【感想・ネタバレ】偶然の科学のレビュー

あらすじ

〈数理を愉しむ〉シリーズ ネットワーク科学の革命児が解き明かす「偶然」で動く社会と経済のメカニズム。
小飼弾氏絶賛! 「『社会科学を本物の科学に!』 この社会学党宣言こそ本書のコアだ」
ダン・アリエリー(イグ・ノーベル賞受賞者、『予想どおりに不合理』) 「世界認識を変える本が現れた。耳が痛くても、“間違う理由”は知る価値あり」

世界は直感や常識が意味づけした偽りの物語に満ちている。ビジネスでも政治でもエンターテインメントでも、専門家の予測は当てにできず、歴史は教訓にならず、個人や作品の偉大さから成功は測れない。だが社会と経済の「偶然」のメカニズムを知れば、予測可能な未来が広がる……。より賢い意思決定のために、スモールワールド理論の提唱者が最新の科学研究から世界史的事件までを例に解き明かす、複雑系社会学の話題の書。

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Posted by ブクログ

著者は1971年生まれだから私より2歳下だ。最初物理学を学んだようだが、複雑系の系譜を継ぐ「スモールワールド」だかいう学説を提唱し、ネットワーク理論に基づいた社会学者といった立場にあるようだ。
この本は一般読者向けに非常に易しく書かれており、何も難しい話ではないが、新たな視角をもたらしてくれる、実に面白い読み物だった。
「まえがき」で「アメリカ人のおよそ90%は自分が平均より車の運転が上手いとおもっている」という統計を明らかにする。日本人も、おそらく男性では似たような結果になるのではないだろうか。
この例のような自己に関する「錯覚された優秀性」、そして「常識」全般が、人々の認識・判断を絶えず誤らせている。「思い込み」の間違いを、著者ワッツは執拗に指摘してくる。こちらも身に覚えのあることが多く、反省を迫られる。
複雑系で有名な「バタフライ効果」の話、人々のあいだの相互影響作用、インターネットを活用した大規模なリサーチと「実験」。結局だれもただしく結果を「推測」することはできないこと。偶然の条件が重なってできごとが起こり、そのもろもろの影響からさかのぼって、もっぱら論議されること。
かなり刺激的な内容で、読んでいてとても楽しい。
著者はYahooリサーチに携わっていたので、マーケティングの話も後半出てくる。
複雑系に基づくネットワーク社会学、もう少し本格的な本も読んでみたいと思った。

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2015年08月16日

Posted by ブクログ

偶然の科学
著:ダンカン・ワッツ
訳:青木 創
ハヤカワ文庫 NF400

ネットワーク科学の世界的権威が放つ、複雑系社会学の決定版とある

題は「偶然の科学」であるが、意味するところは、違う

原題 Everything is Obvious. "Once you know the Answer"
「すべては明白だ、いったん、答えがわかれば」 でいいでしょうか

偶然とは、いきあたりばったりで、対応をしてしまう人間の行動を科学しようということであって、確率論に支配される偶然を解明するための科学ではない。あくまでも、社会科学的、社会学的な偶然を扱うことが目的である。

社会科学の歴史の大半にわたって、社会現象の要素を測定するのは不可能であり、物理現象や生物現象の要素を測定するのとはわけがちがったからである。
最近では、長きにわたる社会科学のこの制約が解かれるかもしれない方向へと世界は変化しはじめている。
Eメールや携帯電話、インスタントメッセージなどの通信技術は、数十億人の個人の社会的ネットワークと情報の流れを暗黙のうちに追跡している

高度な情報システムが、社会科学を自然科学に近づける日は近いのかもしれない。それは予測であり、全数測定である

気になったのは以下です

・常識とは何か
 しょっちゅう引き合いに出されるわりには、常識とは何かを明確にすることは驚くほど難しい

・けっして「常」識ではない
 常識をうんぬんする際に忘れてはならないことのひとつは、それが時代や文化によって大きく変わってくることである

・常識への濫用
 常識は統一性と一貫性に欠けるし、自己矛盾する面さえあるが、これは、われわれの日常生活ではまず問題にならない
 なぜなら、日常生活はいくつもの小さな問題に分かれていて、それぞれ個別に対処できる非常に具体的な場面が基盤となっているからだ

