【感想・ネタバレ】聖徳太子I仏教の勝利のレビュー

あらすじ

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梅原古代学の聖徳太子第1弾。アジア東端の島国に、今しも新しい宗教が伝来した。このとき太子が考え、なそうとしたことは何であったか。

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Posted by ブクログ

気になるのによく知らないこと、曖昧なままで雑然とした知識、それらが整理されはっきりしてくる何とも言えない快感を味合わせてくれる読書であった。
東アジアの4世紀から7世紀にかけて、日本の政治や宗教、大陸や朝鮮半島と日本との関係がこの作品の重要な背景である。古文書からの引用にはカナが振ってあり、すべては読み切れないが、克明で丁寧に説明している。学説の違いや争点にも両論併記の気遣いを見せるが、いわゆる専門学者の研究書とは一味違う。
筆者の持論が大胆に展開され、一般の読者をも意識した書き振りである。

かつて教科書の「日本史」で学んできたことや興味本意の読書の知識がほんの一部に過ぎなかったこと、その後の研究の進展でどれだけ変わってきているのかなども改めて教えてくれる。

主題の聖徳太子はまだ多くの登場人物の一人にすぎず、彼が本舞台に登る背景や必然性が展開される。
天皇をめぐる物部氏と蘇我氏の権力闘争、そして中国の梁と朝鮮半島の百済・新羅・高句麗三国のそれぞれの確執と日本への思惑などが古書解釈で解き明かされる。日本古来の八百万の神信仰に対して、大陸の仏教を日本国家として正式に導入するか否かの抗争である。

552年(538年)仏教は欽明天皇時、百済(聖王)から伝えられた。

5世紀の中頃、物部氏は大和朝廷の日本全国制覇と朝鮮半島出兵に大友氏とともに軍事力で大きな役割を果たした。氏は武人であり軍需産業家であり大和の石上神社の祭祀権を持つ排仏派であった。
一方蘇我氏は文官の家柄で、帰化人を統制し三蔵の出納を司る大蔵官僚である。古い日本の神道による軍事国家の殻を破って世界宗教の仏教による宗教的官僚国家の出現を望んだ。
崇仏派の蘇我稲目から代わった馬子が排仏派物部守屋との戦いで決定的に勝利し、崇仏派が権勢を極める。

天皇は欽明・敏達・用明・崇峻と続き崇峻が仏教崇拝を公言したが日本で唯一臣下に殺された天皇となる。
蘇我氏も中大兄皇子と藤原鎌足によって滅ぼされる。
政治権力者は天智・天武帝と藤原氏に移り鎌足の血を引く人たちの世になる。

4世紀から7世紀にかけて大和朝廷の大陸・朝鮮半島との政治・軍事関係と国内仏教の扱い、そして天皇を仰いだ氏族同士の権力闘争のなか、いよいよ聖徳太子が活躍する舞台が出来上がってくる。

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2025年11月22日

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