あらすじ
開塾にあたって松陰は「天下を奮発震動」させる人材が輩出すると予言した。松下村塾――それはわずか一年余の指導で、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文らの俊才を生み出した幕末の奇跡である。物置小屋を改造した粗末な塾舎では何があり、二十八歳の青年は塾生たちに何を教えたのか。塾の成立から閉鎖までを徹底検証、松陰の感化力と謎の私塾の全貌。(講談社学術文庫)
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Posted by ブクログ
松下村塾でどのような教育が行われ、どんな生徒が集まり、吉田松陰は何を教えたのかが分かる本でした。吉田松陰は身分や年齢にかかわらず共に学ぶことを第一として、「学びなさい」と学生に伝えたという。志を立てること、行動すること、自分で問を立て考えることを教え、後に討幕を起こす志士を何人も輩出した。僕もこの時代に生きていたら吉田松陰に学びたいと思った。松下村塾で寝起きし、共に生活しながら議論し学んでいく環境がとてもうらやましい。今の自分にできるのは本を読んで、自分の頭で考えて、文章に起こしたり行動することだけだが、がんばってみよう。
Posted by ブクログ
「初めて先生に見え、教を乞ふものに対しては、必ず先ず何の為に学問するかと問はる。これに答ふるとの、大抵、どうも書物が読めぬ故に、稽古してよく読めるやうにならんといふ。先生乃ちこれに訓へて曰く、学者になつてはいかぬ、人は実行が第一である。書物の如きは心掛けさへすれば、実務に服する間には、自然読み得るに至るものなりと。この実行といふ言はわ先生の常に口にする所なり」
入塾料なし
行動を顧みるノート的なものがあった(今で言うポートフォリオ)
学習の心得として、礼法や規則によって効果があがるのものではなく、師弟の人格的接触によって互いの心が融合するとき、意義・道理が理解できるようになると考えた
咸宜園や適塾ではテストの実施と結果の公表を行うことで競争意識を利用したが、松下村塾では知識の量ではなく学問に向かう姿勢を評価基準とした。しかも、その基準や評価を学生には発表しなかった。