あらすじ
この裁判、あまりに面白すぎて、酷すぎる!
オウム真理教が引き起こした一連の事件は日本中を震撼させ、前代未聞の犯罪を裁く「世紀の法廷」は、1996年4月、全国民注視のなかで開廷した。しかし、そこで繰り広げられたのは、あまりにも不可解で、あまりにも喜劇的な光景だった。そのとき、教祖はいかに振る舞い、弟子たちは何を語り、弁護人はどこにいて、裁判官は何を裁いたのか? そして、遺族が訴えたこととは? 8年間にわたり裁判を傍聴しつづけた著者が真実の法廷ドラマをつぶさに綴る!
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Posted by ブクログ
戦後最悪と言われる事件のその後。どんな事件で誰がなにがなんてよく耳にしていても場所が法廷に移ってからはとんと耳にしなくなっていた。その教団教祖の裁判の全容。
読み進めるたびに頭を抱えていました。知らなかった現実というか真実が書かれてて、知るほどに空虚になっていく感じ。
この事件を知らない世代が出てきたということを聞いて、せめて知り覚えている世代が記憶し忘れないようにしなければと思い手に取った一冊だったけどこれは証言記録だけでなくその向こうに見える問題提起もあり、今後裁判員制度によって突然裁く側になった場合に「裁判とは一体だれのものなのか」という至極当たり前のことを考えさせられる機会ともなりました。
素晴らしい一冊だったと思います。
Posted by ブクログ
オウム関係の本は3冊目(1冊目アンダーグラウンド 2冊目約束された場所で)
3冊の本で共通して書かれていたのは、オウムの中に潜む人間が誰しもが持つ闇の存在について。
ふつう人間はそれを抑え込もうとして、ないしは社会によって抑え込まれることによって生活している。
しかし、それが抑制できなくなり表に現れた形がオウム真理教の蛮行であるという。
人間は自分に内在する暗い部分を見ることを嫌う、そのため我々にはオウムに対する嫌悪感が激しく残り続けているのだろうということだ。
オウムの行為はすべて人間が行ったことである。
考え方・精神状態などいろいろな条件が我々とは異なっていたからと言って、彼らは宇宙人でもなければ、ほかの生物でもない、まぎれもなく同じ人間が行ったことなのである。
あれはおかしな集団だ、嫌い排除すべきだということは簡単ではあるが、なぜこのことに至ったのか、次我々は何をするべきなのかについては考える必要があるだろう。
Posted by ブクログ
麻原はとにかく自分の保身のことしか考えず、最初から最期まで、ただただ自分勝手な人間だったのではと感じた。
家族、弟子、被害者など直接関わりのあった人々に対しても何も感じない性格で、究極に自分の事しか考えられなかったのかと思う。
死刑判決を受けてから麻原の行動が異常で、精神的な病気なのか詐病なのか意見が割れているという情報を何度も聞いたことがあるが、この書籍を読んでからは、詐病だったのではないかという思いが強くなった。
彼は長い裁判を通していかに自分勝手で常識が通じない人間であるという事が露見した。
凶悪犯には変わりないが彼の弟子たちは、最期には洗脳が溶け、懺悔をする者や反省を述べる者も多く、まだ人間としての正常な感情が残っていた事が伺える。
しかし全ての元凶である麻原は、裁判の最初は受け答えをしていて、それでも自分の都合の悪い質問から常に逃げ、反省を述べる事もなく事件を全て弟子のせいにしていた。
そして途中からは現実逃避に走り、沈黙を貫き、奇行に走るという道を選んだ。
こんな人間をいまだに教祖や神と慕い、崇める教団が存在しているという事驚きを隠せない。
Posted by ブクログ
裁判ルポづいているので、読んでみました。
なんだかな~、むなしいですね。
あれだけのコトをしでかしたのに、こんな喜劇みたいな裁判でよいんでしょうかね。