あらすじ
30代女性を縛る「自己実現」イデオロギーの呪縛を、解き放とう!生存戦略としての中腰姿勢、未来への敬意、そして身体信号に向き合うことを、今こそ見直そう!
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Posted by ブクログ
だいたいおんなじいつものあの話。
まーでも飽きない。
賢いリスクヘッジをしたと思っている人は、
無意識的にリスクの多い選択をしてしまうという例えに、
中古車の話をしている。
「ぶつけても大丈夫なように中古車を買ったら必ずぶつける、
だってそうしないと中古車を買った意味がないんだもの。」
これ至言。
また、
人間が「個人」になるプロセスの話が面白い。
これはラカンの鏡像段階とか、
先ごろ読んだ「ミラーニューロン」にも近いものがあって、
産まれた時、
人は世界全体と溶け合っていて、
自分とそれ以外という分節をしていない状態にある。
だから、
「個人」としての「自分」がまずあるのではなく、
「全体」としての「自分」が先立ってあるのである。
それを家族という共同体に置き換えると、
「私」という個人がまずあるのではなく、
「○○家の次男(例えばです)」という役割がまずあって、
そこから徐々に「自己」を立ち上げていくというプロセスを経ているのである。
釈迦牟尼の「縁起」と「空」という考えも、
こういった自己生成過程に沿った考えのような気がするなぁ。
また、
核家族の閉塞性という話も興味深かった。
「父」「母」「子」の三項だと、
関係性や価値観が膠着してしてよくないから、
「おじさん」乃至は「おばさん」(子と対になる性)を入れて、
四項にしておくと開放性が保たれて上手くいくらしい。
これは、あきらかにレヴィ・ストロースだった。
わたしもよいおじさんとしての地位をなんとか気付きたいものです。
それにしても内田先生は相変わらずおしゃべりな「男おばさん」である(褒めてます)。
Posted by ブクログ
内田樹は好きですが、たまに難しい言い回しで分からないところがありますw
自己実現っていう言葉を私語にしてほしいというのは同感。(よく使っちゃうけど☆)もう自己責任とか、自己実現とか、その言葉が一人歩きしてるような気がして。
キャリアは自分で形成するものではなく、向こうから扉が開かれないと、積んでいけないんだよっていうのはメモしとこ。資格をとってとか、こういうキャリアを積んでとか、そういうのは大事だけど、何より求められているのは、経験やその場で何ができるか、把握する力だから。
こういう対談って、その空間で観客として聞いてるような感覚が、とても好きで、やはり専門家同士の知識と考え方の交換というのは、大変楽しいものだと再確認どす。
Posted by ブクログ
この二人って本当に気が合っているのかなあ、という疑問が。
まあ終始穏やかで大人の対談なんだけど。
内田樹はあくまでフィジカルで、
且つ文学者、しかもフランス文学だから、
感覚的なものを信じている。
一方で春日武彦は闇を抱え、
冷静にロジカルに物事を捉えている、
といった印象。
全体的に推す内田樹に対し、
春日武彦は少し引いている。
職業柄そういう話の仕方が癖なのかもしれないけど。
『健全な肉体に狂気は宿る』というタイトルは実にアイキャッチで
私もタイトル買いをしたクチなのだが、
これには私が感じたような文学的意図はなく、
本当に読んだ字のままでした。
なので期待が裏切られたがっかり感も。
でも、体が弱っていくと精神は健常になっていく、というのは面白い。
狂気というのはある種動物的には余剰の現象という事実。
若干タイトル負けしている感はなくはないが、
引用するのも理解できる行(くだり)。
でもね、内田樹は嫌いではないけれど、
フランス文学を読んでいるのでそれなりの機微はわかるんだろうけれど、
基本太陽の下で肉体を鍛えている人には、
現代に生きづらさを感じている人たちの病みはわからないんじゃないかなあ。
まあ昨今はただの甘えも多いようなので、
そういう時には内田樹論のような考え方も必要なのは絶対だけど。
春日武彦は、まあ自身が病んでいる(た)人なので。
やっぱりそういう人が精神科とか神経科医を目指すのかも。