あらすじ
ふるさと西伊豆の小さな町は、海も山も人も寂れてしまっていた。実家に帰った私は、ささやかな夢と故郷への想いを胸に、大好きなかき氷の店を始めることにした。大切な人を亡くしたばかりのはじめちゃんと一緒に……。自分らしく生きる道を探す女の子たちの夏。版画家・名嘉睦稔の挿画26点を収録。
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Posted by ブクログ
親、友達、親しんだ自然。
そういうものを、私たちは「ずっとあるもの」だと思ってしまうことがあると思う。
変わらずにずっとあるものだと。
しかし、ずっと変わらずに存在するというのは難しい。
人も自然も、いつかは変わってしまう。
命には必ず終わりが来て、消えていく。
それでも、信じたことを少しずつ続けていけば、「変わらないもの」を作れるかもしれない。
そういう希望が心に灯るような小説だった。
この作品を読んで、壮大な自然と向き合ったときのような気持ちになった。
変わるものと変わらないもの。
私の中に渦巻いているもの。
そういうもの全てをどっしりと包み込んでくれるような、懐の大きさを感じた。
自然と身体が親密に繋がっていて、大きな時間の中で生きている。
そういう感覚を、よしもとばななさんの作品は思い出させてくれる。
目の前のことで精一杯な私に、穏やかな気持ちを与えてくれた。
名嘉睦稔さんの版画もとても美しく、鮮やかなエネルギーを感じた。
夏直前のこの時期に読めて良かったと思う。
Posted by ブクログ
すーーーーごく好きだった。
見たことも行ったこともない海沿いの町が目の前に現れたような感覚。あとがきにあった作者が訪れつづけている町がモデルなのかな、いつかこんなふうに好きな場所についての話を書けるようになりたいと思った。
それから、読みながらずっと穂村弘と東直子の本にあった文章が浮かんでいた。〈好きな人ができると一緒に海へ行きたくなってしまうのは、なぜなんだろう。お互いの身体の中に眠っている遠い記憶を、一緒に確かめたくなるからではないかと思ったりします。〉
海にも行きたいし、この本も読んでもらいたい。
Posted by ブクログ
なんだろう。
吉本ばななさんの本はどれもそうだけど、純度の高いすっきり感のある純文学。
苦しい時にコーヒーを飲みながら読み返したくなる。
会話のひとつひとつから、言った登場人物の心情の想像が膨らむ。
Posted by ブクログ
とても尊敬している、平野紗季子さんのラジオで夏の読書といえば、、で出てきたもの。
ばななさん、久しぶりですが、やっぱり、やっぱり、いい。
優しい気持ちになれる、というより、優しい気持ちを思い出す、そんなイメージ。
ばななさんが描く夏の風景、それは、木や海や動物が寄り添いあって人と自然と混じり合っている風景なのですが、その夏の風景以上のものにまだ出会ったことない。
今回は挿絵の版画がより一層美しく物語を彩ってくれる。版画なのが、島のイメージで、とても、いい。
景色の描写がとても美しく、わたしもかき氷やさんをやっているし、福の木の周りを散歩したり、はじめちゃんと海で話したり、そういうことが、どんな場所で読書しててもできる本。
開けばすぐ自分だけのその世界にゆける。たとえ東京の地下鉄の喧騒にいても。
_φ(・_・
実はいろんなことってそんなに確かなものじゃないっていうことに気づくと苦しすぎるから、あんまり考えないでいられるように神様はわたしたちをぼうっとさせる程度の年月は持つように作られている
お掃除はその人がその空間をうんと愛しているという気持ちで清めることなんだなぁ
大事にされているものは、すぐわかる
はじめちゃんがいっしょにいると、一人でも感じていたことがもっと大きくおおらかに感じられるようになる。
人は人といることでもっと大きくなることがある
大したことができると思ってはいけない
ただ生まれて死んでゆくまでの間を、気持ちよくおてんとうさまに恥ずかしくなく、、この世が作った美しいものをまっすぐな目で見つめたまま、目を逸らすようなことに手を染めず、死ぬことができるよう暮らすのみ
体が涙でいっぱいになったように重かった
