あらすじ
胃ろうを勧められたけど造るべき? 拒否したらどうなるの? 在宅医療に切り替えたいけど、病院は許してくれるの? 抗がん剤をギリギリまで打つことに意味はあるの? 食べたら死ぬよと言われたけど、最期くらい、食べてもいいのでは? 大病院のお医者さんには聞きづらい、あんなことやこんなこと。その答えが本書に!
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Posted by ブクログ
人は誰しも必ず死にます。年がら年中死について考えるのは病的ですが、全く考えないというのも、なるほど病的なのかもしれません。
1970年代後半を境に、自宅で亡くなる人の数と病院で亡くなる人の数が逆転したそうです。昔は自宅で家族に見守られながら、自然に平穏死する人が大半だったのです。
どうすれば平穏に最後を迎えられるのか。誰もが、一読して考えるべき重要なテーマです。
近い未來
67歳です。今は元気ですが、死はそれほど遠い未来ではありません。延命処置はするなと毎年誕生日に文書で家族に渡しています。
でも、自分がその状況に成ったとき意識が朦朧としていても、1日でも長く生きていたいと願うことはないのか。動物的な生存本能です。必死に生にしがみつく姿を想像してしまいます。平穏死は最高の逝きかたと今は考えますが、その時の自分の感情がどうなるか解りません。
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死の外注化
自分はどこで死にたいのか、家族をどこで看取りたいのか
他人にお任せ、身近な人の死に直接かかわろうとしない
平穏死について事例を通してわかりやすい文体で説明
がん末期の場合、老衰の場合、臓器不全の場合など
在宅療養で痛みのコントロールできること、救急車を呼ぶ意味、リビングウィルの表明の重要性、看取りの心構え
Posted by ブクログ
義父の癌闘病、病院での様子を見ていて思っていた疑問がこの本で、説明されていて、とても為になりました。
義父を看取った義母の『自分への延命治療はいらない』という言葉の重みを感じています。そして、自分も今から”Living Will” 生前意志を書き留めて、家族に伝えておかなければと思いました。
Posted by ブクログ
今時の私たちに死は遠い存在で見ないし、考えない。でもラストのイメージを共有する事はきっと安らかな老いへとつながっていく。人生後半を意識したら是非読みたい一冊。
8割の人が老衰や認知症の終末期での延命治療を希望していないにも関わらず、現実は8割の患者さんに何らかの延命治療がされているとのこと。
自然死を待つ人でも緊急時には家族は思わず救急車を呼んでしまうだろう。それが正しいか否かではなく、そうすることが皮肉にも自然死させない状況をつくってしまう。それを心得ておかなければならないのを今さらのように気付き、在宅医療の大切さを感じたのであった。
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医師にとって「やらない」「さわらない」分野である在宅でのみとり。往診でそれにこたえる医師。
延命治療に入ってしまうと中断するのは難しい。しかし、今日まで普通に生活していた人がもちをのどに詰まらせたり、誤嚥性肺炎を起こすことでいやおうもなく、救命⇒延命治療へ。
私もできるなら平穏死を選びたいが実際に頭の中でシュミュレーションをしてみると…難しいかもしれない。
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父が入院し、抹消点滴を始めて数週間が経った。食べ物の経口摂取はしていない。家族が医師と話しをし、胃ろうや中心静脈栄養はせずに、このまま抹消点滴を続けることに決めた。高齢のため、それで良かったのだろうが、終末期医療についてわからないことばかりなので、この本を読んでみた。
長尾先生は「死の外注化」に対して警鐘を鳴らしていらっしゃるが、現代の我々は、死ぬときも、子育ても、料理その他の家事においても、多くの面で外注に頼っているとつくづく思う。
13日前に病院にお見舞いに行ったときは、ずっと横になっていたものの、「素晴らしい」「素晴らしい」と何度も繰り返していた(いい夢でも見たのかな?)。9日前には、頑張って起き上がって時々会話をしてくれたが、その3日後からは言葉を発するのもしんどいようで、ひたすら目を閉じている。
