あらすじ
2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の大地震が東北・関東地方を襲った!
史上最大級の大地震は、巨大津波や原発事故、放射能汚染、避難生活、計画停電……想定外のさまざまな問題を引き起こしている。
“稀代の論客”として知られる佐藤優氏は地震発生以後、ネット、新聞、雑誌などのさまざまな媒体で、今回の大惨事についてのメッセージを次々と発信している。政権への提言、マスメディアのあり方、東京電力への応援、ロシアの動き、危機管理のあり方、日本人のメンタリティ、三浦綾子『塩狩峠』との類似性、放射能汚染、チェルノブイリ原発事故との比較……内容は多岐にわたるが、一貫して唱えるのは<国家の未曾有の危機に、政府は、企業は、個人は、いかに立ち向かうべきか!?>ということ。
佐藤氏の発信はまだまだ続くが、とりあえず4月初頭までに発信した記事をまとめて、「緊急出版」として上梓する。政府、国民、企業、マスメディア……それぞれの立場で、今回の「クライシス」についてぜひ考えてほしい一冊。
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Posted by ブクログ
3.11以降に書かれた本が、チラホラと出始めてきている。目立つところでいうと、本書と大前研一・著の『日本復興計画』である。いずれもネット上で話題になった記事や映像をベースにしており、本としての書き下ろしではない。まだ、序章といったところだろうか。
しかし、本書の切れ味は鋭い。あの状況下で、自分の身の回りのことをケアしながら、よくぞここまで国家的な視点に立って、冷静な提言ができるものだなと思う。本書は3.11以降の激動の三週間、時々刻々と状況の変化する中で、佐藤 優氏がネット記事、新聞・雑誌へ寄せた論考の数々を取り纏めた一冊である。
数ページめくると「翼賛」、「大和魂」、「ファシズム」、「超法規的措置」など、戦時中を思わせるようなキーワードがやけに目立つ。マスメディアや論壇で強い忌避反応をもたらす、このような言葉を用いることで、読者が自分の頭で考えることを余儀なくさせることを狙っているそうである。
今回の3.11による「戦後の終焉」という言葉は、よく見聞きする。著者によると、具体的には戦後の社会システムを構築してきた「合理主義」、「生命至上主義」、「個人主義」の三つの思想が終焉したということを意味するとのことである。とりわけ、一つ目の合理主義崩壊の意味するところは大きい。今回の震災でわれわれが皮膚感覚で理解したものとは、人間の力では絶対に及ぶことのできない超越的な「何か」があるということなのである。合理的な想定を超えたことが起きるという現実は受け止めざるをえないのだ。
そして、これからの時代を乗り越える道標として、著者が何度も執拗に引用しているのが、明治天皇の御製(和歌)「しきしまの 大和心の をゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」というものである。この大和心の「をゝしさ」の引用を持って、過去のシステムを超克すべしという提言は、各論におけるその具体性と比べ、ずいぶんと漠とした印象を受ける。
つまり、この点こそ、各自で考えよというのが、著者からのメッセージであるのだ。そのためのヒントが、本書には随所に散りばめられている。これからの時代を考えるうえでの突破口になりそうな一冊である。
Posted by ブクログ
「知の怪物」の異名をとる「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏がネットや活字メディアを通じて発信し続けた「3.11」に関する論考です。過激な言葉の中に彼の持つインテリジェンスの感覚が窺がえます。
この記事を書いている現在、原発事故の事故は第一段階が終了したとのことらしいのですが、まだまだ予断を許せる状態ではありません。この本は僕の好きな論客で『知の巨人』の異名をとる佐藤優さんが3.11の日からインターネットや活字媒体を通して自らの思いを発信し続けてきたものをまとめたものです。その中では結構刺激的な言葉、たとえば『国家翼賛体制』ですとか『大和魂』など、普段の理知的な論理を展開する筆者が日頃使わないようなフレーズがかなり繰り返し使われていて、改めて今回の震災、及び原発事故が『有事』なのだなということを身に沁みて実感しました。
この本の中にも何度か出てくる明治天皇の御製(和歌)に
『しきしまの 大和心の ををしさは ことある時ぞ あらはれにける』
というものがあって、これは僕も始めて今回これを読んで知ったのですが、これは今も原子力発電所の事故現場で収束に当たって全力を尽くしている原発作業員たちや、水素爆発が起こった際に現場で消火作業に当たった消防員。そして、現在でも被災地で復興作業に当たっている自衛隊員の
ためにあるような歌だなと感じ入ってしまいました。
もうひとつ、この本で何度も繰り返されている『無限責任』という言葉について。筆者いわく、戦後民主主義は生命至上主義と個人主義によって構築された日本のシステムで職業と生命を秤にかけた場合、生命のほうが普段は重くなるが、例外として自衛隊員、警察官、消防士、海上保安官、そして外交官は自らの生命を犠牲にしてでも職務を遂行しなければならない場合がある。という一節を読んで、身震いがいたしました。そこまでしてやらなければならない仕事や職種があるのだと。
前に、僕はブログで自衛官になりたいと書いたことがありますが、それは生活を安定させて三度三度のメシを腹いっぱい食いたいからだということことと、両親から
「お前のようなどうしようもないのは自衛隊に行け」
といわれたからという、誠にもって安直な理由からで、そういう理由でやってはいけない仕事だったんだなぁということをいまさらながらに痛感しました。
そして許せないのがこうして震災や原発事故で弱っている日本を挑発するようにロシアが領空圏を侵している(らしい)という筆者の文章を読むと、改めて世界が新帝国主義というモロに弱肉強食の状態になっているんだなということに、衝撃を隠せませんでした。収束に向かっているという政府の発表が眉唾であることは個人的な見解ですが、人類がいまだかつて経験したことのない震災、及び原発事故を経験している今だからこそ、読んでおきたい文献のひとつであると思います。
Posted by ブクログ
外務省にいただけあって、”世界の中の日本”という視点でこの震災を見ている。また、日本という国家のためにどうするか、という視点も印象的。
この人物の評価は世間では分かれると思うが、文章を読む限りでは誠実な印象を受ける。