あらすじ
大正教養主義から、八〇年代のニューアカ、そして、現在の「教養崩壊」まで、生産・批判・消費され続ける教養言説の底に潜む悲喜劇的な欲望を、さまざまな側面から映しだす。知的マゾヒズムを刺激しつつ、一風変わった教養主義の復権を目指す、ちょっと意地悪で少しさわやかな教養論。
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Posted by ブクログ
多くの教養論のレビューした本書はもっと早い段階で読んでおきたかった。社会階層、文化資本、育ちの良さ、学歴社会、そして学力の議論をひっくるめた神聖喜劇のような状況を「グロテスクな」とした表現には、清々しさを覚えた。個人的にこの表現があてはまるものが一つある。それは「大学」だ。
大学には思いつくだけでも次のような意味が付与されている。(1)学問的に認識し、精神的に生きようとする人々を集めたもの 、(2)教養教育を含む大学教育、(3)大学ないし大学院における研究を通じた教育、(4)教員・研究者による研究、(5)大学は研究と方法の態度の訓練の場、(6)職業教育、(7)中等学校と同じようなカレッジの側面、(8)専門職大学院、(9)サービスステーションの性格、(10)その他の専門教育。これらを含む「大学」を、さらに一つの文書・チャンネルで監理しようとすると、その手段が余計にグロテスクになる。著者の言葉を借りると「厳粛と言っていいのか滑稽と言っていいのか、笑っていいのか泣くべきなのか分からない」という状況だ。このように、教養と大学には共通項があると思えた。
しかし、その先に考えるヒントも与えてくれている。「教養は、自分自身をどう見るか、他者にどう見られたいか、他者をどう見るか、ということと結びついている(233頁)」。結局教養は自分で定義するしかない。だとすると大学も大学自身で規定するしかないのだと考えることができる。
自己規定するために、まず必要なのは「教養」であるはずなので、それを身につけなければならない。と考えてしまうあたりで、いつものループに陥っている自分がいる。旅はまだまだ続く。
Posted by ブクログ
多くの内向的な文系男子(今は中高年)がとらわれている病を、冷徹にしかし(たぶん)愛をもって指摘。指摘されて自分が嫌になるが、でも、もう一度読みたい気もする。そんな一冊。
Posted by ブクログ
「教養とは何か。」
この疑問を持つ者には、数々の問いかけを投げかけられる良書であると自信を持って薦められる。
語り口は少し難しいものの、興味深い記述に溢れていて本当に勉強になった。
これからも、教養とは何か、いかに生きるべきかを考えていきたい。
Posted by ブクログ
自分自身の教養コンプレックスを自覚することができた。
教養コンプレックスとブルジョアコンプレックスの違いも確認できた。
ひとびとが教養と呼ぶものの正体も掴むことができた。
これでもう怖いものはない。
Posted by ブクログ
楽しく読めた。文章にユーモアがあって楽しめたのだと思う。自分は「教養」がないとよく思うのだけれど、では「教養」とは何かといわれるとよくわからないし、この本を読んでもわからない。印象に残ったのは、「大学で何を専攻したかに関わらず、就職する健全な意志を持つ」というフレーズかな。うろ覚えだけれども。あとは、教養とは批判精神のことだといっていた人がいたということ。
Posted by ブクログ
旧制高校時代から戦争をはさみ、ニューアカまで……「教養」や「教養主義」についての言説をちょっと意地悪な視線で俯瞰するのが本書。筆者のときに照れたようなときにひねたような、愛憎半ばするその文体が魅力的だ。今、「教養について語ること」そのものがグロテスクなのを重々承知しながら、愛ゆえに語らざるをえない……というのが萌え。
「教養」が常に人を磨くとは限らない。それどころか今「教養主義」と言えば、素直に悪口ととったほうがいい。人より多少本を読んだからといって何がエラいの? それより求められているのは「コミュニケーション能力」なんだよ! (というのが現代なんだろうが……、その「コミュニケーション能力」ちうのもそうとういやったらしい言葉だとオレは思う)
