【感想・ネタバレ】私という病のレビュー

あらすじ

「どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか」――男に負けないよう必死で手に入れた「勝ち組」の称号が、恋愛マーケットでは惨めな「負け組」と見なされる。愛されたい、だけど見返してやりたい……相反した女の欲情を抱いた作家が叩いた扉は、新宿歌舞伎町・熟女ヘルス。過激な〈実体験主義〉に潜む、普遍的な「女」の苦しみに肉体ごと挑んだ、戦いと絶望の全記録!

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Posted by ブクログ

ネタバレ

※自分語りです。けどね、本文中の「私(中村うさぎ)はあなた」ということで、私自身の「女という病」を語らせてくださいませ。他の方の感想を見る限り私も禿同!!なので、、!せっかくなら私の考え語らせてー!

【1章 読むにあたったきっかけ】

大学に入学して以来、女を謳歌している子達とよく接することになった。彼女達と話をすると、どうも噛み合わない。日々恋愛話やゴシップに花を咲かせ、私に語りかけてくる。どうも毎日続くと、まるで私は女を謳歌せずにこのまま死ぬのかと、頭が痛くなった。

高校時代は部活に勤しんで、恋は二の次(ということにせねば恋を恐れているのことが明白になる)で、恋せずとも充実した人生を送れると当然だと信じて疑わなかった。それが、恋愛に消極的な自分自身への慰めでもあった。その慰めの効果が、女を謳歌する彼女らの前では塵と化す。

知ることは自殺行為だと高校時代の恩師に教わった。私は知ってしまったのだ。私は恋愛をしたいということを。しかし、恋せずとも強く楽しい人生を送れると信じて疑わない私(この原因は後ほど)と、恋をしたいどこまでも乙女な私、その2人に挟まれ、このピンボケした心の内をどうか明確に、輪郭をハッキリできる方法は無いのかと悩んだ。

そのうえ、ネットの男友達が私の悩みを増幅させた。彼曰く「大学生は色恋沙汰が1番楽しい」私も薄々気づいていたが、気付かないふりをしていたのに。彼は、恋愛を謳歌できるタイプの男だ。どれだけ女を遊べるかが男のステータスだと言葉の節々から伝わる。(誤解のないように、彼の人間性は魅力的だ。ただ少しお酒が入ってただけ。)彼と電話した夜、私は泣いた。死にかかった希望が私の中で悶えている。

そんな時に、「私という病」に出会った。大学の友人から教えていただいたもので、今思えば読まれるべくして私の元へ導かれたように感じた。

【2章 自己分析】
1番初めの1行。「どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか?」どきっとした。中村うさぎさん、この人はきっと、私の謎を解き明かしてくれるはず!色恋を楽しんでいる子達を見てすくすくと恋愛コンプの実が育つ。まさに性的自己確認に悩んでいる。

いつから恋愛しずらくなったのだろう。思えば、高校時代で両片思いイベントを経てからだ。彼は私と接する時は下手に出て、「僕なんて、、君はすごいよ!」と言ってくれる。素直に嬉しかったが、いつしか自分自身の魅力を自己確認する対象になっていた。いつしか彼は私の元を去って他の女の子と付き合った。その瞬間、私は自己確認の術を失った。その瞬間、私は嫉妬と執着の化け物と化した。自分より下の存在(ごめん)が何故このようになっている。受け入れ難い事実。いや、それそのものが受け入れ難いのでは無い。私が「差別意識」を彼に向けていたことの自覚が受け入れがたかったのだ。私のプライドもライフもズタズタ。癒すのは彼を引き戻して私のものにするか、はたまた代用品か。結局私は部活に明け暮れた。卒部し、大学生となった今、あの過去は風化し残されたのは、男の人への優位性を欲する肥大したプライド、愛されたいのに傷つくことを恐れた私のハート。これが正しく、恋愛をしずらくなった原因だ。この矛盾した2人、どちらも私なのだ。