・常識への過信
 悪いことが起こるのはわれわれが常識の用い方を忘れたときではなく、常識が日常生活の問題を解決するのに恐ろしく有効だからといって、それに過大な信頼を置いてしまうときである

・人々は自分のすでに知っていることを補強しやすい形で新しい情報を消化する
 つまり、自分の信念に一致する情報ばかりに注目し、一致しない情報には疑いの目を向ける

・一般に人々は、損失が予想されるときはそれによってこうむる痛みを大げさに見積もり、利益が予想されるときにはそれによって得られる喜びも大げさに見積もるがつねである

・バタフライ効果
 ちいさいランダムな変動が次第に大きくなり、長い目でみると極めて大きな相違をもたらしうるという傾向がある

・誰かが何かをダウンロードしたかについての情報があると、人々はたしかにそれから影響を受ける

・世界での人と人とのつながり
 世界中のだれもが、アメリカ大統領から握手6つ分しか離れていない

・過去を思い出せない者は、それを繰り返す運命にある

・予測ができる対象とは
 複雑な社会システムで起こる出来事には、なんらかの安定した過去のパターンに一致するものと、そうでないものの2種類があり、信頼性のある予測を立てられるのは前者だけである

・なにも信じてはいけない、とくに自分は
 専門家も素人と同じくらい具体的な予測を立てるのが下手だし、素人に劣るときさえある

・未来の衝撃
 予測法には例外なく深刻な限界がある。それは、過去に起こったのと同種のできごとが平均頻度以上で未来に起こる場合には信頼できない。ということである

・戦略のパラドックス
 戦略計画の最優良事例を体現しているように見える組織、たとえば、非常に明確な展望を持ち、果断な行動をとる組織が最も計画の誤りを犯しやすい組織になる場合がる

・戦略的柔軟性
 戦略のパラドックスを解決するためには、予測に限界があることを素直に認め、この限界を念頭に置いた計画法を開発しなければならない

・予測と尺度
 ZARAは客の次のシーズンに買うものを予測しようとせず、むしろそんなものは検討もつかないと認めているに近い。そのかわり、いわば「測定―対応」戦略を用いている

・測定で終わらせるな、実験せよ
 測定能力を向上するだけでは、必要な情報が得られない状況も多い

・計画の失敗
 計画者が直感と経験のみに基づいて計画を練り上げるといううぬぼれを捨てなければならない
 計画が失敗するのは計画者が常識を無視したときではなく、みずからの常識に頼って自分と異なる人々の行動を推論した時である

・ハロー効果
 相手のある特徴についての評価が高い場合、その特徴とは必ずしも関係のないほかの特徴まで優れていると思い込むことである

・才能対運
 憤慨の原因は銀行員に大金が支払われていたことではなく、その仕事ぶりがとてつもなくひどかったにもかかわらず、大金が支払われていたことである

・マタイ効果:持っている人はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる

・同類志向原理:類は友を呼ぶ
 友人や配偶者、同僚や知人は、あらゆる特質、つまり人種、年齢、性別、収入、教育などの点から見て、他人同士よりも互いに似ており、考え方も似ていることを発見していた

・実社会は、物理世界よりずっと扱いにくく、学べば学ぶほどなおさらに扱いにくく思える

目次
まえがき ある社会学者の謝罪
第1部 常識
 1 常識という神話
 2 考えるということを考える
 3 群衆の知恵(と狂気)
 4 特別な人々
 5 気まぐれな教師としての歴史
 6 予測という夢
第2部 反常識
 7 よく練られた計画
 8 万物の尺度
 9 公正と正義
10 人間の正しい研究課題
謝辞
原注
参考文献

