【感想・ネタバレ】迫りくる「息子介護」の時代~28人の現場から~のレビュー

あらすじ

息子介護とは、嫁でも娘でも妻でも夫でもなく、息子が親の介護をすること。今、息子介護者は着々と増えている。やがて親類や会社、家の近所を見渡せば、あの男性もこの男性も息子介護をしている、という日が必ず来るのである。著者は28人の息子介護者からの聞き取りをもとに、彼らがどんな思いを抱きながら周囲の人々と関わり、家事や介護をこなし、仕事との両立や折り合いをつけたりつけなかったりしているかを、丁寧に描き出す。

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Posted by ブクログ

親を介護する息子たちを温かくも厳しい眼差しで説いている。
いまだに、介護といえば女性がするものという世のなかの感覚が根強く残っている。性別役割分業的にとらえるべきでないといった硬い言い方をしなくても、実態としてもはや、自分の親は自分で介護する、あるいはその算段をつける時代になりつつある。そのようななかで介護する人たちの声をもとにしている。「28人の現場から」という副題がついていることもあり、各人のいろんな喜怒哀楽のエピソードが紹介されていることを期待して読んでみたんだけど、各人のエピソードが大して収まっておらず、むしろ各人へのインタビューなどをもとにした「息子介護」なるものの分析に大部が割かれている。
そんなうち、温かな眼差しと感じたのは、息子介護って思ったより希望があるものだなということ。皆さん、もっと困ったり憤ったり卑屈な思いをしながら介護しているのかと思ったら、そこは十人十色だろうけど、ちょっとした楽しみや和みがあったりする。こういうインタビューを(人を介して)受けられるくらいだから客観的にみてもわりとうまく息子介護している人たちなんだろうけど、そういうバイアスはあるにしても、希望ある事例に触れられたのはよかった。以前読んだ『男が介護する』(津止正敏著、2021年)ではもっとジェンダー的な部分で卑屈になったり葛藤するものというような紹介のされ方だった気がするけど、本書によるとそうでもないみたい。多くの人が、ジェンダー意識なんか二の次で、悩むとすれば親やきょうだいとの人間関係だったり介護のしかたといった、息子でなくても向き合う課題のような気がした(そこに、自身が息子であったり男であることによる特徴的な課題はありそうだけど)。
あわせて、よくも悪くもだけど「ミニマムケア」という介護への向き合い方も一つの知恵といえそう。育児世代でも妻と夫の家事時間の差を上げ、男性の家事参加が叫ばれるけど、妻がいま急いでやらなくてもいいことをやらなければならないと思い込んでやっていることもあるんじゃないかと思う。ともにミニマムケアでいくというやり方もあるはず。
同様に、男の介護って孤独な介護疲れのあげくの暴力や殺人が話題になりがちで問題ありありのようだけど、かといって女性の介護が万全なわけでなくむしろ危ういこともあるだろう。でも女性的な介護が一般的・スタンダードになっていることで危ういことも当たり前のこととして半ば正当化され顧みられないこともあるかもしれない。
一方、苦言を呈している点といえば、息子(男性)の介護ってコントロールしたいような思いが反映されてしまうこと。先述の「ミニマムケア」にしても、できないことの棚上げ、親の衰えなど見たくないものから目を反らしているとの指摘もあるとか。
ただ、誰がやっても介護は悲喜こもごもなはず。自分のやり方、自分なりの介護がなされればいいんじゃないだろうか。著者はこんなふうにも書いている(p.308)。

 「『困っていない』僕らは、本当に困らなくてよいのか?」
 「どうしたら僕らは、困るべきときに困ることができるのか?」
 困っているときに困ったと言えない、助けてほしいときに助けてと言えない、弱みを見せられない男の「弱さ」を、「強さ」とかんちがいするのはやめたほうがよいのではないだろうか。男には弱さを認めることのできない「弱さ」がある……この問いに答えるのは、男たちの永遠の課題だろう。

介護って悲喜こもごも、困ったり迷ったり憤ったりしながらしていくもの。男だろうと女だろうと、誰だろうと。そういう意味で、困りながら介護をしていくことを当たり前として、息子たちも困りながら介護していることを表出しながら生きていくといい。

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2023年08月05日

Posted by ブクログ

まえがきで丁寧すぎるくらい、この章は読み飛ばして
大丈夫ですとたくさん書いています。

「息子」が親の介護をすることについて。
前半部がデータの検証的な話で
実例が少なくぴんと来る話も
ないので、ちょっと失敗かなと思ったら・・・、
後半の読み応えのすごさ!!

