あらすじ
日本全国の神社の数は約8万社。初詣、宮参り、七五三、合格祈願、神前結婚……と日本人の生活とは切っても切り離せない。また伊勢神宮や出雲大社など有名神社でなくとも、多くの旅程には神社めぐりが組み込まれている。かように私たちは神社が大好きだが、そこで祀られる多種多様な神々について意外なほど知らないばかりか、そもそもなぜ神社に特定の神が祀られているかも謎だ。数において上位の神社の中から11系統を選び出し、その祭神について個別に歴史と由緒、特徴、信仰の広がりを解説した画期的な書。
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Posted by ブクログ
遠足の事前学習②。諏訪大社つながりで読み始めたが、八幡神社のことが学べた。源頼朝のせいだな。
諏訪大社のことはほとんどなし。寺田鎮子さんの本で詳しく読んだので、再確認にもならない程度の情報量。
この本の肝はそこではなく、八幡神社とか稲荷神社とかのほうであった。そっちについては詳しく、わかりやすく、勉強によくなった。
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p5 『浄土真宗はなぜ日本で一番多いのか』
この人の別著。今度読もう。ちなみにうちは曹洞宗だ。
p22 阿佐田神
麻雀小説家の阿佐田哲也が稲荷山に祀られている。麻雀の神として新日本麻雀連盟が祀っているらしい。こんな風に日本では個人を神にできる。東郷神社とか乃木神社とかもある。
p25 デウス
ザビエルは日本に布教する際、キリスト教の神デウスを大日如来として訳した。そうすることで日本人に早くなじんでもらおうとしたのだろう。
ここで注目すべきは、神道の天照大御神ではなく、密教の大日如来を選んだ点である。八百万の神に並べるのではなく、密教の唯一神に喩えたところが、味噌である。
p28 神学は学問ではない
寺院の僧侶は出家した存在で、俗世から離れ仏教という宗教を学問する役割を持つ。
神社の神官は俗人扱いであり、祭祀を行うときだけその役割を担う。
仏教寺院が僧侶という「人のため」の場ならば、神社は「神のため」の場なのである。
p34 神社の系統数ランキング
①八幡信仰(八幡宮・八幡神社・若宮神社)
②伊勢信仰(神明社、神明宮、皇大神社、伊勢神宮)
③天神信仰(天満宮、天神社、北野神社)
④稲荷信仰(稲荷神社、宇賀神社、稲荷社)
⑤熊野信仰(熊野神社、王子神社、十二所神社、若一王子神社)
⑥諏訪信仰(諏訪神社、諏訪社、南方神社)
⑦祇園信仰(八坂神社、須賀神社、八雲神社、津島神社、須佐神社)
⑧白山信仰(白山神社、白山社、白山比瑪神社、白山姫神社)
⑨日吉信仰(日吉神社、日枝神社、山王社)
⑩山神信仰(山神社)
いろんな信仰があるんだなー。(小並感)
p36 八幡神の登場
八幡神は日本神話とは関係ない。八幡神が最初に登場するのは737年の平城京時代。突然『続日本紀』に登場する。
p39 託宣
八幡神はシャーマンに憑依して託宣する神である。
そして、東大寺の大仏建立に際して、「俺も応援すっから!絶対大丈夫大丈夫!」という託宣を聖武天皇に託宣している。
p41 道鏡事件にも関与する八幡神社
宇佐八幡宮には、行為を左右する託宣の力があった。
孝謙天皇の愛人兼参謀であった道鏡という僧侶は、孝謙天皇が称徳天皇として再び即位した時期に、皇室でもなんでもないのに、道鏡を皇位につけるよう託宣があったという知らせを受け、その権力を絶対的なものにしようとしていた。
しかし、称徳天皇が和気清麻呂を遣いに出して宇佐八幡宮から改めて託宣をもらってみると、そんなこと言ってないという。道鏡を皇位に付けようとしていた称徳天皇は怒って、和気清麻呂とその姉を流罪に処した。翌年、称徳天皇は亡くなり、祟りを疑われた。そして道鏡も下野の国薬師寺に左遷された。
ここで宇佐八幡宮が、託宣の力ですごい影響力を持っていることがわかる。
p45 韓国の神
辛国の城に、初めて八流の幡と天降って、吾は日本の神と成れり
p46 園城寺(三井寺)
園城寺にも新羅の神が祀られている。
p53 八幡神は
八幡神は応神天皇と習合されている。これがただの八百万の神ではなく、皇祖神として神の中でも位の高い普遍的な存在になれた所以であろう。
p57 八幡大菩薩
八幡神は神道の神でありながら、仏教の菩薩でもある。神仏習合の日本でも特殊な神様である。
p59 八幡なければ日本はあらず
八幡神は独立した信仰の対象として多くの信者を集めているわけでもないが、日本の信仰の歴史の中で重要である。八幡神があるから神仏習合も正当化できるし、託宣という日本では珍しい神からの預言を与える者として人の拠り所になってきた。これがなければ、案外、日本は全然違う国になっていたのかもしれない。
p65 聖人崇拝