ISBN:9784150504007
出版社:早川書房
判型:文庫
ページ数:406ページ
定価:860円(本体)
2014年01月15日発行

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2024年06月28日

Posted by ブクログ

面白かった。
もちろん訳者の方の力もあるだろうが、とても読みやすい。

著者ダンカン・ワッツが説く「スモールワールド」という概念は知っている人も多いと思うが(世界中の人と人の間には平均6人存在する)、この本はそれにも言及しつつ、もっと広く社会学を語っている。
物事には明確な理由がなく、複雑な要因が絡まって結果がある。
常識の脆さ、因果の複雑さ、予測の困難さ、それを一つ一つ説いていく。
自分が認識している世界に対し懐疑的な視点を持ちたいならこの本を読むべきだ。

しかしながら人が常識に頼ったり予測をしたり因果を単純に理解したがるのは、自己防衛でありリスクヘッジだ。
それらが不可能になれば、社会は人にとってもっと耐え難いものになるだろう。
私は常日頃常識を鵜呑みにしないことを心掛けているが、それでも多くの常識に振り回されているし、様々な「当たり前」を何の疑問もなく受け入れている。
そして比較的直感を信じるタイプである。
中でも言及されているが、「悪い計画でも無策よりはまし」だし、何か事があればそれを理解することで自分を落ち着かせる。
これらは生きる知恵なのだ。

ダンカン・ワッツは予測困難な偶然の世界の中で、どうすればよりよく未来を予測ができるのかも説く。
私には結局の所、情報が大切なんだと説いているように見える。
広い世界を知り、統計を元にし、理解すること。盲目にならず、前提を排除し、想像の介入を許さないこと。

本序盤では、ダン・アリエリーが「予想通りに不合理」という著書で述べられた実験のいくかがいくつか見受けられ、その焼き直しなのかな? と正直思った。
しかしながらダンカン・ワッツはただ広範囲に論文を読み、多くの知識があるだけのようだ。読みすすめると参照している研究が他にも多数出てくる。
巻末の脚注も読み応えがあり、仕事が丁寧、あるいは厳密に事実もしくは根拠を提示し論を進めている印象。
不用意な断言はしていないところも、慎重な印象を与える。

バックグランドがかなりユニーク。理論応用力学の博士号を持っており、その後海軍、社会学者。
優秀なんだろうな。

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2020年10月04日

Posted by ブクログ

世の中は予測可能な事象と不可能な事象がある。

物理学や数学は誰からみても同じ普遍的な法則があって、予測可能な事象ですが実社会は予測不可能な事象で、常識と思っていることでも偶然の結果が殆ど。

したがって現実社会を扱う社会科学系の学問は、普遍的法則を追っかけるのではなく、中範囲の法則や測定と迅速な対応による戦略によって法則を導き出すべきと提言した著作。

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2020年08月29日

Posted by ブクログ

"人間の社会的行動を科学の目で分析する。そんな一見出来そうもないことに挑んでいるのが本書。
社会科学をアカデミックに学びたくなる。"

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2018年10月28日

Posted by ブクログ

「世界の人々から選んだ任意の二人の距離は実はそう遠くはない」というスモール・ワールド理論を提唱した社会学者ダンカン・ワッツが、様々な場面における「常識」の持つ不確かさを説く。

邦題の「偶然の科学」というタイトルは少しわかりにくいと思うが、原題はこうなっている。「Everything is Obvious-Once You Know the Answer」、直訳すれば、全ては明白である-いったん正解を知ってしまえば。この原題のタイトルの方が遥かにわかりやすい。つまり我々は日常生活において、何かしらの判断を毎日行っていくが、その判断を後から振り返る-正解を知っている状態-と、あたかもその判断が自明のことであったかのように錯覚してしまう。このような人間の思考パターンは様々な種類があるが、そうした思考パターンの持つ危険性をダンカン・ワッツは明らかにする。

本書が扱う人間の思考パターンの癖は様々な種類に及んでおり、世界に対する新たな視点を与えてくれる。なおかつ、語り口は極めて平易でユーモアにあふれており、一級の知的興奮を与えてくれる充実した一冊。

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2015年05月05日

Posted by ブクログ

色々引用したくなる場所が多い本。そして「あー、いるいるそんな人」と言いたくなる本。
未来の予想はできないし、結果に対して後付で理由はいくらでもつけることはできる、と言うことでしょうか。端折り過ぎですが。
「私は分かっている」「私は理解している」と考えている人や、そのようにツイートしている人にこそ読んでもらいたい本。

