あらすじ
逆風下にさらされる日本であっても優れた報道を続けている良心的ジャーナリストたちがいる。硬派の調査報道ノンフィクションを手がけきた大鹿靖明氏(朝日新聞記者)が、さまざまな分野で活躍するジャーナリストを取材し、その生き様を活写する。(講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
★絶対的な取材量と熱量★新聞や雑誌、テレビの記者がすべてジャーナリズムなのかはもともと疑問がある。単なるライターであり、そこにジャーナリスト精神を常に求めるのは違っている気がする。とはいえ優れたノンフィクションの裏側には圧倒的な思いと取材量があることが、各人の飄々としたインタビューから伝わってくる。
長谷川幸洋氏(東京新聞論説副主幹)が、高橋洋一氏らネタ元が自分で文章を書くようになったとき、政策ではなくジャーナリズムについて書かないと勝負できないと判断したというのは興味深い。論説委員は報道とは異なり、相手が提起していない議論を自分で提起できるかが重要、というのはなるほど。取材先のアジェンダで議論をしている以上は話は相手の掌の上にある。
大治朋子氏(毎日新聞)も堀川恵子氏(元広島テレビ放送)も、あと一歩、動けなくなるまで取材をする努力があって、初めて実を結んでいる。
小俣一平氏(元NHK)は組織ジャーナリズムとして、社内で権力を握ってこそ自分のしたい報道ができると冷徹に見据えて、海老沢一派に入る。観念論だけでなく白黒飲み込んでいる迫力がある。編著者の自分が所属する朝日新聞に対するもどかしさを乗り越えるほどだ。
Posted by ブクログ
気骨のある若い記者が少なくなっと、多くの人が語るが本当にそうか?と思う。見つけられていないだけかもしれない。一方でTV、新聞ニュースのひどさは多くの人々が認識していることでもある。記事(雜誌等)で世に問う方法もあるが、TV、新聞そのものでも対策というか試行策はあると思う。例えば一般記者募集とかで、日曜版や折込広告の分厚いやつに追加するなど。
各先達の紹介する参考文献がこれまた面白そう。ほとんどの本を恥ずかしながら知らなかった。少しずつ集め、読みたい。
Posted by ブクログ
筆者の大鹿さんが自ら気になっているジャーナリスト10名と対談する。それぞれのジャーナリストの信念に触れるなかで、ジャーナリズムとは何かが表れてくる。
私はノンフィクション等にある程度興味があるが、ジャーナリズム、マスコミの世界等にあまり知識がないため、記載されている内容は新鮮だった。
対談相手の第一線のジャーナリストたちも筆者と同様に自らの信条があり、曲げることなく貫き、結果を出してきた人たちで、よくぞここまで信念を貫き行動ができているなと感心する。
男性と女性で感心の持ち方が違いがある、男性はやはり社会のしくみ、政治構造的なものに興味が行きがちで、女性は自らの目線での問題意識が高い気がする。
私は、女性のジャーナリストの話により興味がもてた。
杉山春さんのネグレクトに対する考察、自らの経験からくる説得力のある内容に感動した。
ジャーナリストが置かれる環境、新聞社、出版社へ所属と、フリーとの違い、経営層と現場との乖離など、の話題も面白い。
どこの会社も経営層は、現場感覚と違う論理でなりたっているんだなと。ポリシーをもった報道をすることは職人的な気質の現場の考え方で、経営側の考えは、現場が批判する対象であるという矛盾。
尚、筆者の大鹿さんの持つ最近のジャーナリズムにたいする忸怩たる思いは以下のようなもの。
・情報源から発信される情報を早く、きれいにまとめて出すだけ。
→情報源から情報を引き出すために、情報源と親しくなることに重点がおかれ、批判、自らの核のようなものがなく、受動的な姿勢になっている。
・自らの企画、テーマをもっていない者が殆どになっている。
・雑誌が売れなくなり、週刊誌の予算もなくなり、売れるためにエンターテイメントの内容に安易に飛びつく、読者がわかりやすい図式にしないといけなく、複雑な内容の企画が通らない。
Posted by ブクログ
福島原発事故の報道のありように対する疑問を出発点とする、新聞社所属、独立両方のジャーナリストへのインタビュー。
自分で企画できた / する必要があった、週刊誌の経験が貴重だったと言う人が複数あり、今の雑誌の状況と対比して印象的だった。インタビューを受けた人達の著作、勧めるノンフィクションを、読んでみたくなる。
編者である朝日の記者が 2014 年時点で言う、「四半世紀前は 1/5 いた『これをやりたい』という意欲を持つ記者が最近では 1/20 くらいではないかと思っている」というのが、象徴的。まだ 1/20 はいるのか、とも思うが、等差級数でなく等比級数であることを祈る。