あらすじ
高度経済成長、バブルは遠い彼方。問題が山積みの日本社会には、悶々とした気分が立ちこめ、「もつれ」+「こじれ」=「もじれ」の状況にある。この行き詰った状況を変えるには、一体どうしたらよいのか? その問いに答えるため、本書は、旧来の循環モデルが破綻したことを明らかにし、新たなモデルを描き出す。「教育」「仕事」「家族」それぞれが抱える問題について考え、解決策を探る。タクシー運転手や高校生たちに共感し、希望を語る。よりよい社会を手に入れるため、あきらめずに思考し、言葉を紡ぐ一冊。
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Posted by ブクログ
教育、仕事、家族の問題の本質について、構造的に明らかにしており、いずれの論点もうならせられるもの。興味深い。
ただ、指摘は鋭いが、具体的に政策としてどのように落とし込めるのかという点はやはり弱い。それを少しずつ、具体化させたいと思う。
以下、特に印象に残った点。これ以外に、最終章のなかの「親としての在り方」も強く問われた気がする。
・教育の病理:学ぶことの意義自体が問われてこなかった。かつ、自分と自分の家族に閉ざされた利害で動いている→社会の連帯が育ちにくい。
・家族、仕事に対しても意義が問われていない
・柔軟な専門性、柔らかい鎧をもて
・ある組織のメンバーに入れてもらうという働き方が日本の正社員の特徴
・教育の職業的意義=「適応」と「抵抗」という二つの側面がある
・「能力発揮」を社会全体で保障する。
Posted by ブクログ
『もじれ』=「もつれ」+「こじれ」。
『戦後日本型循環モデル』日本独特の循環のあり方ともいえる社会構造。バブル崩壊前までに形成された、教育・仕事・家族の3つの社会領域が循環している図。一見効率的に見えるが、何のために学ぶか、何のために仕事するか、なんのために家族と一緒に住むのか、という人間の生涯にとって重要な意味を持つはずの家族・教育・仕事の本質的な存在意義や価値を、掘り崩すように作用していた。バブル崩壊後、モデルは破綻しつつあり、各社会で歪みが出来ている。今後の方向性としては、一方向の循環でなく、双方向になるよう、リカレント教育の推進によるジョブ型雇用の推進、ジョブ型雇用によるワークライフバランス、男女共同参画の推進、共働きによる子供や家族のケアを教育が地域のハブとなって支えられるように。
メリトクラシー→コミュ力のようや人間性、感情に結びついた測定し難い能力を重視する社会に移行しつつある→『ハイパーメリトクラシー』
Posted by ブクログ
様々な提言が満載で消化するのが大変だったが、若者の動向を詳細に分析していることは素晴らしい.目新しい用語も沢山出てきて、刺激を受けた.教育的トリアージ、ジョブ型移行モデル、ポスト近代型能力などなど.高校教育で専門学科に焦点を当てて活用すべきだとの提言.70年代はそれを実現していたのだから、先祖帰りの発想だ.
Posted by ブクログ
日本社会での能力をめぐるフレームワークは学力及び人間力の垂直的多様化(格差)に偏り、コンテンツに即した水平的多様化が極めて脆弱であるとともに、能力の形成と発揮をめぐる責任が強固に個人および母親に帰属されている。
世界はどこも厳しい、日本はまだマシ、ってわけでもなさそうです。
Posted by ブクログ
「軋む社会」に続くシリーズのようだが、今回もいくつかのものを集めて1冊にしたようだ。今後もハイパーメリトクラシーという言葉がいろんなところで紹介されるだろう。
Posted by ブクログ
戦後日本型循環モデルを見出したことは社会学の真髄であり、戦後の日本のカタチが分かりやすく示されている。
「家庭」、「教育」、「仕事」、この3つの社会的機能の新たな循環モデルを構築していく上で最も大切な視点は筆者の言うとおり「一方向」から「双方向」である。
特に「教育」の本質、つまりは学ぶことの意義とは、従来の循環モデルでいう優秀な人材を「社会に送り出すこと(進学・就職)」に限ったことではなく、「個人が豊かに生きること」ではなかろうか。
進学競争、就職戦線が人々をどんどん歪めていっている。就職し組織に入った後も、自己のキャリア形成という概念はどこ吹く風であり、学歴エリートほど「上を向いて歩こう」の大行進である。これでは坂本九だって泣いているハズだ。
真に豊かな社会とは一体何なのか。リカレント教育の考え方だって重要だ。改めて学歴社会の是正と生涯学習社会の構築の必要性を感じずにはいられない。