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2014年10月11日

Posted by ブクログ

良著でした!
原題は"Everything Is Obvious (Once You Know the Answer)"
『全ての未来は明白だ(答えを見た後ならば)』と言うと当たり前だが、知らず知らずのうちにこんなことにも気づかず、物事を理解した気になっていることがある。

同じ状況を何度も試せるならいいが、現実世界の多くの場合は一度きり。
予測することは本来不可能であることを認めなければいけないんじゃなかろうか。

ナシーム・ニコラス・タレブの『ブラック・スワン』や、ダン・アリエリーの著作に似たものを感じる社会派な一作。


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Memo:

p79
「Xが起こったのは人々がそれを望んだからだ。人々がXを望んだとなぜわかるかというと、Xが起こったからだ」

p138
これらは結果そのものがわかってからはじめて組み立てられる主張なので、ほんとうに説明になっているのか、それとも単に事実を述べているだけなのかけっしてわからない。

p141
現実には同じ実験を二回以上おこなうことはけっしてできない。

p143
あと知恵バイアス

p144
サンプリングバイアス

p221
しかし、予測モデルの批判者がよく指摘しているとおり、われわれが重視する結果の多くは、通常時でないからこそわれわれの興味を引く。

p237
経営理論家のヘンリー・ミンツバーグは、従来の戦略計画では、計画者はどうしても未来の予測を立てなければならず、誤りを犯しやすくなるという問題を熟考し、計画者は長期的な戦略動向を予測することよりも、現場の変化に迅速に対応することを優先すべきだとすすめた。

p248
「予測とコントロール」から「測定と対応」への変化は、テクノロジーのみにかかわるのではなく心理にもかかわっている。未来を予測する自分たちの能力はあてにならないと認めてはじめて、わえわれは未来を見いだす方法を受け入れられる。

しかしながら、測定能力を向上させるだけでは、必要な情報が得られない状況も多い。
(測定だけで終わらせるな、実験せよ)

p253
重要になってくる唯一の広告は、境界線上の消費者、つまり製品を買ったが、広告を見ていなければ買わなかった人を動かす広告である。この効果を見極めるには、広告を見る人と見ない人を無作為に決めた実験をおこなうしかない。

p258
学者や研究者が因果関係の細かな点を論じ合うのは結構だが、政治家やビジネスリーダーはしばしば確実性が欠けた状態で行動しなければならない。

p269
自分の心臓を止めることができないのと同じで、常識に基づく直観を抑えることはできない。しかしながら、常識にあまり頼らず、測定可能なものにもっと頼らなければならないと覚えておくことならできる。

p277
ハロー効果(後光効果)

p280
問題は、結果から過程を評価するのがまちがっているということではない。たった一度の結果から過程を評価するのはあてにならないということである。

p287
金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人はさらに貧乏になる

p318
いったいなぜ、そのすべてが説明可能な一連のルールを書き出せるなどとおこがましくも考える者がいるのだろうか。

p329
実社会はそのような法則におそらく支配されていない

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2014年03月05日

Posted by ブクログ

人々の行動について思ったより多くが偶然によると説明する本
行動経済学的な感じがある。それよりちょっと説明が多く、実験の話が少ない。なんか読みにくい
現状の結果はかなり偶然に左右されているので、それを見越した行動が大事

常識は偏る、意味付けは得意だが理解は苦手、悩むことから開放、もっともらしい物語によるごまかし
常識の物語が歪められる、デフォルト、プライミング、アンカリング、確認バイアス、
常識も合理的理論と同じく人々の行動に理由をつける、情報があれば前もってわかったのにとあとづけする
成功の理由は成功したからという循環論法。

似たような集団も少しの偶然で大きく違う行動を取る、そして違う理由の説明は簡単に行われる。
大きなインフルエンサーより、小さなインフルエンサー多数のほうが買い得である
現実になったものは当然として扱われる。単純なシステム:値を予測可能、複雑なシステム:発生確率を予測可能
予測するべきものを予測するのが難しい

