あらすじ
「番茶も出花。お茶に大切なのは、のみごろである。……つまり、美味しいものを食べるためには、すべて、ころあいこそが大事」下町育ちの著者は、日々の暮らしを心豊かにしたいと願い、質素で昔ながらの生活の知恵を大切にし、一日一日を丁寧(ていねい)に生きた。高齢化が進むなかで、古き良き時代の暮らしぶりを描き、失われつつある風習を現代(いま)の人たちに伝える好エッセイ集。
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Posted by ブクログ
い図。トットちゃん!をみて以来、沢村さんの著作が気になって。朝起きて夕飯の献立を考えるのが日課だなんて、食事は大好きだけれど、食事を大切にしようという気持ちはその日その時でまちまちの自分には、すごいなぁと思えた。天ぷらの話が一番好き。夏の夕方の風がそよぐ台所で、サクサクの天ぷらをご主人が気持ちよさそうにほおばる様子を、沢村さんも微笑んで見つつてんぷらを上品に食べていられる様子が、その温かい爽やかな空気が、眼に浮かぶよう。里帰りが終わったら、おチビもいるけどてんぷら揚げたいものだ。2018/2/13
◆引用
p18…そう言われてみれば、家事は私にとって、ちょうどいい運動になっているのかも知れない。(中略)家の中で母に仕込まれた掃除、洗濯、水仕事は、いっこう苦にならなかった。はげしい運動は出来なかったけれど、こまめに身体を動かすことは、辛いどころか気持がい、ということを、小さい時から知っていた。
おかげで、いまだに腰が軽い。雨戸をあける途中で、桟にホコリが溜っている、と気がっけば、すぐ台所へかけ出して雑巾バケツをもってくる。ついでに桟おとしの小さい穴のホコリをピンセットでつまみ出す。(中略)病気らしい病気をしないで今日までなんとか働いていられるのは、多分そのせいかも知れない。〈家事こそ、私の美容体操〉ハッキリそう思うようになってからは、家の中の仕事が、前よりもっと楽しくなった「美容、美容,美容」口の中で三度唱えれば、たちまち身体が動くからおもしろい。
→これ、いい。やってみよう。
p91…大ぜいの人にまじって仕事をすれば、とかく心にしこりが出来やすい。そんなとき、帰るとすぐ着物をきかえ、タスキ前かけ姿で台所に立つ。庖丁を握るのは私の気晴らしのひとつである。
p146…夏まけには……
額に汗の吹きでるような真夏の夕方、うちではよくてんぷらを揚げる。
ぬるめのお風呂でサッパリ身体を洗ったあと、気軽な浴衣がけで揚げたての車えびやきすなど口にしたときのしあわせ……一日の疲れがスッととれるような気がする、と家人は機嫌がいい。魚ばかりとはかぎらない。あり合わせの野菜——さつま芋、にんじん、ごぼう、青紫蘇、茄子にピーマン、新しょうがなど、いろとりどりの精進揚げも喜ばれる。
(中略)油は市販のてんぷら油にゴマ油をまぜている。好みやその日の材料にもよるけれど、三分の一から四分の一ほど合わせると、味も香りもいいような気がする。油の量は五人分でカップ二杯半——それより少ないとうまく揚がらない。てんぷら鍋がなければ、中華鍋でもフライパンでもいいけれど、なるべく厚手のものがいい。
大切なのは油の温度である。煙が出るほど熱くしてはいけない。百五十度から百八十度ぐらいが適温とされているが、温度計で計ってもいられない。(中略)豆粒ほどのころもを菜箸の先きにつけて落とす方が分りやすい。すぐにきつね色に変ってパッと拡がるようでは熱すぎるし、そのままスーッと底の方へ沈むようではぬるすぎる。半分ほど沈みかけて、すぐ浮きあがるくらいが丁度いいようである。
ころもはなるべく薄くすること。(中略)透きとおって中味がホンノリ見えるくらいの方が、軽くて口あたりがよく,たくさん食べられる。
材料の魚や野菜は形よく食べやすく切って用意しておく。その前に、玉子1個をボールに割り、二、三倍(揚げる量によって)の水でよくといて、冷蔵庫で冷やしておく。冷たい水でといたころもは、軽く揚がる。
いざ揚げるときにその玉子水を三分の一ほど他のボールにとりわけ、その中へ薄力粉を篩(ふるい)でふりいれ、箸の先きで十という字を五度描く——つまり、それほど荒っぽいまぜ方をするということである。白い粉が残っていてもかまわない。どっちみち油で揚げるのだから。粉の量はなんとか材料をくるんで、流れ落ちない程度がいい。ころもを一度にまぜておくとネバリが出てしまう。面倒でも冷蔵庫の玉子水は三、四回ぐらいにわけて使うと、あんまり失敗しない。
