あらすじ
17年間の教師生活を通じて知った子どもたちのやさしさ、個性の豊かさ。児童雑誌「きりん」に掲載された、底抜けに明るくユニークな子どもの詩の数々。どんな時も、子どもたちが自分を支え、育んでくれた――。「兎の眼」「太陽の子」「天の瞳」の著者・灰谷健次郎が綴る、子どもの可能性の大きさ、そして人間への熱い思い。限りない感動に満ちた、灰谷文学の原点。
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高校生の頃に出会った本。
物語の子ども達の境遇や、彼らを優しく、慈悲深く見守る先生の姿と、そのやりとりと結末に、なんとも言えない想いを強烈に抱きました。価値観が変わり、その後の人生の指針となった本。
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「灰谷健次郎 著」 というだけで買った一冊です。
関西弁で綴られる、子供たちの素直な言葉。そして、そこには子供ながらの思いや葛藤も痛いくらいに表現されています。現代から昭和初期にタイムスリップでもしたかのような印象を与えてくれました。
子供たちは、大人が考えているよりずっと周りを見ています。しっかり考えています。友達を見て、友達と生活を共にして、恐ろしいくらいどんどんと成長していってます。子供の感受性を見くびって、知った顔をしているのは大人の方なんだろうな~。
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本書を読むと「生きるとはどういうことか」について、真剣に考えざるを得なくなる。自分の中の汚い感情、ずるい感情と真正面から向き合わざるを得なくなる。
だから、余計なことを考えずに楽しく暮らしたいのであれば、本書を手に取らない方が良い。
楽しく暮らすことだけに価値があるのではなく、自分や周りの人たちの人生を思う存分味わって生き抜くことに価値を感じる人には、是非読んでほしい。
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灰谷先生は、感受性が・・私のような若い経験もない人間が言えることではないですけど・・・子供たちをあったかい目で見られていますもっとも先生自身が若い頃の経験を元に感じられた事ですから・・実は私にはよくわかんないです。でも優しさを層感じるのかってことを学んだような気がしていますこの本は新たな発見でした。
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灰川さんが、いままで出会った子供達のことを、感動を交えて語っている。さらに灰川さん自信の子供時代のことも描かれていて、新鮮だった。一気に読めて良い。
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なぜか本棚にあった本で手に取った。母が好きだった本で実家から持ってきたのだったろうか。子育てに悩んだときに手に取った。自分の悩みが吹き飛ばされるような感覚があった。
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灰谷さんの生い立ちや子どもたちとのかかわりを書いている。灰谷さんって人格者の熱血先生って感じの人かと思っていたけど、この本を読むとそうでもなさそう。冒頭の若くて仕事がなかった頃の話なんてなかなか壮絶。精神的にも荒んでいた感じがするんだけど、それがどうして子どもたちの本当の姿をちゃんと見ることができる人になれたのだろう。
ガムを万引きしちゃった女の子と向き合った話が出てくるんだけど、昔の傷を思い出してしまった。私も友達の家からなぜか雑貨を隠し持ってきて母に諭されて白状したことがあったなあ。そのとき怒られなかったけど、母が悲しかっただろうことが今なら想像つくし、その後同様のことをせずに生きてこられたのは母に怒られるでもなく諭されたあの場面があったからだろうなあ。
同じような子ども時代の思い出がある人ってけっこういるんじゃないかと思うけど、今の子どもたちどうなんだろう。総理大臣もその場しのぎで軽々とウソをつく世のなかで、子どもたちにも罪を認めたら負けとか、しれっとすり抜けるような技を教えちゃう大人が増えてきているような気がしてしまう。
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小学校低学年の自分なんてもう思い出せないけど、自分もこんな子供だったと思いたい・・という子供が沢山。灰谷健次郎も教師として素晴らしいけど、子供ってこんなに素敵なんだなー。でも、これってふた昔ほど前でこの時代だからこそなんじゃない?とも思ってしまう。今もこんな子供たちいるのかな?なんとなく都会にはスレた子ばかりの気がしてしまう。などと大人が判断してはいけないんですよね・・。
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文体が古かったりなまりやこどものあどけない言葉をそのまま使っているので、読みにくい部分もありますが、ありのままを伝えたい、大事にしたいという著者の気持ちが伝わってきて、それがよさでもあると思います。
