あらすじ
直木賞作家が初めて語る「人生峠」を越える応援歌! 氏は言う。「ぼくの人生は自転車操業でした。しかし漕ぎつづければいい。それを忘れた時、人は倒れるんです」。含蓄に富んだ体験的人生論。著者初のビジネス書。
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Posted by ブクログ
山本一力 著「明日は見方。」、2013.6発行。自転車操業人生だそうですw。①中3の時、東京に。住み込みで新聞配達を4年間。人間を学び、英語を学んだ。自転車操業人生の始まり ②昭41、18歳で近畿日本ツーリスト(有楽町・交通会館)に。約10年。世界各国に。③その後、7つ位の職を。コンピュータに詳しくなる。④40歳前、フルオーダーの自転車を。海外のロードレースにも参加、チームの力を知る。今、家には7台の自転車、奥様とも自転車が縁で。⑤53歳で直木賞 ⑥自転車は漕がなければ倒れる。森羅万象、みな同じ。
Posted by ブクログ
まだ完結しない長編『ジョン・マン』の著者
山本一力さんの自伝。
と言っても、堅苦しくなく読ませる力量は
山本さんならでは、かもしれない。
山本さんは、戦後のアメリカ軍関係の建築ラッシュで
毎日のように建築関係の父がポケットから札束を持ち帰る
日々も経験しながら、父の博打癖で貧困に。
『明日は味方』は母の口癖。
高校生時代、アルバイトで東京ワシントンハイツで新聞配達。
そこはアメリカ軍が広大な土地を戦後接収していた場所。
アメリカ人の少年たちが雨の日も庭先に新聞を
放り投げるやり方をしてるのを横目で見
自分は日本人のやり方で一軒一軒ポストに。
そんなやり方で住民には喜ばれ
ワシントンハイツでも米人の少年や家族とも親しく。
そこで肌で覚えた英語が、のちに途中入社の
近畿ツーリストで重宝がられ出世。
豊かさを謳歌。
そこをやめて、グラフィックデザイナー修行、独立、失敗、
苦しい時代も過ごしながら常に自転車を漕ぐように
動き続けたと。
直木賞を受賞したのちも、待ってはいないで
各出版社に行っては、仕事を探す。。。いつも忘れない危機感。
働くことは生きること、生きることは
自転車と同じ。漕ぎ続ける、バランスをとりながら。
決して止まらないで生きてきた
山本さんならではの言葉が心地よい。