Posted by ブクログ
まりちゃんは活気あったころの子供の頃の土肥の町を追い求めていた。夏の町は観光客でごった返し、海の中には鮮やかな世界が広がっていた。しかし、その色鮮やかな世界は時代の流れとともに失われてしまった。土肥の町はしなびてしまい、海の生き物は死に絶え、色彩を失ってしまった。
そんな色を失いつつある土肥で、まりちゃんは色彩を取り戻そうと町のみんなの心のよりどころになるかき氷屋さんを始めた。子供や老人が集まって、かき氷を食べながらひと夏の思い出を紡ぐような景色を提供するために。
きっと伊豆半島をめぐってみれば、その町の景色を守ったり、新たな景色を彩ったりしている町の事業者がたくさんいるんだと思う。
そんな伊豆半島の魅力的な事業者さんを取材し、紹介できる日々が戻ってくるのを心待ちにしている。
Posted by ブクログ
故郷のさびれた海辺の街でかき氷屋を営む主人公まりはこの夏だけその母の親友の娘であるはじめちゃんの面倒を見るようになる。まりははじめちゃんの面倒を見るうちに彼女の心の美しさに惹かれて次第に心を通わせていく。
まずよしもとばななの圧倒的表現力に脱帽した。作家として面白いプロットを書けるのは1つの才能だが本作のように淡々としたシンプルなストーリーを優しく心地よいテンポで描けるのも作家としてたぐいまれな才能だと実感した。彼女の他の著書も読んでみたいと思った。
Posted by ブクログ
大好きです。
身近な色々なものを大切にしたくなるそんなお話でした。
海も山もある寂れた観光地の人間としては、淋しさも嬉しさも共感できることばかりでした。
「この町に来た観光客が、言い知れない懐かしさや温かさを感じて、そして「また来よう」とここを大切に思う気持ちを、住んでいる人たちの糧になるような輝きを、置いていってくれるようになりますように。」
この言葉を胸に日々暮らしていきたいです。
Posted by ブクログ
・キジムナーとかケンムンとかなまはげとか、遠い外国のホピ族のマサウも…人のいるところに近いところにいる神様たちは、みんな恐ろしい外見をしているみたいだ。
ぎらぎらした目だとか、牙だとか、赤い色の体だとか、武器を持っているとか。
それは、きっと身を守るためでもあるけれど、なによりも、人の心を試すためなのだろう。その見た目を乗り越えてきたものだけが、その繊細な魂の力に触れることができるから。
子供はその姿をはじめ素直にこわがり、そしてその分だけ素直にその形を受け入れることができる。
はじめちゃんにもどこかしらそういうふうな、魔術的で神聖なところがあった。p9-10
→素敵な始まり方、新しい視点もくれる。そしてそれがずっと話の本筋に入る感じ。
・一度その見た目に慣れてしまえば、はじめちゃんの持っている雰囲気は、まるでハイビスカスの花に浮かんでいる透明な水滴みたいに綺麗なものだった。
たとえば…隣に座っていて一緒に海を見ているとき、私はすぐに横になにか透明でゼリーのようにふるえていて、とても強い光があるのを感じていた。そしてふと姿を見ると、彼女にはじめてあった人がいかにも思いそうなことが思い浮かぶ。かわいそうにだとか、たいへんだねだとか、でも私は、見てないときに感じていたもののほうが、私の本当の気持ちだという気がした。p11-12
・それは私たちの出会いの夏、一度しかなくもう二度と戻ることはない夏。
いつでも横にははじめちゃんが静かに重く悲しく、そして透けるようにしていっしょにいたっけ。p12
・やがて福木の道は一周して終わり、静かに海が開けた。おだやかで小さい砂浜にまだ海水浴客がちらほらといた。パラソルやうきわの色が鮮やかに見えた。
昔のままののどかな海水浴の風景だった。
「この景色が好きで、ついついここに帰ってきちゃった。」
とおばさんは笑った。その真っ黒に焼けた肌とおおらかな接客の芯のところに、故郷をどうしようもなく愛している心があった。
私はそれにがつんと打たれたような気がした。
そうか、そうなんだ。
私にはソテツも福木もさとうきびもガジュマルもみんな、とっても珍しくて新鮮なものだ。いつまでだって見ていたいし、恋したみたいに夢中だ。
