あらすじ
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日露戦争開戦前夜の一九〇二年。青森県・八甲田山で起こった雪中行軍遭難事件(死者百九十九人)は当時の社会に驚愕と悲嘆を巻き起こすと同時に、惨事への好奇のまなざしを生成し美談をも生み出していった。死者はどのように慰霊・顕彰されたのか。そしてこの未曾有の出来事の記憶は誰によって編集されていったのか。新聞報道や防衛省所蔵の公文書、聞き取り調査などからその経緯を丹念に追い、大日本帝国の形成期を問い直す。
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Posted by ブクログ
『八甲田山遭難事件』を、地元・国・軍隊・報道は如何に伝え受け止めたか。
死者の扱いはどうなったのか。
靖国に祀られていないにも関わらず、そのように語られていた背景は何か。
衝撃の事件がその後の大日本帝国を決定するものであったことは改めて驚きである。