そういったことで、前半は読み進めるのに私は時間がかかりましたが、後半は「教育に対する思い・考え」について、また、それが形成される過程が描かれているのでスムーズに読むことができました。
いずれにしても子どもの、神髄をつく鋭さ、深いところのやさしさ、などが描かれていて究極の世界といった感じもしますが、実は自分のすぐ隣にも存在している世界であり、研ぎ澄まさなければいけない視点であると、受けとめながら読み進めました。
灰谷さんのとてもやさしくて、まじめで、実直な、そして自虐的な人柄が色濃くあらわれています。「灰谷健次郎」という人物がどうやってできあがってきたか、それがありのままに描かれている自伝的書でもあります。
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高校生で『太陽の子』を読んで、灰谷さんの作品を知った。そして、それからむさぼるように灰谷さんの本を読んだ。
幸運にも高校3年生の修学旅行が沖縄で、しかもたまたま選んだ離島が渡嘉敷島で、ある夕方、浜辺で灰谷さんを囲んで話をする機会に恵まれた。本当にすばらしいひとときだった。あまりの出来事に、そして時間が経ってしまったこともあり、その内容は残念ながらはっきりとは覚えていないが、こんなに感動を与えてくれたご本人と会って、話をする機会に恵まれるなど、本当に幸せで、本当にうれしかった。
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・たとえば、朝、養護学校にいく為に、スクールバスが迎えにくる場所まで歩く数百メートルの道のりを見るだけでいい。
かの女はたくさんの生き物を友達にしていることを知るだろう。
仕出し屋の猫に、朝のあいさつをする。残飯を食べ過ぎて体が酸性になった猫は機嫌が悪い。そんなとき、かの女は笹の葉を猫にやるということを知っている。
かの女は一休みする。
やはり木の葉に止まって一休みしているハチが、体内の余分の水分を口から出すのを見ることがある。
その小さな水玉は朝日を浴びて、このうえなく美しい。
かの女はそれを、ハチのシャボン玉吹きといっている。
マツバボタンにも、朝のあいさつをする。
「おはようさん」
といって、一本のオシベに触れる。すると、触れていない他のオシベまで、かの女の方に傾いてあいさつをする。そういう修正をかの女は知っている。
言語障害をともなっているかの女の「おはようさん」は、もちろん他の人には「おはようさん」とはきこえない。
しかし、ぼくはこの朝のあいさつの中に、生命の充実を感じる。言葉にならない言葉の中に優しさがこめられていることを知る。
たった数百メートル歩くあいだに、ずいぶんたくさんの生命を見つけ、そして、それと交感している。
そういう子どもに、ぼくたちは
「あんな子、生きとって何の楽しみがあるんや」
という言葉を投げつけることによって、自ら非人間となったのだ。
スピードというものをとりこんだぼくたちは、かわりに失ったものがいくつもある。
「あんな子、生きとって…」という言葉はそっくりそのまま、かの女からぼくたちに向かって投げ返されいる言葉なのだ。
ある日、ぼくは重大なことを知る。
かの女をプールに連れていったときのことである。
危険がいっぱいの子だからと辞退する親を説得して、ぼくはかの女をおぶって連れていったのだった。
水着に着替えさせ、水に入れると、かの女は嬉々として手足を動かすのである。
意外だった。
そういう子だから、水は恐がるものだとばかり思っていた。ぼくはいくぶん拍子抜けしたような気分にもなったけれど、かの女の喜びがぼくにも伝わって、ぼくは、胸が熱くなった。
プールの端から端へ、かの女の体を支えてぼくは進んだ。
顔に水がかかると、いっしゅん息をつめ、それから何かおいしいものでも食べたように、ぷああんと満足げに息を吐いた。
二十五メートル進んで、かの女はプールサイドに手をかける。かの女は振り向いて笑った。ほんとうに美しい笑顔が、ぼくの顔を見上げている。
信じられないことだった。
麻里ちゃんが笑った。麻里ちゃんが笑っている。
ぼくの胸に熱いものがこみあげる。
そのとき、あることに気がついて、ぼくはぎょっとする。
ぼくには今、かの女の笑顔が笑顔として見えている。しかし、かの女と何のつながりもない人は、かの女の笑顔が笑顔に見えないのだ。かつてのぼくがそうであったように―。
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灰谷さんの自伝的な小説。
こどもたちの作文、感想文や手紙がとてもいい。おならという題材を違う学年の子たちが3連続で書いてきたあたりが最高で買ってしまった。
明るい話ばかりではないが、大らかさなんかは忘れちゃいかんなと。
Posted by ブクログ
こどもたちの姿、気持ち等、伝わってきます。
なかでも「チューインガム一つ」は、何度読んでも心につきささります。
「チューインガム一つ」
せんせい おこらんとって
せんせい おこらんとってね
わたし ものすごいわるいことした
わたし おみせやさんの
チューインガム とってん
1年生の子 と ふたりで
チューインガム とってしもてん…
つづく
この先の展開は、ぜひ機会があれば読んでみてください。