差別意識は無くせるものじゃない。自覚して、それが不当であることを知って、そんでもってそんな己を恥じる気持ちがあるか。

何よりも、愛されたい気持ちを動機とし異性に異性への目を向けている自分への嫌悪感を否定するかのように、異性からの異性の目を汚らわしいと思うようにしているんだ。

中村うさぎさんは、本文にあった通り、客観視して分析して答えを出したい人、すなわち、言語化が凄まじい。ぼやけた輪郭を彼女の言葉がピントを合わせてくれる。
解像度高く捉えた文章は、目の前の磨りガラスをとっぱらってくれる気持ちよさがある。裏腹に、砕けたガラスで切り傷を負いまくる。自己解剖。ガラス越しでぼんやりと見たまま生きる方が余程楽だろうに。それでも尚、見たい。そんな不器用な私は私が大好きだ。

【第3章 これから】
フェミニズム(あえてこの表現)の対義語マスキュリズム。女性エッセイを読み終えて、恋愛がしたーーい!誰か私を愛してー!と単純な欲求が浮き彫りになった。兎にも角にも、「男」を知らなくては、「女」は知れない。日本の良さに思いをふけるのは、日本にいる時ではない。海外にいる時だろう。比較してやっと理解できるのだ。中村うさぎさん視点からの「女」、マスキュリズム的視点(男性エッセイ)からの「女」、好きな人視点からの「女」。沢山見たい知りたい。まだまだ終わらない。「女」は不治の病と書いてあったけど、本当かな。とりあえずまだ止まるのはやめておこう。運命的なこの本に敬意を込めて。素敵な時間をありがとうございました。

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2025年11月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「『男性嫌悪』である私が同時に『女として認められたい』と強く思うのはなぜか」という問いをひたすら自問自答し、内省を綴る書。

その問いの立て方、論の進め方、そして結論に至るまで、ほぼフェミニズムの考え方を踏襲しています。

著者自身はそのようなつもりはなかったと冒頭で書いていますが、しかしフェミニズムのテキストとして読まれてしまうのも致し方ない内容。

類書と異なるのは、自らデリヘル嬢になることで自らの葛藤の深遠を探った、という点。

これは出版当初かなり話題になったようで、本件を記した前後で周囲の男どもの態度が急変したことも、本書の検証対象の一部となっています。

穿った見方をすれば、本書の結論に到達するまでにデリヘルの経験は必ずしも必要なく、薄々悟りかけていたその結論を検証するために自らの体を使った、という順番の方が正しいのではないか、という印象を受けました。


著者は、社会人になってからストーカーのような男に毎日電車内で痴漢の被害に遭い、
会社の中では社員旅行で上司から押し倒されて手篭めにされかけ、
独立した後も"仕事と引き換えに身体を要求する"多くのクライアントに苦しめられ、
プライベートでも合コンで「お前なんかいなくていい」と言わんばかりの態度を取られ、
最初の結婚相手は結婚後に著者を人間扱いしなくなったために離婚し、
挙句の果てには、惚れてしまったホストに「お金を払って、嫌々ながらも目をつぶってセックスをして頂く」という屈辱的な立場に置かれたことに苦悩し、

その反動で「今度はこちらがお金を取って、(疑似)セックスをしてあげる」という“強者”の側に立てるデリヘルに魅力を感じたのだろう、と自己分析しています。

ひたすら内省(というか男への怨嗟)が100ページ以上も続き、結論としては

「私は、一人の女として対等に扱われたい。獣でも女神でもなく、ひとりの女として見つめて、欲情されたい。珍獣扱いも、腫れ物に触るのでもなく、ささやかな会話に笑いあえるような、そんな人間としての扱いをされたい」

という“妄想”が展開されます。(著者はつまり、対等に接してくれる男性に出会ったことがない)