エリートが、「いかに生きるべきか」(=これこそ“教養”の正体)を独占してきた時代は終わり、誰も彼もが……いやむしろニートであるからこそ「自分探し」に狂奔するようになった。その「教養」と「自分探し」の間に横たわるものについて、すこし考えてみたくなる本だった。
Posted by ブクログ
大正から現在に至るまでの「教養」を巡る言説の変遷を“教養主義者”的観点に基づいたアイロニカルな筆致で紐解く“教養言説の展覧会”。
『神聖喜劇』を読み途中で投げ出した身としてはこの論考の真髄がなんたるかを理解するには至らなかった悔しさがあるが、いわゆる「エリート」や「知識人」達の言説を丁寧に拾い上げて各時代の要請と連結させていく様はまさに“展覧会”という言葉が相応しく、各章に満遍なく知的好奇心を揺さぶる面白さが散りばめられている。高等教育機関に焦点を絞るという著者の明瞭な意図も清々しく、その潔さにおいて著者が自嘲気味に使っている“いやーな気持ち”になることはなかった。
「教養」について関心のある者なら、このグロテスクな展覧会に一度足を運んでみても損はないだろう。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「教養とは何か」「教養にはどんな効用があるのか」―。
大正教養主義から、八〇年代のニューアカ、そして、現在の「教養崩壊」まで、えんえんと生産・批判・消費され続ける教養言説の底に潜む悲喜劇的な欲望を、出版社との共犯関係・女性や階級とのかかわりなど、さまざまな側面から映しだす。
知的マゾヒズムを刺激しつつ、一風変わった教養主義の復権を目指す、ちょっと意地悪で少しさわやかな教養論論。
[ 目次 ]
第1章 教養、あるいは「男の子いかに生くべきか」(教養死すとも 教養論をめぐる困難 ほか)
第2章 戦争、そして教養がよみがえる(学力低下を最初に嘆いた人物 教師は喜んでいるか ほか)
第3章 出版社、この教養の敵(教養のアント いわゆる東大中沢事件 ほか)
第4章 女、教養と階級が交わる場所(禁句について 上野千鶴子なんか怖くない ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
癖のある(ひねくれた?)文体もそうですが、明確なオチがあるわけでなく、繰り返し繰り返し、リフレインのように一つの命題がうっすらと姿を見せるという手法も好みです。
「教養」が主題なのですが、それは一つの道具であって、結局のところ、本書は歴史/知識社会学的(?)な近代日本社会論になっています。
おまけとして、日本の場合、その著作が一般に売れていたりマスコミ等によく登場する学者に、なぜ人文学関係の者や人文学に寄り添うような社会科学者や精神医学者が多いのかがよく分かりました。
Posted by ブクログ
「君たちはどう生きるのか」は旧制中学生向けに書かれた哲学入門。
就職すると学生は教養から遠くなる。丸山真男についても明記。
教養の崩壊は一日にして成らず。今こそ教養を見直すべきだ。
女性筆者らしく最期の章は女性教養の歴史、現状について明記されている。
Posted by ブクログ
著者のつぶやきが多すぎてちょっと読みづらい。それがなければこれまでの日本の教養文化の歴史みたいなものが俯瞰できておもしろいのに。第三章の出版社(ジャーナリズム)学者(アカデミズム)と教養の関係について書かれたところがおもしろかった。教養あるいは知というものはもともと大学の専売特許だったが、大学に受け入れられなくなった学者が出てきた時、彼らの言論の受け皿敵役割を果たすために出版社というものが生まれた。そしてやがて著作を読まれたいという学者の意識が日本の教養をダメにしたと…。著述活動を望む者が、出版社に受け入れられずブログに依存する今日、教養はどうなってしまうのでしょう?