あらすじ
国際軍事裁判と占領統治に始まった戦後において、二つの敗戦国は「過去の清算」とどう向き合ってきたのか? 両国の似て非なる六十年をたどる、誰も書かなかった比較思想史。
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Posted by ブクログ
本作『日本とドイツ 二つの戦後思想』は、「過去の清算」を軸に、第二次世界大戦後の日本とドイツの60年間の思想的歩みを比較するもの。国際軍事裁判や占領統治から始まり、両国が戦争責任や国家のあり方、マルクス主義、ポストモダンといった思想課題にどう向き合ってきたかを、類似点と相違点を浮き彫りにしながら論をすすめる作品。
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いやあ、これ、面白かった。
ちょっと前の昭和の思想史って、近いようでなんだか分からなそう、取っつきづらそうじゃないですか。
ちょっと小熱い思想系の本には、確かに丸山眞夫とか吉本隆明(ばななさんのお父様)とかがよく引用されていましたが、そこまで実際手を伸ばす気にはなかなかなりませんよね。
ドイツの思想も私が知っているのは、好んで触った(読んだとか言えない)ハイデガー以前の現象学でしたが、それ以外は全然知りません。というか分かりません。ましてやフランクフルト学派とか隣国のポストモダンとか、もう同じ専攻なのかっていうくらい分からない感じでした。
で本作は、20世紀以降の現代思想(とくに敗戦以降)、とりわけ日本とドイツのそれを、かなりキレイに整理してくれていると思います。
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こうした現代の思想状況を整理するにあたり導入しているのがドイツと日本という第二次世界大戦の敗戦国の思想状況。
この視点のユニークさが本作の内容を豊かにしている点だと言い切りたいと思います。
例えばドイツ。ホロコーストで多くのユダヤ人を虐殺。
『エルサレムのアイヒマン』も引用されていますが、凡庸な、むしろ真面目な人間が盲目的な悪を行うことになるという事実。あるいはベルリンが分割され、同じ国の中に共産主義が居るという事実。
ここから、啓蒙主義や理性、さらにはドイツ的なものを疑ってかかる、それにとって代わるものを探すという機運からフランクフルト学派(ハーバーマスのコニュニケーション理論など)などが出てきたとします。
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他方日本は敗戦国である一方で、加害者としての側面はあまり顧みられず、むしろ原爆被害国という側面と天皇制維持という国策から、屈折した自己省察しか行われていないと論じます。
またドイツと比較すれば共産主義は地理的にも遠く、比較的自由に受容され(あるいは豊かすぎるくらいに解釈され)、各派閥が枝分かれしてゆくとしています。
この政治的状況が思想界にも影響を及ぼしているとするものです。
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やがてフランスでは、ドイツ思想界があれだけ避けてきた『ドイツ的なもの』を評価する流れが生じ、さらには無意識や含意などを含めた主体、あるいはそれらが表すものを研究する流れがでてきた、と。
これが日本でも紹介されるにつれ、(筆者曰く)エッセイだか思想書だか分からないフランス系の作品が増えてきたとかどうとか。
ドイツでも、ハーバーマスのようなゴリゴリの理性の最終形で行きついたコニュニケーションを押すフランクフルト学派は勢いを弱め、ポストモダンの流れをくむ一派が近年力を持ちつつあるとか。スローターダイクの名前が挙がっていましたね。
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ということで、仲正氏の現代思想史(日独仏中心)のサマリー本でした。
状況の見取り図としては、ポンコツの私には非常に有用でした。特に世界大戦敗戦を契機とした日独のマルクス主義の受容の差異とその思想史の展開というのが非常に分かりやすかった。
さらに日独両国とフランスのポストモダンを絡めて説明することで、現代思想の展望が大まかながらよく理解できたと思います。
思想系に興味はあるけど難しそうで怖い、あるいは今まで挑戦してみたけど挫折した人にはおすすめ出来ます。また現代思想を学びたい人が入門書として読むのにふさわしい本だと思います。
こういう本があると、思想系にチャレンジしたくなるなあ、と感じました。