この“妄想”が、デリヘルを体験した後に膨らんだものであるとは思えません。

きっと、人間扱いされてこなかった過去の数多の経験から既にこのような妄想は進んでいて、デリヘルという“性的強者”の立場に立ってみることでその仮説を検証したのではないかと思われます。

(同様の考察は買い物依存症に陥った時にも進めていたようなので、尚更本書の考察にデリヘル体験が絶対必須だったとは思えません)
(無論「検証」にも大きな意味があり、たとえそこから得られる新しい発見が皆無であっても、「あそこには何もありません」という情報自体が貴重ではあります)


簡単に書いてしまいましたが、これだけのことを訴えるために注がれているエネルギーは半端なものではなく、怨嗟の対象である「男」としてはページをめくるのが辛いものがありました。


「一人の女として対等に見てほしい」と訴える著者はしかし、本書の中で「男」を総称としてしか使っていません。

「あの男が嫌い」「あの男も嫌い」という個別事象ではなく、「男」というアイコンに対する極めて強い憎悪が渦巻いており、「どうせ男には理解されない」という絶望が何度も綴られています。

それは「(ひとりひとりではない)男」に対する蔑視でもあり、著者は敵と戦うことで敵と同様の思想体系をまとってしまっているようにも思えてきます。

(尚、本書は「同じように悩む女性のために」書かれており、「男性は読者対象ではないので、男性に対して『だからどうしろ』という提言はない」と明言されています)



著者はその持てる知性を以て上記のような考察を展開していましたが、「なぜ、男嫌いなのに積極的に性風俗産業に向かう女性がいるのか」については、当事者から別の形での”解”を得たことがありました。

「私ね、風俗で働いている(女の)人の中には、むかし男の人に(性)暴力を受けたことがある人が多いわけがちょっとわかる。風俗に来ても相手の人は選べないけど、それでも『お金のために自分の意思でやってる』って思える。だからこの仕事してると、昔されたことも、『私がサービスしてあげたけれど、その“客”がお金を払わずに逃げただけ』って思うことができるんだよね」

本質的には中村氏と同じことを言っていますが(つまり“性の主体”になりたかった)過去の辛い経験までも上書きするために行っている、という可能性まで本書の考察は及んでいませんでした。


***

本当はA4で10ページにもわたる長大なレビューを書いていたのです。

最初はたいへん刺激的に思えたフェミニズムが苦手になってしまった経緯とか、
フェミニズムが反証可能性を残していない点で自然科学とどう違うんだとか、
中村氏は(キリスト教の)バプテストだけれどもその背景と本書の論の関係とか、

長々と駄文を連ねていたのですよね。過去に接したフェミニストを疑似的な反駁社と想定しつつ。

がしかし、そんな小難しい論を展開しようが何だろうが、

今から5時間後に乗る満員電車にもやっぱり痴漢は存在していて、そういう半径10メートルで起こっている事態に対して何ら改善に資することはないな、と思ったらバカバカしくなってやめました。


久しぶりにレビュー書いて疲れました。

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2011年12月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

こんな私小説?みたことない。男の欲望を刺激しない女は存在価値がないという空気に対する反発。
異性に対するアンビバレントな感情。東電OL事件を切り出し、自己の違和感が特別なものでないと昇華する展開は圧巻。
まとめると『通念が ガラスの自意識 傷つける』といったところでしょうか?

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2011年08月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

今回は中村うさぎさんの体験等をもとに、自己分解?をされているお話でした。
確かに、わかる。と思うことが多く、普段の生活で感じていても言語化することがなくもやもやとしている気持ちをうまく言語化してくださっている感じでした。

「女であること」を拒否した女は、どんなに出世して「勝ち組」になろうと、惨めな「負け組」に分類されてしまうのだ、と。

ここはとてもわかる。女だからと舐められたくなく努力して成功したとしても、今度は女としての評価で負けてしまう。
どちらも勝ち組でいることは、今の社会だと難しいのだな、と改めて感じた。

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2022年06月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

