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Posted by ブクログ
今月、奈良と京都を2泊3日で旅行した。
日本人のみならず、アジアや欧米からの観光客も多く訪れていた。
観光案内所に行くといろいろなパンフレットが置いてある。
パンフレットといえば、古本市に行くと最近良く見かける。
よく今の時代まで残っていたなあと思う。
今回の本はパンフレットや絵はがきを通して昔の旅について知ることができる貴重な資料だ。
寒い季節なので、温泉に行って温まりたいなあと思う人が多い。
しかし、日本人にとって温泉が身近な存在になっていくのは、明治時代半ば以降。
江戸時代までは、気軽に旅行できず、湯治するには手続きが必要で、長期滞在が普通だったそうだ。
宣伝上手の人がいるおかげで栄えた温泉地もある。
大分県の別府温泉だ。大阪で相場師として成功したが、日清戦争後に経済がガラッと変わった影響で無一文になった油屋熊八が今の別府温泉に影響を与えた。
1924年に西洋式の亀の井ホテルを開業した。
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」と書いた大看板を富士山の麓に立てたり、ロサンゼルスで開催されたせかいほてる業者大会に出席したとき、「日本の別府温泉」を英語で染め抜いた陣羽織を着た。
そして、女性バスガイドを初めて採用したのも熊八と言われるくらいアイデアマンだった。
初詣に鉄道が大きく関わっているという話は有名だが、寺社詣でに鉄道が果たした役割は計り知れない。
というのも明治の終わりになっても、「旅は憂いもの、つらいもの」という観念が一部の地方に残っていたそうだ。
『日本旅行百年史』(日本旅行、2006年)によると、1908年に初めて国鉄貸切臨時列車による善光寺参詣団を企画した。
初日に夜行で草津を出発して、江の島、鎌倉、東京、日光などを巡って善光寺に参拝して、再び東京に戻って7日目に帰る。
応募者が殺到して900人にもなり、2班に分かれて行ったそうだ。
まさに鉄道のおかげと言う他ないなあ。
『チェンバレンの明治旅行案内ー横浜・東京編』(「異人さんのニッポンの巻」参照)によると、上野公園はこの大都会の最も人気のある行楽地だった。
東京近郊では目黒は人気のある行楽地であり、本門寺という大寺院は見事な樹木に拠って東京近郊の最も美しい場所のひとつとなっている。
時代が違うと、名所も違って面白いなあ。