あらすじ
戦後の日本社会で人々は、会社や家族という「共同体」を築き、生活の基盤としてきた。だが、そうした「関係性」のあり方を可能にした経済成長の時代が終わるとともに、個人の社会的孤立は深刻化している。都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケアなどの観点から、新たな「つながり」の形を掘り下げる試みである。
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コミュニティを問いなおす
非常に面白い本であった。改めて広井先生の社会福祉論の面白さに触れた。前半は増田四郎などに触れ、中世ヨーロッパの知見を援用し、社会学的な考察を行ったのち、広井先生の持論であるストックの再配分などに触れ、最後に多様な人々を結びつける共通基盤としての思想、哲学に議論が及んでいく。1冊の本の中で3冊分の知見を得たような気もする。
前半の日本社会論は非常に明快であり、個人的にも納得した。社会には都市型と農村型、テンニースの言うゲゼルシャフトとゲマインシャフト的な二分法がある。都市型は異なる人々が、規範をもとに個人をベースにした公共性の高いコミュニティを形成する。一方、農村型は情緒的なつながりであり、ある意味で自他の隔たりが緩い共同性の高いコミュニティである。日本はどうかと言えば、戦後の日本では急速に都市化が進んだものの、実は都市化されたのは外観だけで、中の人々はカイシャという農村型コミュニティで温存されてきた。そういった意味で、日本には都市型コミュニティは未だにない。家庭と終身雇用の会社を行き来し、情緒的なつながりを基調に生きる一方で、一歩その外にでると、他人とは全く話すことはない。コンビニで店員と談笑しているような人はあまり街では見かけないのである。そう言った意味で、日本社会が閉鎖的と言われるゆえんは未だに確立した個人と個人の公共的な触れ合いというものがほとんどないからである。街中で人々が道徳的にふるまうのは、近所の誰かが見ている可能性があるという意識であり、決して公共性や規範によるものではない。これまでの日本は拡張され、引き伸ばされたウチがあり、結局のところ相手の個性を認めたうえで対等にコミュニケーションするというソトのコミュニティはないのである。ここが前半の面白い部分であった。さらに、少し話はずれるが高齢者と子供は土着性が強いゆえに、これからの社会は高齢者比率が高くなるにつれてより地域性が重要になるという考察も頷けた。
また、2章ではコミュニティの意味や目的について話が上がるが、「コミュニティは外部と接するためにある」というキーワードが興味深かった。古来よりコミュニティが存在する場所は、寺院・神社、学校、商店街、公園、介護・医療関連施設であるが、寺院・神社は死者(彼岸)の世界という外部を持ち、学校は新しい知識と言う外部を持つ、商店街は商行為を媒介とした他のコミュニティとの接点であり、公園は自然と言う外部がある、最後に介護・医療関連施設は老い・病という外部をもつ。今あるコミュニティには外部が存在するという知見はこれからコミュニティを形成する上で、何を外部とするかという形で落とし込みができるのではないかと考えた。企業も、何を外部(社会課題・ペイン)とするかを設定し、それを解決することを企業理念とするという形で考えればコミュニティという意味では分かりやすい。
中盤では、フローの社会保障からストックの社会保障というテーゼが打ち出されている。これまで私が触れてきた社会保障論では税や社会保険を財源に、困窮者に手当や保険金を支払うというフローでの思考が非常に多かった。一方で、住環境であったり、初期の教育環境というストックにより注目することで、都市計画などの別の形での社会保障論が垣間見える点は非常に面白かった。
日本はヨーロッパなどに比べて圧倒的に公営住宅というものが少ない。実際に家計をやりくりしてみてわかることであるが、福利厚生で考えてみてもいくら住宅手当と言うフローの保障があったとしても、社宅のようなストックでの供給の方がありがたい。今では社宅など死後に近いが、困窮している層に対して、住環境のストックでの保障というものは、今後高齢化が進む中でどうしてもフローの社会保障論では限界がくる中で、有益な視点であると感じた。再分配という文脈でもストックへの注目はしかるべきであろう。これまでの修正資本主義の考え方では、最初は自由経済でどんどん進めて、ひずみが出れば解決するというものであった。しかしながら、昨今では教育環境やそもそも家を持っているか否かなど、機会の不平等が進んでいる。そう考えた場合、フローへの課税だけでなくストックへの課税をもとにしたストックでの再分配は今後のトレンドとならざるを得ないと考える。