でも私にとって、この人がこの海と福木があるこの場所に戻ってきてしまったように、とってもうっとうしいけれど心がいつも帰っていくところはらあの、西伊豆の夕日に映える景色や植物以外にはないのだ、そう思った。p18-19
→故郷の好きな景色、そこからは離れられない。郷愁。
・夢をかなえるだのなんだのと言っても、毎日はとても地味なものだ。
準備、掃除、肉体労働、疲れとの戦い。先のことを考えることとの戦い。小さないやなことをなるべく受け流して、よかったことを考え、予想のつかない忙しさを予想しようとしないようにして、トラブルにはその場で現実的に対処する…。有線で良いチャンネルがなければ、自分でCDを編集して流しておく。面倒でも洗い物は丁寧にやっておく。麻のふきんは白く清潔に保つ。氷は少し多めにいつも注文し、決して他のものの匂いがつかないように管理する。「普通の氷はないのかね?氷イチゴとか」と百回くらい聞かれて「すみません、そういうのはうちにはないんです」と百回くらい笑顔をつくる。そういう細かいことにひたすら追われるだけだ。それがつまり、夢をかなえると世間で言われていることの全貌だった。
私はいちばん暑い時間は避けてお昼と夕方を中心に開店していたけれど、それでもほとんどクーラーなんかきかない暗くちいさな場所に詰めこまれてずっと氷をけずり続けるというのは、とても地味な作業だった。しかしその地味さの向こうにあるものを、私は見つめ続けた。p31-32
→夢をかなえたところで、なにも特別なことはないのかもしれないし、夢をかなえた先に自分がどうなっていたいのかまでが夢なんだろうな。
・ここを通るたびに、そして橋のたもとから見る海に夕陽の光が映っているのを見るたびに、柳がやさしくわさわさとふるえるのを見上げるたびに、私はなんだか時間が惜しいような気がする。ふと幸福で胸がつまりそうになる。それは、本当に自分の場所を持っているという幸福だった。あ、そうだ。私はほんとうに自分でお店をやっているんだ…そう思うと、うっとりとした夢のような感じがした。そして、さあ明日も店に出よう、と思うのだ。
大変なことに比べたら時間はとっても短くてほんのちょっとだけの部分でも、そこには確かに「夢をかなえる」ことの神秘的なきらめきが存在した。p34
→本当に自分の場所を持っている感覚、これが幸せなんだな。
・ただ、いつのまにかあせっていた自分の状態には気づいた。
毎日のことに追い立てられて、生涯に一回だけしかないこの夏を、予想がつくものであってほしいと思って、自分で自分を狭くしようとしていた。ほんとうは時間はみんな自分だけのためにあるのに、自分で型にはめようとしていた。
いつだって、ここではないどこかへいこうとしていた自分をたしなめるように店を始めたはずなのに、ここで起こってくることを受け止めて面白がり、味わうことを忘れかけていた。
あせりこそが私をだめな、ふるさとをだめにしたものと同じ色に染めてしまう。時代の、ぐるぐる回転するわけのわからない速さの車輪に巻き込まれてしまう。
私は大いに反省し、とにかくどういう人かわかるまではきちんと見極める気持ちで、はじめちゃんをとりあえず受け入れることにしたのだった。p38-39
・…なにかをふりはらうような、地味で静かで意固地な手伝い方だった。p51
→吉本ばななのこーゆー表現好き。下の洗濯物が乾く描写もそうだけど。
・窓の外には強い光の中に、母が干した洗濯物がさらされているのが見える。
洗濯物はどんどん乾いていく。まわり中にふんだんに満ちている朝のすばらしいエネルギーを吸い取って、すみずみまで光にあたって、いい匂いをさせてぱりっと乾いていっている。p55
(中略)それはなんということのない光景だったけれど、そういうのがいちばん心に残るものだ。
あの夏を思い出すとき、いつもその感じを最初に思い出した。
気だるい体と、寝ぼけた頭と、陽にさらされるはじめちゃんのやけどと、コーヒーの匂いと、ぎらぎらした光の中で乾いていく洗濯物と。p56
→大切な人と日常を過ごす中で、こういう気持ちも大切にしていこうと思えた。
・すごすぎる。生きているだけでいろんなことがありすぎる。もしもこの夏、私が店のことだけ考えていたら、絶対に思い出すことのない感覚だった。