できることの限界近くまでは簡単、情報の収穫逓減
効率的な集団は大失敗か大成功かになる、戦略的不確実性、予測から対応へ
未来に役立つものを予測するより、現在役立っているものを知る能力の向上
「予測とコントロール」から「測定と対応」
ブライトスポットアプローチ、成功例に学ぶ
ハロー効果とマタイ効果と偶然の影響

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2021年10月31日

Posted by ブクログ

偶然の科学とあったので読んだが社会学の本でございました.なので「偶然とはなんぞ?」ってな事はあまり探求されておらず,社会学が物理学のような法則を得られないのはこれこれこういう理由ですよってのが綴られておりました.まぁでもフレーム問題とマクロとミクロの絡みなんかは勉強したら楽しいだろうなと思わせてくれたので良しとします.

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2019年04月04日

Posted by ブクログ

選択の科学とはまた違った角度だが、社会学が物理学のような華麗な発展を遂げられていない中、近年、インターネット、ソーシャルネットワークの普及により、徐々に実験環境を有効化できそうで有る事がわかる。偶然を科学するには、人的要素における社会学を追求する必要がある。社会学を学ぶのは、面白いかもしれない。

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2014年03月21日

Posted by ブクログ

内容はそれなりに面白いのだけど、文章が読みにくくてなかなか頭に入ってこない。読むのにとても難儀した。私はこの手の本が大好きで、『予想通りに不合理』も『明日の幸せを科学する』もガツガツ喰いつきながらよんだというのに、本書はページをめくる指が重かった。というわけで読み終わるまでに一月近くかかってしまった
青木さんが翻訳したのにおかしいな、、、と思っていたら青木さん違いで、こちらは青木創、あちらは青木薫。な〜んだ。改めて青木薫さんを素晴らしいと思った。

やっと本の中味の話し。
著者は物理学者から転身した社会学者というユニークな立場。「社会科学が科学的であるとはどういうことか」についてとても丁寧に向き合い、それが本書の重要なテーマでもある「認知や判断の根拠としての常識」に見事につながっている。
事前には常識で考えるから間違うのに、事後には常識で考えればそれしかないと思えること。邦訳はあまりよくない。原題の方が著者のテーマを伝えてくれる:
"Everything is obvious, once you know the answer"
「そんなのはじめからわかってたさ(タネ明かしを聞いた後だけど)」。
人工知能の研究からわかったのは、ヒトの認知や判断というは、ものすごく膨大な暗黙のインプットをものすごく大胆に省略しながら処理しているということ。その剪定の仕方にはくせがあって、それが私たちの「常識」を形成しているということ。ふむふむ。そこから抜け出すにはかなり意識的に「反常識(非常識)」を取り入れる必要があるということ。
などなど、読みにくくて大変ですが、ヒトという奇妙な存在の面白さに出会える本でした。

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2014年02月18日

Posted by ブクログ

本書「偶然の科学」を、数ある「常識を疑え系」の一冊として読むことは当然可能だ。そう読んだとしても本書の元は確かにとれる。

オビより
アップルの復活劇は、ジョブズが偉大だったこととは必ずしも関係がない。
VHS対ベータ戦争で敗れたのも、MDの失敗も、ソニーの戦略ミスではない。
給料を上げても、社員の生産性はかならずしも上がらない。
JFK暗殺も9・11も、可能性が多すぎて、事前の予測は不可能。
歴史は繰り返さない。したがって歴史から教訓を得ることはできない。
フェイスブックやツイッターの大流行は、人々のプライバシー観が変わったからではない。
ヒット商品に不可欠とされる「インフルエンサー」は、偶然に決まるため特定できないし、実のところ彼らの影響力も未知数である。
売れ行き予測を立てないアパレルブランド、ZARA。その成功の秘訣とは?
偶然による過失をめぐる倫理的難問。司法はどう裁くべきか?
しかしそれでは本書を読んだことにはならない。それでは著者は読者に詫びなければならないことになる。それはあまりにも忍びない。