また、人生前半の社会保障という考え方もストックへの社会保障という考え方の一つの面白い視点である。これまで、人生におけるリスクは退職後という人生後半に集積していた。それは、終身雇用と核家族という強固なセイフティネットにより、見えない社会保障が機能していたからである。しかしながら、終身雇用も現在では崩れ始め、さらに人々はどんどん孤独化していっている。もとい、失われた30年とは、終身雇用は限界を迎えているのにもかかわらず、非正規雇用という外部を生み出すことでギリギリ終身雇用を維持してきた期間であった。その間に、非正規雇用は終身雇用のような見えない社会保障から外れ、非正規雇用は消費することもなく、さらには金銭的な理由から結婚もできずに孤独化していくという道筋をたどってきた。非正規雇用という外部と、正規雇用の流動性の低さという日本労働社会の潮流は、2021年の今まさに変化を迎えようとしている。同一労働・同一賃金や厚生年金への一部の非正規雇用者の適用など、一度セイフティネットから外れた人々を、なんとかより戻そうという流れがきている。それは、一方で正規雇用の流動性の向上により、むしろ労働市場はストック的な思考からフロー的な思考へ変化して言っている。その意味で、この本が書かれた2009年からさらに日本は沈み、過渡的な状況にあるともいえる。
また、最近、脱・成長という言葉も流行っているように思えるが、広井先生はかなり昔から定常経済の概念を提唱していたと記憶している。今後、経済成長が止まっていく中で、成熟した社会を構想する上では、空間への志向が考えられる。なぜなら、これまでの経済成長は時間への志向であったからであろう。今日よりも明日の方が経済が成長するという基盤のもと、現在価値や将来価値という言葉は金融論の初歩的な言葉としてカウントされてきた。今の1万円は1年後の1万円よりも価値が高いのである。しかしながら、定常社会では今の1万円も1年後の1万円も価値は同じなのである。ここに、時間が価値を生むという根本的な原理が通用しなくなり、人々は時間への興味を失っていくと考えられる。そうした場合、時間の対概念である空間の比重がこれまで以上に重要視されるのではないかということが広井先生の提言である。
終盤ではかなり歴史的・哲学的な話に広がっていく。これまでに歴史を概観するに、定常化と成長のサイクルを広井先生は見出している。そして、キリスト教や仏教、ユダヤ教などの世界宗教の多くは定常化した状態で勃興する。そこには、物質的な拡大から内面への深化、際限なき欲望の抑制という宗教的・哲学的な思考が深まるのは、拡大や際限なき欲望がかれ果てた定常化した社会なのである。今後、定常化した社会の中で、自省的で内面的な思考がトレンドとなるということは文化的な側面でも考えられるであろう。一方、もう一つの見方とすれば、空間的な拡大の果てに多様な人々をむずびつける共通基盤が必要となり、そこには長い時間軸を持った宗教的・普遍的な思考が不可欠であったという見方もある。いずれにしても、今後の文化は普遍性の高い概念への深化のフェーズを迎えているのであろう。
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経済の成熟化により、富の源泉がフローからストックにシフトしている。ストックからの分配を行うこと。
人生前半の社会保障を行うことの2点が今後の社会保障のポイントである。
といった箇所が最も共感できた。
もう一度読み直したい。
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コミュニティの機能が失われた現代社会で、コミュニティの再生のために、コミュニティを問いなおす。しかし、それは、従来のコミュニティの再構築ではなく、新たな関係性、価値観にもとづいた、新たな機能を持ったものになるだろう。
本書の中で、著者はコミュニティの定義について、「人間が、それに対して何らかの帰属意識を持ち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団」としている。その、「人間が」尊厳を取り戻し、社会が再び機能する場所として、「公」(政府)でもなく、「私」(市場)でもなく、「共」の場である「コミュニティ」に焦点を当てている。
