大きいように思う。うわさは人をまとめる力があるが、そのうわさには仮想敵が存在する場合が多い。ユダヤ人しかり、朝鮮人しかり、だれかが自分たちの不幸を招いているというようなうわさがそれだ。うわさはよくもわるくも、社会の鏡となって人の心を映すようである。
⑤「連絡可能な知り合い」
若者を中心として、連絡先に登録されている件数が実際の友人数より圧倒的に多いことについて、著者は「連絡可能な知り合い」の増加ととらえ、「ケータイが電話以上に手軽で維持したい”つながり”=関係性を維持するために用いられていた」とする。著者の見解をあやまっているとは考えないが、はたして実際につながる連絡先はいくつあるだろうか。実際に連絡をしたことがある人はそのうちの何人なのだろうか。わたしも若者のひとりとして体感していることなのだが、連絡先の件数、SNSの友人数ほどあやしいものはない。ここで考察すべきなのは、なぜそうまでしてたくさんの連絡先を登録し、それを維持しようとするのかということではないか。著者は、うわさの肯定的な要素として、人と人とのつながりを生むことを説くが、そのつながりこそが若者をある種の強迫観念に晒す凶器になりうる場合もあるだろう。
以上、著者によって紹介された例や古典の名著などはどれも興味深く、より深く知りたいと思った。
Posted by ブクログ
戦時中に流行ったうわさや、
70年代にはみんなが知っていた口裂け女のうわさ、
銀行破たんのうわさから、当て逃げ集団のうわさ、
ワンギリで大金の請求がくるといううわさなどなど、
一度は耳にしたことのある、
そして、もしかすると、
いまでもそれは本当だったのだ、
と記憶しているようなものまでを扱って
うわさを見ていくような本です。
全6章からなっており、
最後の6章目は現代に入ってからの、
込み入っていて、そして身に覚えのある身近なうわさの
メカニズムを解いていくような内容になっています。
とはいえ、うわさの起こる動機など、
うわさが生じるときの精神分析的な解析は行われていません。
精神学的というよりは、心理学的で社会学的な性格の論考でした。
著者はケータイなどのコミュニケーションについて、
学識に優れているひとらしく、
インターネット以後のコミュニケーションについての解説が、
わかりやすく深かったです。
たとえば、メールの非同期性と記録性といった面から、
メールの情報を伝えるメディアとしての性質、
そして、メールでのコミュニケーションの性質をあかるみに出し、
そういった面から、うわさの発生の仕方、
伝達の仕方などを解いていく。
インターネットの場合でも、
その記録性や、増殖性、などを見ていって、
うわさの伝達、発生、終息までを解いていきます。
そういうところは一番おもしろかったです。
ただ、本書の大半は、インターネット以前のうわさについてのものでもあり、
そこらあたりに物足りなさを感じる人もいるかもしれない。
しかし、うわさというのは、ただ情報を伝えるばかりではなく、
ひととのコミュニケーションのネタとして役立つ面があったり、
「おわりに」で書かれているように、
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情報であると同時に、事実性を超えた「物語」である。
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ということでもあるようです。
本書半ばでは、
コミュニケーションは、道具的な面と自己目的的な面とがあると
教えてくれるところがあります。
道具的な面とは、情報の伝達としての役割を意味し、
自己目的的な面とは、情報の中身など実はどうでもよくて、
なにか言葉を交わし合うこと自体、その行為に意味があるということでした。
この自己目的的な面については、
T・カポーティが『草の竪琴』で書いた言葉、
(これはこのブログで何度か紹介していると思います)
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話の内容というのはさして大切なものではないんです。
大切なのは、信頼をもって話し、共感を抱いてそれを聞く、
そこにあるんですよ」
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が、如実にその意味するところを表現しています。
また、本書では、うわさとともに、
終盤では風評被害についても扱っています。
0と1という分け方でリスクをみるのではなくて、
0と1のあいだのグラデーションでリスクをみるという
あいまいさに対する耐性が大事だという結論で、
興味のある方はぜひ読んでほしいところです。
デマ、都市伝説、ゴシップ、流言…。
いまなお、そしてきっとずっと未来まで、
そういったものがつきないのが、
人の世なのかもしれません。
こういう本を読むことで、
ちょっと引いた感覚で、
これからは口コミの話題に触れるようになれるかもしれない。
翻弄されすぎないために、知っておきたいこと、
ですよね、この分野って。