Posted by ブクログ
主に社会思想史を研究する仲正氏による日独戦後思想史の概説書。
出版された2005年は、小泉政権下で自民党が衆院選挙で大勝した年である。
この本は、第二次大戦中の同盟関係から戦後の清算に至るまで類似した道をたどった(と一般的に思われている)日独が、実は、思想史的には質的に異なる道を辿ってきたことを主題として語っている。
また、日本における戦後思想は思想史的な主流を持たないまま、曖昧模糊とした「右と左」の二項対立に終始している点も指摘している。
具体的には、以下の4点において比較分析が行われている。
(第1章)戦争責任を誰が負うのか
(第2章)戦後ナショナリズムの形成過程とその内容
(第3章)戦後の思想界におけるマルクス主義の扱い
(第4章)日独における従来的知識人とポストモダンの受容
ごく一般的な戦後論をイメージしている人は、第1章と第2章までを読めば十分満足できるはず。
・・・というよりは、第3章と第4章があまりにも思想史の専門的議論に立ち入っている。それは、門外漢にとっては「戦後思想」の話であることを時々思い出しながら読む必要があるくらい込み入っている。
3,4章は単なる思想史の日独比較として読めば十分面白いので、戦後思想史と近現代思想史のそれぞれを日独で比較したものだと思って読めばよい。
<以下、重要と思われるポイントの引用とコメント>
「当時生まれていなかった人たちに先人の犯した罪についての告白をするよう強いることはできないが、彼らもまた、先人の遺産、「過去からの帰結」に関わっているので、その帰結に対して「政治的責任」を負わなければならない」(pp42-43. 1985年のヴァイツゼッカー大統領による「荒れ野の40年」という演説から)
⇒「今の人が責任を負う必要があるのか」「何の責任を負うのか」という、戦後責任論における二つの根本的な問いに答えている。このような発言を生れてこの方政治家(ましてや首相レベルの人間)の口から聞いた覚えはない。
「少なくとも形のうえでは、国家としてゼロからの出発となったドイツ連邦共和国に比べると、天皇制の下でソフトランディングな体制の転換を通して誕生した日本国は、本当に大日本帝国とは全く別個の国家であると言えるのか疑問に思えるところが多い」(p.69)
⇒したがって、その帰結に対して政治的責任を負わなければならない。
「大日本帝国の「国体」は公式的にはいったん解体されたものの、天皇制を核として文化的・宗教的なレベルでは生き残り、それが「国民国家」としての日本国の統合の象徴として―政治的にも―機能しているので、右にとっても左にとっても、自分たちの立っている足場が見えにくくなっているのである。」(p. 129)
⇒アメリカ追随なのに改憲したい右と、アジアとの協調と志向しつつ護憲派の左という「ねじれ」が存在するのも、根っこはここに起因している。
Posted by ブクログ
日本とドイツ―戦後の対外政策においてよく比較の対象とされる両国であるが―では、よく「ドイツは周辺諸国にちゃんと謝罪したが、日本はアジアの国々に謝罪しない。けしからん」という主張が展開される。そうなるのはなぜなのか?、という素朴な疑問から出発している。
著者によると、日本とドイツの戦後政策は地政学的要素・政治的要素・文化的要素などから、単純比較はできないし、すべきでないという指摘・批判が鋭くなされていた。メディアで展開されるような単純な比較の問題とは異なり、議論に深みがあり説得力を持ったものだった。
ただ、途中のマルクス主義の日独比較あたりから、私の不勉強による教養の欠如が原因で、十分に理解できなかったのが残念である。しばらくしてから、また読み返す必要がありそうだ。
最後に、巻末に年表とそれに対応する参考文献一覧が載っているのがありがたく感じた。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
本書は、「過去の清算」を軸にしてドイツと日本の六十年間の「戦後思想」を比較するものである。
[ 目次 ]
第1章 二つの「戦争責任」(「国際軍事裁判」はインチキか? 「人道に対する罪」を背負ったドイツ ほか)
第2章 「国のかたち」をめぐって(「国のかたち」は変わったか 分断された「国のかたち」 ほか)
第3章 マルクス主義という「思想と実践」(思想的武器としてのマルクス主義 日本における“何でもマルクス主義” ほか)
第4章 「ポストモダン」状況(ポストモダンの導入と批判的知性 ドイツのポストモダニズム ほか)
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