著者が言うように、現代は、人々の価値観を含めて社会システムが大きく転換しないといけない時期に来ていると思う。そして、「共」の場で変化のリーダーシップをとっていける存在としては、事業体をもつ協同組合であったり、実績を積んだNPOなどであり、そのはたさなければならない責任は大きいと感じた。
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これは新書のレベルじゃない。
人生を懸けないと作れない大著だ。
参考文献100冊。
学問分野は経済学、社会学、心理学、人類学、宗教学、歴史学、哲学、倫理学をはじめ、科学論、独我論、医学、生物学、疫学、生気論、社会システム論、都市論、公共論、思想論、政策論、国家論、格差論、環境論、文化論、社会保障論、税制論、情報論、その他どこに分類して良いか分からない数々の体系から引用された知など、多岐に渡るというか、もはや学問分野の分類などという概念がアホらしくなるほどの広い視野を全て「コミュニティ」という一点を語るために集約して活用し尽くすという、恐ろしい本である。
そして、至る所に散見される「」や()や「或いは」「と呼ばれる」のような断定を留保し思考を促す表現に、読者に対する真摯さを感じる。
世の中にこのような智者が存在するという衝撃を覚悟できる者だけが、この本を手に取るべきだと思う。
Posted by ブクログ
内容の鮮度が高く、密度が濃くて、読後は新書にもかかわらず、「お腹いっぱい」の感がある。それぐらい、本書を「コミュニティ論」の入り口として、また新しい研究への出口として、活用できる良書である。
人は一人では生きられない。コミュニティには功罪があるが、しかし、そこを無視しては、何事も解決の糸口はつかめない。
・日本は先進諸国の中で、社会的な孤立度が一番高い国。
・「市民」citizenshipはある種の資格。
・コミュニティづくりに於ける都市部と小規模町村では課題が違う。→福祉地理学の必要性。
・コミュニティは共同体であると同時に、外部に開かれた窓の側面もある。
・公-共-私のバランスの中で、共の部分が肝になってくる。
・経済成長による解決では立ちゆかない問題が増えており、一方、空間的な解決が求められる。
・社会住宅の割合は日本は最低レベル。6.7%。
・フローの格差(ジニ係数0.308)より、ストックの格差(貯蓄0.556,住宅0.573)の問題が深刻化している。→人生前半の社会保障の重要性(特に教育)
・人間の消費は、物質→エネルギー→情報→時間(スピリチュアリティを含む)と推移している。
・15~44歳は精神疾患、アルコール依存、交通事故など、精神的・社会的な病気負担の割合が高い。→人生前半の医療の視点。
・脳科学の分野でも、社会行動、コミュニケーションなど個体を超えたレベルでの研究は端緒についたばかり。
・ソーシャルキャピタルと健康・医療の関わりには大きな相関がある。
・社会的なつながりが人間にとって重要という当たり前のことが、科学で論証されている。
Posted by ブクログ
2009年大佛次郎論壇賞受賞作。
高度成長期、我が国は経済成長をいわば価値原理にしてそれに向かい邁進してきた。しかし現代において経済拡大は飽和状態に達し、次の価値を模索する時代に突入している。
同様に、コミュニティという人間の集まりにおいても新しい局面が訪れている。高度成長期には農村から都市への大移動がおこった。それまでコミュニティは主に「家庭」と「会社」という、閉鎖的性格を持つものが担っていた。しかし、高度成長が終わり新しい価値原理を模索しなければならない中で、ベクトルは新しいコミュニティ、つまり「農村型コミュニティ」から「都市型コミュニティ」へと向かっている(ここで「農村型コミュニティ」とは、「共同体的な一体意識」をもつ「情緒的(非言語的)」性格のもであるのに対し、「都市型コミュニティ」は「個人をベースとする公共意識」を持つ「規範的(言語的)」性格のものである)。
OECDによる2005年の報告書によれば、日本は先進国の中で最も社会的孤立度の高い―コミュニティの外との交流が少ない―国であったという。それは「農村型コミュニティ」の影響がいまだ根強く、「ウチ」と「ソト」との落差が大きい社会であるということを示している。広井氏は我が国の自殺率の高さを挙げた上で、このことが「生きづらさや閉鎖感の根本的な背景になっているのではないだろうか」と指摘している。
