あらすじ
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農と炭焼きへの転身、四国遍路への旅立ち、ネパール移住……もしも日本の中高年が人生の後半からを自分の再生のためにスピリテュアルに生きたら、この社会も変わるだろう。アクティブな宗教学者からのエールと、五編の豊かな体験記が、新しい人生観を提示する。若き日の学生期、仕事や家庭にいそしむ家住期、そして家を出て遊行・遍歴に日を送る林住期。人生を四つの段階にわけて考えた古代インド人は、とりわけ中高年からの林住期をたいせつにしました。現代人への林住期の提案と、後半生をスピリテュアルに生きる記録を集めたこの本には、ほんとうの自分にたち戻って生きるヒントと喜びがあふれています。
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Posted by ブクログ
「林住期」を生きる -2007.07.11記
「林住期」という語も、最近は五木寛之の「林住期」と題されたそのものズバリの著書が出るに及んで、巷間つとに知られるようになったようだ。
抑も「林住期」とは、古来ヒンドゥ教の訓える「四住期」の一。学生期.家住期.林住期.遊行期と、人生を4つの時期に区分し規定したとされる。
学生期-がくしょうき-とは、師について学び、禁欲的な生活をおくり、自己の確立をまっとうすべき時期。
家住期-かじゅうき-とは、結婚し子どもをもうけ、職業に専念、家政を充実させるべき時期。
林住期-りんじゅうき-とは、親から子へと世代交代をなし、古くバラモンならば、妻と共に森に暮らし祈りと瞑想の日々を送るということになるが、今の世ならば、さまざまに縛られてきた責務から自らを解放し、やりたいことをやろうという時期とでもいうか。
されば、遊行-ゆぎょうき-期とは、バラモンでは林住期においてなお祭祀などの義務を残していたが、ここではもはや一切を捨て、おのが死に向かって遊行遍歴の旅人と化す時期であろうか。
これら「四住期」については、手塚治虫の長編「ブッダ」にもすでに触れられていたと聞くが、私の場合、山折哲雄の編著として出版された「林住期を生きる」が初見であった。
この書では、現代においてまさに「林住期」を生きる五人各様の生きざまが、各々自身の言葉でもって綴られているが、以下ごく簡単に紹介しておく。
富山と石川の県境近く、山深い久利須という里に住む美谷克己は、偶々市岡高校の期友だが、二十数年前から、炭焼きをし畑を耕し、安藤昌益の謂う「直耕の民」としていまなお生き続けるが、決して孤影の仙人暮しなどではなく、かの僻地に住まいしたことが却って政治的にも文化的にも連帯のネットワークを飛躍的にひろげたものと見えて、その活動はどんどん活発化しているようだ。
東京都世田谷区の保健婦だった足立紀子は、55歳で早期退職、社会人大学に入学し、四国八十八箇所の遍路へと旅立ち、さらに大学院へと進み、おのが興味の尽きない勉学と気儘な放浪の旅を往還する人生だ。
神戸癒しの学校を主宰する叶治泉は、阪神大震災の彼我の生死を分かつ被災体験を契機に、大峯山奥駆修行に発った。以来自戒としてか毎年この山野の行を欠かさず、里の行たる癒しの学校運営に専心しているという。
若い頃の十数年を、釈迦ゆかりの地、インドの王舎城にて藤井日達翁のもとで出家修行した成松幹典は、36歳で還俗、日本に帰国してのち家庭を持ったが、さらに十数年後、こんどは家族とともにネパール.ポカラへと移住、ヒマラヤのアンナプルナ連峰が映える風光明媚な地でホテル支配人として日々を暮らす。
「仏教ホスピスの会」会員として終末期の患者やその家族と関わり続ける三橋尚伸は、迷宮とも見える仏教知の世界を放浪した挙げ句、東方学院に学び出家得度をしたれっきとした僧だが、いわば在家としてホスピス.ボランティアに生きる有髪の尼僧だ。