この本を読んだのは2年前なんですが、常日頃疑問に思うことや不満と通じるものがある気がして個々にレビューとして綴る。
 
 2012年9月の話。

 ※今から吐く毒は、「一個人」として吐くものです。

 最近勤め先(某学校)で、男生徒に「やらせてくれっ!」って迫られ、襲われそうになった女子生徒(未遂)が、友人のススメで先生にその事実を学校に訴え、そのため加害者の男子は職員会議で何があったかを詳細に全教職員に知らされる事になった上、退学の危機に陥るという事態になったということがあった。

 学校の対応としては、別に間違いはないし、女が泣き寝入りするなんてあってはならない。(まぁ結局何も起こってないんだが。)だから別にこの学校側の対応にどうこういうつもりは全くない。

 わたしがこう感じるのは、おそらく私が「アバズレ」なのでしょう。

 「『生徒』として間違ってないけど、『女』としてどうなのよ。」と。


 「やらせてくれ。」と言わせる要素が女子側にも恐らくあったであろうということとともに、

 男が血気盛んな10代後半の野獣どもっつう認識だって、女子側にはあるでしょう。

 「やられるかもしれない」という可能性があるのなら、まずそんな環境作るべきじゃなかったってこと。自分の身くらい自分で守れ。

 プラス。まぁわたしがアバズレなんでしょうけど、

 うまくかわせなかったのかなぁ…。

 のらりくらりと、「またね。今度ね。」「今生理中」もしくは「お前とやるほど安くねーよ。」と一喝。

 これ、言っちゃだめだけど、話聞く分には、 その男の行動、20年前の女落とす時の男の行動ママだと思うわ。ある意味ダメ元でもガンガン食い下がっていったそのガッツは現代の男にはなかなか見られない。


  まず最初に「彼氏いる?」とかいう詮索入れて、
 「いないよ」=「俺と付き合ってもいいというメッセージ」
 とかいうご都合主義甚だしい解釈につなげる
 傷つくことをしたくない甘ちゃんよりはよっぽど男だわ。バカだけど。いや、男はおバカか。だから正直「退学どうこう」を学校が言っちゃうのはなんか違う気もしちゃう。女の方にもそこまでの制裁加えさせてしまうだけの落ち度が本っ当になかったのかと言われたら、自分の潔白さを証明できないんじゃないかっつう。 

 

 ※追記

 もういっこいっすか。

 今朝の話。

 SHRの時間になっても教室にいない女子が3人いて、なんだとおもってトイレに行ったら、過呼吸で苦しんでるクラスの子がいて、保健室に運ばせたという話。

 今就職試験まっただ中で、緊張のあまり出た(もともと出やすい。元A◯Bの誰かさんと一緒。)のかと思い、よくよく話を聞いてると、


 「彼氏と一モメあったから。」


 だって。担任に聞くと
 「あいつが過呼吸出す理由、他に無いですよ。」と。



 わたしは、平安時代の恋愛話なんかを紐解くに、

 「恋焦がれて死ぬ」だの「好きな男を追い求めて息絶える」だの、ンなことあるかーい!と、か弱いお姫様体質なんてクソ喰らえと思っていた人間なんですが、


 なんともまぁ恋愛体質って、体の構造としてあるんですなー。

  
 わたしは見苦しいくらいに生命力に溢れてるんで

 「今わたしがここで「怪我」とか「病気」になんて状態に陥ろうものなら、一体どんだけ人に迷惑かけるか!」

 と思った瞬間、病気怪我、なきものになりますからね。

 39度近い熱を数日間出しながらも、
 「出勤せねばならぬ。」と思った瞬間に
 日中は平熱に戻るっつう便利な体をしています。(仕事が終わると熱が出るんですなぁ。不思議な事に。)