このような状況で、経済成長に代わる新しい価値原理は「有限性」と「多様性」を持つものになるべきではないかと広井氏は主張する。
ここで「有限性」というのは、有限な資源をどのように利用していくかという視点であり、「多様性」とは、お互いの違いを認識しそれを乗り越えていくための、ローカルからグローバルに発展する考え方である。
同時にコミュニティを巡る課題について、
1、量的拡大から質的深化(趣味や教養といった質的深化)
2、労働から非貨幣的価値感覚(社会保障やエコロジー)
3、日本社会における「独立した個人のつながり」の確立(都市型コミュニティの確立)
という三点を提示して締めくくっている。
これらの提案に対しては明るい印象を受けた。ただ難しいのは、「質的深化」「社会保障」といったものが資本主義ないし貨幣的価値観と相反する性格を持つ中で、それらをどのように「ポスト資本主義」として融和させるかということだろう。本書ではその可能性という所までは言及しない。
ここでは新しい価値原理と、それに即したコミュニティのあり方ということについてのみ記載したが、本書はその他に「都市・市民」「社会計画・福祉国家」「スットク・フロー」「現代の病・ケア」「独我論」など多様な内容が展開される。
社会やコミュニティについて一歩深く考えることができる良書。
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日本におけるコミュニティのあり方、というのは2010年現在、ある意味でとてもホットな話題である。
ちょっと厚めの新書一冊によくこれだけ色々なものを詰め込んだと思える浩瀚な論であり、参考になる視点が様々にあった。
特に、筆者の言う『福祉地理学』は今後重要さを増す思考法であろう。どのような地域においても一律・普遍的な福祉を考えるのではなく、地域の実態に合わせた施策を。
その実現のために官・民のみならず「公共」の役割を拡大すること。(日本社会においては「公」の位置づけが曖昧であるとは、他の分野、他の論者も多く指摘するところではある)
また、街づくりにおいてアメリカをモデルとしたために、自動車中心の都市が多くなったことについても指摘がある。人が歩き回れる程度の町、というのは高齢化を踏まえたうえで必要な視点であろう。
Posted by ブクログ
大学生のとき以来の広井先生。今も精力的に色々書いてる先生ですが、この本は先生の中心テーマというか関心の盛合わせ基本テキストという感じがしますね。農村型と都市型、都市論や地域に根付いた福祉のあり方など面白く読みました。日本のコミュニティの文脈を語るのに独我論まで持ち出したのはどうかと思いましたが。地球の環境上の限界という制約こそが先生のいう普遍的な価値規範になるのか、あるいはよりローカルなレベルでの価値が成り立ちうるのか。そこが「定常型」という社会のあり方が可能かどうかの分水嶺なのでしょうか。
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科学、宗教、人類史から各国の政策、自治体アンケートまで幅広い内容で、時間~空間、ソフト~ハードと視点が切り替わりついていくのが大変だった。
日本の経済や社会に関する本は、同じようなことを違う切り口で述べていることに気づく。
高度経済成長期の功罪とか急激な都市化、そして歴史的に普遍的原理が不存在であること。経済や社会保障、生き方などに価値観の転換が求められていることなど、この本でより大きな視点から再確認できた。
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第二部は”社会システム”という切り口からコミュニティを問い直していく章でした。主に都市計画や福祉政策の歴史的展開の振り返りや、社会システムの国際比較を通して、現在のコミュニティや公共を分析していくというテーマです。
具体的には、第一部の視座に加え、「公-共-私の役割分担/力点の相違」「社会システムをインフォーマルな形で支えるもの」「土地の公共性の変化」「フロー/ストックからみた公平性」「住宅政策」「コミュニティの世代的継承性」などの様々な視点から分析をし、関連付けをしていました。
一番印象に残ったことは、ある地域のコミュニティを分析するためには、社会システムという様々な視点からも詳しく、詳しく分析する必要があるなぁということです。 そのためにも、他の地域の歴史や福祉/都市政策と比較するための知識・比較の軸を養っておかなければいけません,,,!