まえがき
社会学者の考え方を学ぶのは、物事の仕組みについてのおのれの直感そのものを疑い、場合によってはそれらを完全に捨ててしまうことを学ぶに等しい。だから、この本を読んでも、皆さんが世界についてもう知っていることを再確認する役にしか経たなかったのなら。お詫びする。わたしは自分のつとめを果たせなかったのだから。
本書の原題は"Everything is Obvious* Once You Know the Answer" 「全ては自明--あらかじめ答えを知っているなら」というのは、対偶をとれば "Till you know the answer, nothing is obvious" 、「答えが分からぬうちは、自明なものなどなにもない」となる。

それでは自明ならざるものとはなにか。

人間、つまり社会である。

それを明らかにしていこと、つまり"Science"は、"Social Science"、「社会科学」と呼ぶほかない。

著者はその状況を、まずまえがきで詫びている。

まえがき - ある社会学者の謝罪
社会科学の有用性に疑いの目を向けている人は、少なくない。私も物理学者から社会学者に転身してからというもの、聡明な人物が頭を働かせても解明できなかった世界の問題について社会学は何を語ってくれるのかと、好奇心あふれる部外者から何度も尋ねられた。
しかし、すごいのはここからだ。

だが悲しむべきことに、われわれは経済を運営したりふたつの企業を合併させたり本の売れ行きを予測してたりするよりも、惑星間ロケットの航路を計画するほうがはるかにうまい。それならどうして、ロケット科学はむずかしすぎるように見え、それよりずっとむずかしいと言ってもいい、人間にかかわる問題は単なる常識の問題であるかのように見えるのか。
著者は行間で檄を飛ばしているのである。

「自然科学者達よ、おまえらこそ自分たちにどうにか解ける問題だけ選んで解いているだけの、真に解くべき問題から目を背ける常識の虜囚ではないか」、と。

オビにあるのは、その例題にすぎない。

「社会科学を科学(笑)から本物の科学」にしてみせるという、「社会学党宣言」こそ、本書のコアなのだ。

「はじめに」にあるように、著者は物理学者から社会学に入った。著者を「科学者のなりそこない」ということはこの点で出来ない。そして著者は物理学的に社会を観測することによって、スモールワールド現象を解明した。でもそれはほんのはじまりにすぎない。社会科学が自然科学と同等の科学として常識されるには。

しかしそのためには、社会科学が自然科学と同等に役に立つところを見せなければならない。それが著者を突き動かす力。どうしてニュートン力学で乗物を設計するように、社会という乗物を我々は設計できないのか。

しかしニュートンは社会も何もないところから登場したわけではない。そこに至る前にティコ・ブラーエがいて、コペルニクスがいて、ケプラーがいたのだ。

そう。観測。社会科学に決定的に欠けていたのは、自然科学における最初の一歩だった。だから「たまたま」その学者が目にした現象を「たまたま」その学者が持っている「常識と偏見で料理したもの」が「学説」として流通する。そんな連中をソーカルのように揶揄するのは安価で愉快なことだけど、そろそろそんなことより観測-仮説-立証サイクルを回そうぜ、インターネットのおかげで観測が可能になったのだから。著者はそうシャウトしつつ本書を〆ている。

あとがき
 なぜ都市部の貧困や経済発展や公教育といった社会問題の理解に必要な科学が、注目に値しないことになるのか。もっと注目に値するはずだ。必要なツールがないと言い張ることももうできない。望遠鏡の発明が天空の研究に革命をもたらしたように、携帯電話やウェブやインターネットを介したコミュニケーションなどの技術革命も、測定不能なものを測定可能にすることで、われわれの自分自身についての理解や交流の仕方革命をもたらす力がある。
 マートンのことばは正しい。社会科学はいまだに自分たちのケプラーを見いだしていない。しかし、アレグザンダー・ポープが人間の適切な研究課題は天上ではなくわれわれの中にあると説いてから三〇〇年後、われわれはようやく自分たちの望遠鏡を手に入れたのである。
「さあ、革命をはじめるとしよう…」。革命家ならぬ一読書家として、せめて本書をおすすめする次第。

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2014年01月15日

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