日本には人格神というものがあり、その代表が菅原道真である。キリスト教やイスラム教などにも、神への崇拝だけでなく、聖人崇拝というものがある。聖フランシスコや聖バレンタインなど。日本の人格神はこれに近いのだろう。
p66 北の神社の丑
天神信仰の神社には丑(臥牛)がいる。それは、道真が生まれた日が丑の日で、亡くなった日も丑の日だから。とか、道真の遺体を運ぶ牛が、墓への途中で臥して動かなくなり、近くの安楽寺に埋葬したからである。ちなみにそこが今の太宰府天満宮である。とか。
道真に牛が関わるから、丑がいる。
p71 とおりゃんせ
とおりゃんせの歌詞にも天神様が出てくる
「とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちっと通してくだしゃんせ 御用のない者とおしゃせぬ この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります 行きはよいよい帰りは恐い 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ ♪」
寺子屋では学問の神様の天神様が神棚に祀ってあって、毎月25日の道真の生没日には天神講を行った。だから、子供の歌に天神様が登場する。
p80 道真の祟りのタイムラグ
道真の祟りがはじめて文献上に登場するのは20年も経ってからである。道真を陥れた藤原時平は道真没の6年後に亡くなるが、道真の祟りはこの時やっと出てくる。またそこから14年して、京都で咳病(インフルエンザ)が流行った時に出てくる。この時間差、気になります!
p95 秦氏が稲作して稲荷
秦氏は渡来系の一族で、稲作で富を得ていた。彼らが信仰していたのが稲荷の神であった。つまり、稲荷神は穀物の神であり、稲作とともに渡来してきた神様なのである。
ちなみに、稲荷神はキツネではない。狐はあくまでお稲荷さんの使いであり、眷属である。
p97 神名備
大神神社ではその後ろにそびえる三輪山がご神体として祀られ、「神体山」「神名備」という。
p102 密教
日本の仏教は中世に密教になり、神仏習合で神道と合流した。仏教が朝廷や貴族の物だけでなく、広く民衆にも降りてきたのは、神道と密教が合流したからかなー。
p107 豊川稲荷
神道の稲荷信仰の本山は伏見稲荷社である。それに対し、仏教の稲荷信仰もある。それが豊川稲荷で、曹洞宗系列である。
これに見られるように、稲荷信仰は典型的な神仏習合の信仰であった。
p135 遷宮
伊勢神宮の遷宮には、社殿を一新することによって神を、さらには世界を再生させる意味があると考えられている。
建物が朽ちることが遷宮の理由ではなく、神に新しい宮殿を捧げる「新宮遷り」が目的なのである。
「再生」というどの宗教にも見られるテーマのイベントの一つなのである。
p138 129年も遷宮がなかった時期があるらしい
伊勢神宮では、内宮は応仁の乱の5年前(1462)に第40回遷宮が行われて、応仁の乱からの混乱で1585年まで123年間遷宮が行われなかった。外宮では1434~1563まで129年も遷宮が行われなかった。この間の資料はなく、建物がそんなに持つわけないからきっと小さな社に入れられていたりしたのかな。
p176 ハワイにもある出雲大社
大国主命をまつる神社は少なく300くらい。府中の大國魂神社とかがあるが、じつはハワイ出雲社がある!
p182 藤原の氏神
藤原鎌足(中臣鎌足)から始まる藤原家の氏神は春日神である。ちなみに氏寺は興福寺で、春日大社が隣にある。
春日神は一つの神ではなく、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天児屋根(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメガミ)、天押雲根命(アメオシクモネノミコト)の五つを複合して祀っている。
p199 補陀落渡海(ふだらくとかい)
浄土教信仰の特異な習俗のひとつ。那智の南方の海にあるとされた補陀落浄土に行き着くことができれば、極楽往生を果たせるという信仰である。
これに挑戦する僧侶は沖で小舟に乗せられて放たれる。漂流して浄土にたどり着くというものだった。ただの自殺行為である。ただ、極楽浄土に行きたいがために自殺行為を怖れないというのも面白い話である。
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後半に行くにつれてマイナーな話になるので、面白味が薄れる。筆者の力の入れ方も違ってくるのがよくわかる。前半だけ、出雲まではGood!
ただ、この人の宗教の本は色々と興味深いタイトルがある。これは、本の内容が良いからなのか、出版社の担当の腕がいいからなのか、ほかの本もぜひ読みたい。
しかし、スゲーいっぱい本出してるんだよな。感心するわ。