はじめちゃんが来てくれて、本当に良かったと思った。
こういうひとつひとつの奇妙な感動が私を豊かにして、瞳を輝かせ、毎日をルーチンにしなくなった。そしてそのことが、なぜか昼間の仕事をいろいろな角度から複合的に支えているということがわかってきたのだ。p75-76
→わかる。誰かと過ごすことは、誰かの視点が自分の中に追加されることでもあると思う。同じものを見ているけど、2人分の視点、相手の視点は想像するだけかもしれないけれど、2人分人生を楽しめる。僕が彼女に会って、気持ちの良い夜に散歩をするようになったのも、きっと同じ。夜の空気を彼女にも感じて欲しいから外に連れ出して、結局自分の心が豊かになっていく。
・お掃除っていうのは、きっとその人がその空間をうんと愛しているという気持ちで清めることなんだなぁ、と私はしみじみ思った。形だけやってもちゃんとわかってしまうし、木でも人でも動物でも空間でもものでも、大事にされてるものは、すぐにわかる。p76
・…でも、これだけは確かなのは、昔は、そんなことがあっても、全然気にならないくらいに、海とか山がもう毎日変化するワンダーランドかと思うくらいに楽しかったっていうこと。季節の変化も気候の素晴らしさも、全部もう両手に持ちきれないほどだった。そして、どんなにいやな人にも平等に夕焼けとか、台風の後の空とかがふんだんに綺麗なものを降り注いでくれたの。考えられないくらい綺麗な日っていうのが年に数回あって、光や海や空の色の変化があまりにもすばらしいので誰もが何かをもらっているような気持ちになったものよ。」p80
→考えられないくらいきれいな日って良いな。確か2年に数回ある。
・この町や近くのいろいろなところを巡るたび、はじめちゃんは「連れてきてくれてありがとう」と言ったが、実は感謝したいのは私の方だった。
はじめちゃんがいっしょにいると、ひとりでも感じていたことがもっと大きく大らかに感じられるようになる。私の心が大きく開いて、いろいろなことがもっとよくわかるようになった。
人は、人といることでもっともっと大きくなることがある。
私の好きなものをいっしょに見てくれる人がいる、それだけで私はどんなに運転してもいいや、貯金など全部なくなってもいいや、そんな気持ちになるだった。p90
・「私はずいぶん早くに、もしかしたら、って気づいてしまったことがあるの。」
(中略)「このやけどのことを、嬉しいと思ったことはなかった。でも、このせいで、私は他の人よりもずっとたくさん、考える時間をもらった。そしてずっと考え続けた。おばあちゃんが私を守ろうとしてくれたときには、暑さも痛さも感じなかった。でもそのときの、おばあちゃんの体の温かさとか匂いとか、よく覚えている。人はそんなふうに、自分よりも幼いものを絶対に守ろうと思う。それが人というものがこうして続いてきた理由、理屈のない理由なんだって私は体で知った。おばあちゃんが教えてくれたことだった。おばあちゃんが死ぬ直前までの期間はうんと時間がゆっくり流れて、それはほんとうのところ、とても美しい時間だった。もっとこわくて生々しくてみていられないようなことだと思っていたら、もう少し余裕があって、自然なことだった。もちろん生々しいこともいっぱいあったよ。でも、そういうのを抜きにしても、意識がなくなる直前まで、おばあちゃんはちゃんとおばあちゃんだったの。イライラしたり、怒っていたり、痛がっていても、おばあちゃんはちゃんと私のおばあちゃんだった。別の生き物に変わったわけじゃない。そのことを私はすごくいいことだと思った。そのドラマを全身で味わった。きっと、昔は、歳をとった人は、若い人にそうやっていろいろ体で教えながら死んでいったんだ、そう思ったの。それから、自分が生まれながらにさずかったものやさずけられなかったもの…いろいろと、うんと考えたの。そして思った。私が特別なわけではないんだって、ただ少し多く早く味わってしまっただけだって。このことの全てが私固有の心の傷なんかじゃない。それこそが、生きるということなんだって。私たち人間は思い出をどんどんどんどん作って、生み出して、どんどん時間の中を泳いでいって、でもそれはものすごく真っ暗な巨大な闇にどんどん吸い込まれていくの。私たちにはそれしかできないの。死ぬまでずっと。ただ作り続けて、どんどんなくしていくことしか。」p94-96