 こんな人間にはならんでいいので、
 せめて男と喧嘩したくらいで過呼吸で倒れんでくれよ…。
 
 と、教師にあるまじき感想かもしれませんが思ってしましましたとさ。
 

 追記の追記

 何でこんなにもこの顛末に疑問を抱くのかということを考えてみた。

 わたしは男なんて大嫌いだし、「やらせてくれ」と迫った男を弁護するつもりは毛頭ない。

 ただ、「襲われそうになった」→「先生に言った」→「加害者とされる側が制裁を受けた」

 この図式が成立するのは前述のとおり、「最低限自分で自分の身を守ることをした」ときに成り立つものな気がしてしまう。

 言葉を選ばないといけないところだけど、

 「女性の権利」を主張するのなら、それなりに女も強くなきゃいけないって思うのは、私が男よりの考え方をしているのかなぁ。

 「女って弱いんだから気を使ってよ!}っていう権利の主張の仕方って何か違和感を感じる。

 「女って弱いんだから、その弱さに漬け込んだ男が報復を受けるのは当然の結果だ」って言われてるみたい。

 何を持って「女は弱い」のかを履き違えんな、ってことよ。

 少なからず日本は男社会だから、社会に出ている時の女性の立場は未だ弱い。私もそれは認める。私も今と同じように働きながら子育てだなんだとか色々無理!とか思う。基礎体力も男に劣るのも確か。

 だから、働く女性の権利だったり、子育てしやすい環境であったり、「もともと違う性差」を埋める努力も男はすべきだと思うし、女も権利を主張していいと思う。

 でも今回の一件って違う。
 自分の身を自分で守る努力をしたかを問う前に、学校は男に退学に近い措置を下した。もちろん他に手立てがなかったのだとは思う。


 でも、高校生ってそこまで子ども?
 だって子どもと一緒よ。女の弱さを子どもの弱さと履き違えてる。

 「自分は何もできないひ弱な存在です。か弱い私を守ってください」って要求を、学校が認めちゃったのよ。今回の一件。

 女の主張は「子どもの主張」なののい、男は「大人としての制裁」が加えられているという奇妙なギャップ。


 それ、間違ってるんじゃないんだけど、
 被害者の子が「これでいいんだ。」って思ってしまったとしたら、そこに関しては大きな間違いだと、私は言いたい。

 「女は弱いままでいい。何もできなひ弱な存在でいい。庇護されるべき存在でいれば誰かが助けてくれる。」

 ねぇ、それ、すごく恐ろしいことよ。
 男はこの件で大人に成長するきっかけを得たけど、
 女は今回の行動で、多くの人に「その考え方でいい」=「子どものままでいい」っていう間違った考えを植えつけちゃったものじゃない。

 女の弱さ、履き違えんじゃないよ。
 女の弱さは、子どもの弱さなんかじゃないよ。

 最低限自分の身は自分で守らなくてどうすんの?
 「これでいい」って思っちゃったら、女は同じ事繰り返すわよ?それは男女の関係に限った話でなく!

 わたしは、とんでもないことをもしかしたら、暗黙の了解のうちに認めてしまったのかもしれません。

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2012年09月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ホストとの「心のない義理セックス」で奪われた「性的強者」のプライドを取り戻すべくデリヘル嬢バイトをした著者による体験と考察。作中の『女を「人間」として、対等な目線で見』よ。でなければ、『「理解」も「共感」も生まれない』に納得できるからこそ、著者自身も強者弱者などとせず対等に思える相手を見つけたら良いだけではと思った。理解は出来ているのに二元論的な振舞いでしか対処出来ないからこその『私という病』なのか。風俗で売買されているのは身体ではなく「性的幻想」だ。男は幻想を抱いている女には優しいが、抱けなくなると人間扱いしなくなる、との指摘は体験者ならではの説得力があった。また、女らしさを隠すべしとされながら時期によって突如として求められる女性の戸惑いが伝わった。人を人として接することの難しさと尊さを再確認すると共に、女性ならではの生き辛さの一端を学んだ。

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2016年11月27日

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