誤嚥をするといけないので水も飲ませないでくださいと言われると、そうする他なく、すべて看護師さんにお任せ状態だ。点滴の量をもう少し減らしたほうがいいのかも、口から食べたいと思っているのかも、わからない。
「素晴らしい」「素晴らしい」と言いながら、穏やかに眠りにつけたらよかったのかもしれない。苦しさがひどくならないことを祈るのみだ。
Posted by ブクログ
死は原因に限らず家族の病。
二年前の本だが、在宅医の考えと病院勤務医の考えの隔たりに愕然とした。
今でも全く著者の考えは病院の常識からかけ離れている。
しかし、言わんとするところは多くの人の共感を得られるだろう。
腹水が貯まったら飲み食いさせるな、何もなければ腹水を使う、は目からウロコ。
父が他界した5年前に出会いたかった。
Posted by ブクログ
軽い文体でとても読みやすかった。
現時点の日本では平穏死は基本的に不可能、という認識が重要。
「延命治療は拒否してやるぞ〜」などとなんとな〜く考えているだけでは病院で死ぬことになる。
延命治療を受けないために出来ることを全てやっておく!くらいの覚悟がなければ平穏死は出来ない。
以前に立花隆の「臨死体験」という本を読んで、死が怖いものだとあまり思わなくなった。
(死について考えてみたい方にはお勧めの本です。)
将来必ず誰にでも訪れる死について口に出すことが不謹慎だとか、縁起でもないだとか、タブーだとかいう考え方が、私には薄い。
もう少し年を取ったら親と延命治療について話しておきたいと思っている。
しかし自分や家族の死が身近に無い今は平穏死がいいと思えるが、やはり実際に家族の死が間近に迫ると、そう簡単に割り切れないのかもしれない。
胃瘻を拒否し日々痩せ細っていく家族を、落ち着いて見守って行くことが出来るだろうか?
認知症終末期の父親の胃瘻処置について決断することが出来ず、「私は手を汚したくありません。先生が決めてください」と言い放った息子のエピソードには驚いた。
父親が死んだ時、医師が「手を汚した」結果だとでも言うのだろうか?理解できない人が世の中にはいるものだ。
著者のお医者さんはとても良い人だと思う。
しかしどうしても「私の看取りに皆さん大満足されてます!」という自画自賛になってしまうので(仕方ないことだし、全然嫌味のない内容ですが)、在宅で看取りをされたご遺族の体験談をまとめた本があると良いと思いました。
Posted by ブクログ
死は誰にでも訪れるものであり、自分にとっての最良の最期をよく考えておきたいと思った。
胃ろうや経鼻胃管による延命措置、半分諦めながらの肋骨骨折を伴う心臓マッサージ、吐血と輸血の繰り返しなど自分の場合にはやめてもらいたい。
安楽死は法で禁じられていても、平穏死、自然死、尊厳死という選択はできるはずだ。
老衰が一番いいのだろうが、それが難しいのなら、せめて在宅療養や口からの食事摂取だけでも叶えられたらと願う。
Posted by ブクログ
この本で何度も書かれている「日本尊厳死協会」
うちの母は会員でありながら、本人の意思でなく胃ろうを作り、現在寝たきりである。
この本の内容を7年前に知っていたら・・・と悔やむ気持ちでいっぱいである。
Posted by ブクログ
自称「普通の町医者」が、現代において、家で最期を迎えることがいかに難しいかを説明する本。ピンピンコロリを目指して元気に生きていたお年寄りが、軽度の不具合(転倒によるケガ等)をキッカケに病院でチューブに繋がれてしまい、急速に痴呆が進行し、植物人間になって無意味な延命治療の餌食になっているという。そして、ある程度高齢になって、あくまでも家で死にたいのなら、絶対に救急車を呼んではいけないし、家族にもその旨を徹底しておくべきだと説く。救急車を呼んで、いったん「処置」がとられてしまったら、家族がどれだけ懇願しても、医師が植物状態を解除することはない(それをやると、医師が「殺人罪」で捕まってしまう)。また、終末期には、麻薬を使った緩和医療を積極的に活用することを薦めている。
何だかおかしな世の中になっているなぁと思いつつ、自分がどのように死にたいのか、「死生観」をハッキリさせておく必要があると感じる。痛いのと苦しいのは絶対に嫌だけど、治るんなら治してほしいし…。(←こういうのが、一番苦しむことになるような気がする)
Posted by ブクログ
普段ブログを読んでいるが、ブログに比べるとかしこまった印象。「熱さ」には物足りなさを感じたが、著者の考えを系統的に知ることができたのは良かった。著者がやや敵視している病院のお医者さんがこれを読んでどう感じるか、訊いてみたいものだと思う。