・私はここに戻ってきてから、こんなことばかり思い出している。ノスタルジーが私を突き動かす力になっている。それは一見、希望的なことに見える。でも、うんと後ろ向きだった。別れた人のことをいつまでも思っているみたいな感じだ。p98
・だからこそ、大したことができると思ってはいけないのだ、と思えることこそが好きだった。私のできることは、私の小さな花壇をよく世話して花で満たしておくことができるという程度のことだ。私の思想で世界を変えることなんかじゃない。ただ生まれて死んでいくまでの間を、気持ちよく、おてんとうさまに恥ずかしくなく、石の裏にも、木の陰にも宿っている精霊たちの言葉を聞くことができるような自分でいること。この世が作った美しいものを、真っ直ぐな目で見つめたまま、めをそらすようなことに手を染めず、死ぬことができるように暮らすだけのこと。
それは不可能ではない。だって、人間はそういうふうに作られてこの世にやってきたのだから。p99
・「うん、いつも損をしているけど、気が弱くて、戦わないし、こだわりがないし、どこでも幸せを探せるタイプ。私もお母さんもそれによく振り回されて腹がたつこともあるけれど、憎めないし、結局理解するんだけれど。そういう人って、ドラマの中にしかいないわけではなくて、ほんとうに、ちゃんと存在するんだよ。きっと網代の家で、通勤も苦労して、でも土日は釣りをしたり、趣味の工芸をしたりして、嬉しく過ごすことがお父さんのせめてもの復讐なんだろうなぁ。でも、きっとお父さんはちゃんとそうやって楽しくできるし、その家で死んでも悔いがないっていうくらい、ちゃんと海の景色や干物やきれいな空気を楽しめるんだよ。私そういうお父さんの娘だということが、ほんとうに誇らしい。がつがつしてない男の人って珍しいし、だからこそすばらしいと思うんだ。」p135
・「うん、どんどん流れていくしかないから、別に私はいいの。おばあちゃんも、そう言っていた、いつだって。ものにこだわらないで、今日1日に感謝して寝れば、どこにしても人は人でいられるって。やけどのことも、おばあちゃんは私がこうなったことよりも、生きていることが嬉しかったってほんとうの本気でいつでも言ってくれた。だから、子供の頃、人にどんな目で見られても、私はゆがまなかった。だから、私はどこに流れてもいいんだ。そこでいいふうにしていくから、そしてどんどん思い出を作り続ける。それで、死ぬときは、持ちきれない花束みたいなきれいなものを持っていくの。」p139
→持ちきれない花束みたいなものを持っていくの…って最高、まじ最高。
・「さいごこさいごにさされたんだよ…それに、それまでの気持ちの感じと言ったら、素晴らしいものだったわ。」
「くらげにさされてすばらしいなんて、私は思ったことないなぁ。」
私は言った。私にとってくらげは、もう夏の海が終わるしるしの忌々しいものだった。
はじめちゃんはひき続きうっとりとして言った。
「こわいと思う気持ちが、ひとかきひとかきをいっそう研ぎ澄ませて、まるで祈りのような泳ぎだったんだもの。何かに勇気を出して静かに入っていくみたいな。」
「変な奴。たんにくらげの海に入っていっただけだよ。」
私は言った。
「でも、私は海にありがとうって言い忘れたから。この間泳いだとき。」
はじめちゃんは言った。
「ああ、それは私もいつも言う。夏が終わって、さいごに、海から上がるとき。」
私は嬉しくて思わず顔が笑ってしまった。また同じところを見つけた。
…今年も泳がせてくれて、ありがとう、今年もこの海があってくれて、ありがとう。そして来年もこの場所で泳ぐことができますように。
最後のひと泳ぎをするときにはいつでもなごりおしくて、いつまでも海の中にいたいけれどもう陽も暮れそうだし、仕方なく上がる。なんだかぬるい水まで、体にまとわりついてくるようだ。体と魂の一部が、海に溶けていってしまったようだ。足首くらいまで上がったとき、やっとあきらめがついてちょっと切ない気持ちがのこる。p150-151
→福岡堰とかそんな立ち位置。海のように限りある時で当てはめれば、桜とか綿毛の季節とか。