材料の魚をきれいな布巾にのせて丁寧に水気をとり、薄いころもをまとわせて、鍋のフチからそっとすべりこませ,箸で中央へ送り出す。一つか二つずつ、油の中でゆうゆうと泳がせる気持である。素人のかなしさ、何だか油がもったいないような気がして、あとからあとから鍋を満員にしたら、
たちまち油の温度がさがり、グシャッとした出来損ないばかりで困ったことがあった。
といって、泳がしすぎ、揚げすぎると味もそっけもない干物のてんぷらになる。えびや白身の魚は、鍋のフチから入れて、真中までおくり出したら、もう揚がったと思え、と腕のいい板前さんが教えてくれた。たしかに、そのくらいの気持で、ころもの色によく気をつけて、一つ揚げたらまた一つ、と手順よく鍋におくりこめば、素人にしてはマアマアのてんぷらが出来上る。冷凍のえびもなかなか美味しい。
(揚げながら、鍋の中に散ったころもの屑を網杓子でこまめにすくえば仕上りもきれいだし、揚げだまはまたの日に、うどんの汁や味噌汁に一つまみ入れたり、ほうれん草や小松菜とうす味で煮びたしにしたり、けっこう役に立つ)
かき揚げも、ときには気が変って歓迎される。貝柱とみつ葉、芝えびとさつま芋、いかとねぎなどそれぞれ合性のいいものを、同じくらいの大きさに切って、まぜ合わせて揚げる。手近かの玉ねぎと桜えびも、パリッと揚げれば、洒落たおそうざいになる。
かき揚げのときの油の温度は、てんぷらの時よりほんのすこし高めの方がうまくゆくようである。薄いころもをつなぎにして、一個分ずつたま杓子で鍋のすみから静かに入れ、菜箸でまわりのかたちをととのえながら真中へおくり出し、まわりが固まったらすぐ裏返して油の温度をすこしさげ、網杓子でおさえながらまわりを折るか、それともところどころ箸の先きで、小さい穴をあけると、火がよく通って、カラッと揚がる。たきたての丼ご飯にのせて天つゆをかければ、手軽な天丼が出来上る。
天つゆ——てんぷらのつけ汁は、たっぷりの鰹節でとっただしカップ1杯につき、醬油とみりん、それぞれカップ四分の一をあわせて煮たたせる。大根おろしやすりしょうがを添えるのが普通だけれど、精進揚げは生醬油と大根おろしだけの方がサッパリするという人もいる。えびや魚など、塩とレモンで食べるのもいい。
家庭のてんぷらは、毎日するわけではないから油を上手にもたせなくてはならない。揚げ終って火を消したら、すぐにたま杓子で油こし器にすこしずつすくいとり、キッチリ蓋をしめる。さめるまで放っておくと空気中で変質してしまうが、こうして熱いうちに始末しておけば、次に使うとき、半分から三分の一ほど新しい油を足せばいい。いためものには、そのまま用いる方が美味しいし、じゃが芋や茄子のから揚げ、トンカツ、コロッケの肉料理には、五度も六度もくり返し使える。わが家では二つの油こし器に、一度か二度使ったものと、何べんも用いたものをそれぞれ別に保存している。よくよく疲れたと思う油は、庭の隅の土に少しずつ沁み込ませている。下水に流さない方がいいような気がするけれ
ど、どうかしら。
それにしてもてんぷらはたしかにむずかしい。素人がどう工夫してみても有名店のようにはゆかない。けれど、好きなときに、誰に遠慮もない気軽な格好で、安直に揚げたてが食べられるところに、素人てんぷらの値打ちがある。多少のことは我慢しなければ......。
食べる人が、「うん、うまい、この頃上手になったね」などと一言やさしくいたわってくれれば、作る人は、この次はもっとうまく、などといじらしい気持になり、面倒なことも忘れてしまう。料理好きは他愛がない。まあお互いにおだてたり、自慢をしたりしながら、せいぜいてんぷらを揚げて、今年も夏まけを防ぐことに致しましょう。
p260…「さあさあ、もう勉強はそのくらいにして,台所を手伝って頂戴な、太郎も花子も。これは頭もやすまるし、丁度いい運動にもなるのだからね」
お母さん方、どうぞそうおっしゃって下さいな。
そういうふうに育てられた子供さんたちは、大人になって家庭をもっても、サッサと二人で料理をこしらえて、セッセとお互いの仕事に打ちこんで、人間らしく明るい暮しが出来るだろう、と私は思うのだけれど……どうかしら。
→好き。