仕事から介護に比重を移した時の、経済的
世間的にもペナルティを受ける感じの例(女性は
全く逆になる)。

男同士の友人の集まりでは、介護の悩みは
話しづらい(言ってもお互いにいい気分にはなれない)
現実。
両親を介護していて、母親を介護していた時には
近所から色々と助けてもらっていたが、母親が
亡くなってからはめっきり誰も来なくなる現実。
これは、近所の人にとって○○さんの息子、
でしかないこと。
決して介護者としての息子、ではないという現実。

男として、これは非常に考えさせられます。
これらの後半部分については、もう一度読んでみたいと
おもいます。
久しぶりに、売らずに蔵書する本。

0
2014年03月11日

Posted by ブクログ

むかしは、介護といえば、女性がこれにあたるものとされる向きが強かった。
娘であったり、息子の嫁であったり。
それがいまや、配偶者による介護だったり、
息子による介護だったりというのが、増えているようですね。

とくに息子介護については、
一人っ子化、晩婚化、独身でいる人の増大という
現代人の在り様の傾向が影響していて、
さらに、就職難や、介護が理解されない社会構造なども
その背景としてあるような状態。

本書ではその解決については述べられませんが、
現状分析としては、なかなかに的を突いたものになっているように
読み受けました。

なにせ、ぼく自身が息子介護とは言わないまでも(主介護者が親父だから)、
母親が介護を必要とする身なので、ご飯を作ることをメインに、
面倒を見ていたりする。
だから、本書のとくに4章から5章にかけてはよくわかる感じでした。

4章は介護者と被介護者である親の関係について書いてあり、
5章では、介護者である息子の交友関係について書いてある。

5章では、コンパニオンシップとコンフィダントという関係が示される。
コンパニオンシップというのは、楽しみを追求するために特化した関係で、
共通の趣味に興じたり、一緒においしい食事やお酒を楽しんだり、という
付き合いのことです。
一方のコンフィダントというのは、悩みや問題を共有しあう
「話しやすくわかりあえる」相手のことをいいます。

そして、介護者である息子は、友人たちとの関係が希薄になるとも
書かれていてぼくもそうなのですが、そんな中、
ぼくの友人関係にはコンフィダントはまるで無いなあと気づかされたりしました。

同性との交友関係って男の場合そういうのばかりらしいですね。
本書の言葉の通りに言えば、「馴れ合い、張り合い」の関係。
このあいだ芥川賞を取った羽田圭介さんの言葉で言えば、
「牽制しあう関係」となります。

ところが、異性の友人っていうのは、
コンフィダントになりやすいそうです。
このあたりは心得ておかないと、と思います。

また、おもしろいのは、
女性の友だち付き合いは「差し向かい face to face」で、
男性の友だち付き合いは「横並び side by side」と言われる、とのところ。
差し向かいは「おしゃべり」中心のことを言っていて、
横並びは「同じ行動をする(共行動)」中心のことを言っているみたいです。
女性は言葉やしぐさ表情などで確かめあって、
男性はその存在の雰囲気を共有するみたいなことで確かめ合う感じでしょうかね。
それで、男同士の横並び、つまり共行動ってなんかわかる気がするわけです。
…連れションとか。

そんなところもありながら、
中盤以降は集中して読ませる内容でした。
介護は大変だけれど、目をそらせない現実としてあって。
ぼくも最悪の事態にはならないようにじたばたせねばと考えているところです。

介護をとらえた本としては入門編としての位置づけがなされると思います。

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2025年07月03日

Posted by ブクログ

息子介護はブラックホール。解説で上野千鶴子は指摘する。介護、をめぐるシチュエーションは息子介護に限らず、100人いれば100通りのそれがある。しかしそれにしたってブラックホールなのが息子介護なのだ。
理由はなんとなく、感覚としてわかる。それこそ「もう一つの男性学」ではないけれど、日本の男という生き物を考えたときに、そうなるよね、という確かな感覚がある。が、ゆえにこの本に価値があり、意味があると思う。
介護の専門家ではない著者だからこそ、の、単なる事例集でもなく、公約数探しでもなく、みんなにやってくるそのときを、それぞれに考えさせる本。

上野先生、勝手にしなれちゃ困ります、とセットがいいんでないでしょうか。

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2014年09月04日

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