・私は疲れていたからすぐに寝そうだった。でも、暗闇の中ではじめちゃんの泣く声はもう聞こえず、私の部屋に来たことで安心して、ぐっと深く寝たようだった。なくしたもので頭がいっぱいになっているときに、誰かがふと部屋に入ってくる、そういうきっかけって大事だよなぁ、と私は眠りに落ちる直前に思った。
おばあちゃんが死んだときはずっと部屋で泣いてばかりいたけれど、手伝いに来ていた親戚のおねえさんが車で連れ回してくれて、その人がげらげらわらうたびに、ちょっと私も笑うことができたからだ。1日1回笑えると、大丈夫という感じがしたものだ。p157-158
→ 「なくしたもので頭がいっぱいになっているときに、誰かがふと部屋に入ってくる、そういうきっかけって大事だよなぁ、と私は眠りに落ちる直前に思った。」か。さりげない優しさをあげたいな。そらが「ふと」入るってことなのかな。
・「すごい、なんだかわからないけど、この子たち、生きてるね。」
はじめちゃんは真剣な目で言った。
本当の友達というものは、ほとんど全部を一瞬でつかみとってしまうものだ。それは真剣勝負で、全く嘘のない世界だ。
たとえば「すごくかわいいね、まるで生きているみたい」と誰かが優しい笑顔で言ってくれても、私は嬉しくは思っただろうけど、今みたいに胸の奥をキュッとつかまれたようにはならなかっただろう。
私がどの程度もぐっていっていて、どのくらい孤独で、どのくらいのことをひとりで心がけているか…友達にはそういうことはみんな伝わってしまうのだ。p161
→真の友情は真剣勝負。なるほど。
・「はじめちゃん、もうすぐ帰っちゃうんだよ。」
と言ったら、彼は浜で焚き火をしようと言った。
「俺がいれば、ぶっそうじゃないし。」
そして、弟を呼んで手伝わせて、火を起こしてくれた。
「君、火が怖いっていうこと、ないよな?」
はじめちゃんにそう聞くようなところが、泣かせた。
はじめちゃんは首を振ってにこりと笑った。p173-174
→こういうまっすぐな気遣い、思いやり、優しさって響くなぁ。爽やか。
・虫の声の中、家まで送ってもらった。
「ありがとう、ほんとうにありがとう。」
「また、必ずまた。」
打ち解け合ったもの同士がする特有のあいさつを交わして、夏は終わった。p176
→こういう美しい言葉でディファインすると、何気ない風景もこんなにも愛おしくなるんだ。
・「必ずいろんなこと実現させようね。私、帰ったらもうぜんとぬいぐるみを作り始めるよ。生地屋に行って。できたら、すぐに送るね。」
はじめちゃんは言った。
「看板娘がいなくても、かき氷屋頑張ってね。私、落ち着いたら本当に毎週手伝いに来るよ。絶対に。」
あぁ、目先の寂しさよりも、はじめちゃんはもっと遠くを見ているんだ、と私は思った。悲しくないわけじゃなくて、これまで経験した困難さのせいで、そしてはじめちゃんの生きにくさがそのまま、夢にしがみつく力の源になっているんだ。p178
→言葉が美しすぎるってぇぇぇぇぇ。
・後にのこった私は、一歩一歩をふみしめながら、浜辺を戻っていった。
私は私の店を作ってゆき、たくさんの人に出会うだろう。そしてたくさんの人を送るだろう。決まった場所にいるということは、そういうことだ。送らなくてはいけない‥ゲートボールのおじいさんたち、そして、いつかは自分の親も。自分に子共ができたら、子共がかき氷屋をかけ回り…そういうふうになるまで続けていくということは、全然きれいごとじゃなくて、地味で重苦しくて、退屈で、同じことの繰り返しのようで…でも、何かが違うのだ。何かがそこにはっきりとあるのだ。
そう信じて、私は続けていく。p179
→毎日は繰り返しでも、何かが違う。同じことを繰り返すうちに少しづつ変わっていくものの積み重ねが思い出だったり幸せだったり夢に繋がっていくのかもな。p31-32の夢の話にも似ている。
・…ただがむしゃらに道を作り、排水を流し、テトラポッドをがんがん沈めて、堤防をどんどんつくっただけだ。いちばん楽なやり方で、頭も使わないで、なくなるもののことなんか考えないで。
考えれば、適切な方法は絶対にあるはずだったのだ。
お金か?誰がそんなものを引き換えにするほどお金を節約できたり、楽ができたのか?
私の友達たちを、返してほしい。はじめちゃんに、おばあちゃんの思い出のかげりのないものを返してほしい。私やはじめちゃんの愛することを、お金に換算しないでほしい。
→ここで初めてまりちゃんとはじめちゃんの苦悩が繋がった。もしかしたらまりちゃんがはじめちゃんを見てこんなにも愛おしく、放って置けないと思っていたのは、もしかしたら2人の苦悩の間につながるものがあったからなのだろうか?自分の投影だったのだろうか?ってなる。まぁ、美しさは変わらないけど。
Posted by ブクログ
いつか変わってしまうからこそ、今変わらないものがあることの尊さに気付いて、小さいなことにも感謝して、生きていきたい。
心の中にずっと置いておきたい作品。
Posted by ブクログ
好きなフレーズがいくつもあり、とても心に残る本になりました。夏が終わる前に読めてよかった。また夏が来たら読みたくなるような作品。挿絵の版画もじんわりと心に響いて、泣きそうになりました。
Posted by ブクログ
感覚的なものの表現が上手でどの場面も情景が鮮明に浮かんできた 何か忘れていたものを取り戻したような気持ちになった 丁寧に自分を大切にするということを書かれていてそのように生きたいと思った
Posted by ブクログ
土肥っぽい〜
西伊豆に行きたすぎるのよ。景色がすてき。
原付でも持って行って、西伊豆でぼーっと数週間くらい過ごそうかしら。好きなときに泳いで、好きなときに本を読んで。ときどきは勉強や仕事もして。
いつもダイビングいくところに住まわせてもらってさ。すごく素敵なアイデアな気がしてきた。トップシーズンなる前か後がいいね。
かき氷やさん。エスプレッソがあるかき氷やさんというのがいい。あと、こだわったシロップを用意しているのもいい。舞台芸術をやった主人公が手作りでお店を作るというのもなんかいい。
あとは、主人公が元彼とかき氷を食べて、それをきれいというはじめちゃんもいい。わたしもその人と話してるときが一番自然で、きれいになれるような、そんな人と出会えたらいいな。
Posted by ブクログ
まりは廃れ失われゆく故郷を嘆きつつも、かき氷屋を新しく生み出した。人間はそういう力がある。そして、一人一人のそれの積み重ねで、世界はこれからも豊かに続いていく。
Posted by ブクログ
とてもよかった。
久しぶりの吉本ばなな。
静かな文章の中に、思わずメモしたくなる、人生において大事なメッセージが書かれているところが好き。
地味で苦しいくり返しの日々でも、やっぱり生きていることって一瞬だし、大切だよねというような。
西伊豆という設定も好きでした。
行ってみたいところが増えた。
Posted by ブクログ
とっても好きな本。何度もよんでしまう。
海のちかくでかき氷やさんを営み始めた女の人と、その夏を一緒にすごすことになった、とても賢くて魅力的な女の子のお話。二人の会話や、景色、海、かき氷の味(まで感じる)
なにもかも好き。こういう雰囲気の夏が、とても好きだ。
Posted by ブクログ
よしもとばなな作品を初めて読んだのは二年前の六月。「キッチン」を読んだ。それまでばなな作品に触れたことがなくて今さら読んでもなあと思うところもあったけれど、それでも手に取った。王道すぎるものには一度乗り遅れるとなかなか手が出しづらい。でもそれでも手を取らせてくれたのは友人のひとりのSが面白いと言っていたからだったような気がする。
そんなSがふと、この本を「読みませんか」と言ってくれた。今ではよしもとばななが大好きな僕はありがたく貸してもらうことにした。
主人公のまりちゃんがとても好きになった。まりちゃんの一人称で書かれた物語だから彼女の素敵さを表立って素敵だと言っていないところがとくに好きだ。はじめちゃんがまりちゃんにかける言葉でどきっとするほど印象的なものがある。
「なんだか、まりちゃんにそう言ってもらったら、突然、全てがなんでもないことに思えてきたよ」
社会の理不尽さに面して傷つくことになったはじめちゃんと接していき、まりちゃんは怒りそして疑問を感じる。彼女は生まれ育った寂れている町でかき氷屋を開きながら考える。
ほんとうは折り合いなんてつけなくてもいいはずのものに、折り合いをつけることが当然とされている。正直者が馬鹿を見るなんて言うけれどこんなひどい話はないはずなのに。
まりちゃんが一つ一つに向き合ってくれることによって、ああやっぱおかしかったんだと、知らずのうちに諦めようとしていたことをもう一度素直に受け止められた。ありがとうまりちゃん。
Posted by ブクログ
【読み終わって感じたこと】
よしもとばななさんの綴る言葉は、とっても優しくて温もりがある。生きることは素晴らしいことで、だけど苦しいこともある。それでも私たちはやっぱり、自分の大好きな人やものをめいっぱい愛することをやめられないんだと思う。それこそが人の本質であってほしいなと思った。
【印象に残ったシーン】
「人を傷つけて得たものって、きっと小さなしみみたいに人生につきまとうよ。(中略)誇り高い人生にはならないから。」
とまりちゃんが、家のことで傷ついているはじめちゃんに伝えるシーン。私の胸に刺さる言葉だった。
【好きなセリフ】
「毎日のように会えることって、ものすごいことなのだ。お互いがちゃんと生きていること。約束もしていないのに同じ場所にいること。誰も決めてくれたわけじゃない。」
人も自然も、全ての存在は当たり前じゃない。こういう気持ちを持って生きることができたら、きっと世界はもっと輝いて見えるだろうなと思った。
Posted by ブクログ
6年ぶりの再読。人間関係に悩んでいた今の私にちょうどいいタイミングで読めた。自分が真面目で損な性格で、周りのごうつくばりでいやらしい人が得をしているのに気持ちの整理がつかないでいた。でも、お金や評価といったわかりやすい即物的なものより、心の平穏や清浄な感じの方が好きだから、いいんだと思うようになった。気持ちが楽になった。
Posted by ブクログ
いろんなことってそんなに確かなものじゃない、っていうことに気付いたら苦し過ぎるから、あまり考えないでいられるように、神様は私たちをぼうっとさせる程度の年月はもつような体に作ってくれたのだろうか。
Posted by ブクログ
あるひと夏のなにげない物語。
よしもとばななさんが書く海辺の話、夏の話が大好きだ。
私自身は夏がとても苦手なのだけど、ばななさんの書くぬるい海や空気の濃さや、夜の美しさやだらだらした会話などを読むと、夏もまんざらじゃないと思えてくる。
夏がつらくなったら、この本を読みたいと思う。
ばななさんの作品にでてくる女性たちは、すごい不幸な生い立ちやひどい事件に巻き込まれても、それらに人生のすべてや彼女たちがもつ輝きを奪われることのないしなやかさを持っていて好き。忘れるわけじゃない、受け止めて胸に抱いたまま、強く進んでいく。その過程が、不思議なゆるさで書かれている。
泣かせにくるような盛り上がりや、感動のクライマックスもない。だけど全編を通して、ゆるくゆるく癒されて、赦されてゆく。自由な気持ちになれる夏の一冊。
Posted by ブクログ
かつて栄えていた場所が、年月を経てどんどん衰退していく。その様子に心を痛める主人公が印象的でした。私の地元も似たような状況で、このまま終わっていくんだろうな…と見ていることしかできないので。切ないけれど、ほわほわあったかい気持ちになるお話で、ばななワールドが強い作品です!
Posted by ブクログ
かき氷屋を営むマリと人形作りを志すはじめちゃん。辛いことがあっても、自然に癒されて、前を向いて歩いていけるのは素晴らしいことだと思う。西伊豆の自然の描写と挿し絵がアートな感じで、よしもとばななワールドだった。
Posted by ブクログ
綺麗で素敵だった。よしもとばななさんの小説は、何年も前に読んだキッチン以降読んだことがなかったことを思い出して タイトルに惹かれたことも相まって直感で手に取った。
抱いた印象としては、文章が端的でわかりやすいのでスッと心に入ってくる。言葉選びが上手で何度も引き込まれた。自然や海の生き物の描写を通して人間が忘れてしまっているものに気づかせようとしているのかなあ、と感じた。
地元をこよなく愛する主人公も良い
Posted by ブクログ
人生、なにがきっかけで良くも悪くも転機を迎えるかほんとにわからない。
正直、大学を多分、奨学金返済もなく親のお金で出て
学んだことがやりたいことでなかったと思い、就職せず、実家で寝食を養われている女の子のおままごと的なお店だ、という甘えと気楽さ。
ぬいぐるま作家になろうというはじめちゃんも
容姿から勤め人は無理だろうし、やはり一生親の家なんだろうし
欲張らない生き方を描く島の海辺の物語を読んでいて
羨ましくもありながら
素敵だと絶賛できないのは カツカツの暮らしで生きることに疲れきっているからかもしれない
Posted by ブクログ
ひと夏一緒に過ごすことになったはじめちゃんとの話。
海や木々といった素敵な風景が本の中に広がっている。
自然を守るとか、街を守るなど、大それたことではないけど、自分の信念を曲げず続けることはそれと変わらないくらい難しく素敵なことだと思う。