まずは、各地方自治体の5カ年地域福祉計画などで、何が語られているか知るところからでしょうか。 今まであまり興味をもって読もうという気持ちにならなくなった行政の計画書や報告書が気になってきました。
現状の地域コミュニティを「地域コミュニティ再構築のチャンス!」と捉え未来を創っていくためにも、現在の地域コミュニティがどのように生まれているか、勉強していきたいと思います!
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トマ・ピケティ「21世紀の資本」が売れに売れている2015年新春というタイミングでこの本を開きました。そのベストセラーにはまだ手をつけていませんが本書は「フローからストックへ」という社会の変化を先駆けて提示しているように思いました。もちろんエコノミーとコミュニティと目指すベクトルは違っているのですが…。基本にある「公‐共‐私」という社会の骨格に対するまなざしがとても「優しく」感じました。それは最終章で著者自身のライフテーマになっているくだりで裏打ちされました。はっきりしませんが自分のこれからのヒントを与えてくれる読書でした。
Posted by ブクログ
戦後の日本社会とは、「農村から都市への人口大移動の歴史」であった。都市に移った日本人は都市的な関係性を築いていくかわりに「(核)家族」という、閉鎖性の強いコミュニティをつくった。これは家族の利益を追究することが、個人のパイの取り分の増大にもつながるという意味で一定の好循環を作っていた。しかし、経済が成熟化し、そうした好循環の前提が崩れるとともに、家族のあり方が流動化・多様化する。それはかえって個人の孤立を招き、「生きづらい」社会や関係性を生み出した。
このように社会的紐帯がゆるんでいくことは、人々が個人個人でしたいことをして生きるという理想を実現し始める反面、イエやムラなど前近代に起源がありながら、経済成長を支えるなどした社会的準拠枠の喪失を意味する。
そのような状況下、新たなコミュニティ作りが模索される。そこにはどのような解決策が存在するのか?
大学の講義と卒論にて使用。
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人のつながりの形と、地域社会の課題をつなげて考えている一冊で、複雑化している問題の各論について考えるのと同時に全体感としての方向性をどっちに向けていくべきなのかという部分を考える助けになる本だなと思いました。
道に迷って迷って「あ、こことつながってたんだ」って思う瞬間と同じような、この問題とこの問題はこうつなげるとうまくいくのでは、っていう瞬間が読んでいて何度かあって、自分でも実践できそうなことは取り組んでってみようと思っています。^^
Posted by ブクログ
自治体はしばしば株式会社に例えられる。実働部隊たる行政職員が社員であり、納税者たる住民が株主であると。
実情を鑑みれば、確かにこの例えは自治体のある側面を捉えているといえると思う。……が、俺は以前からこの例えに違和感をもっていた。どこか住民を客体化しているような気がして。
本書の著者も「(略)市民は“株主”に対応するともいえるが、見方を変えれば、市民は、その人が住んでいる「○○市」という団体の“社員”ともいえるかもしれない」(p53)と述べている。専門の学者先生が同じように考えていることが単純にうれしかった。
・高齢者=地域との関わりが強い人々、すなわち、高齢化社会=そうした人々が増える時代、という議論
・福祉に都市計画を関連させるという視座
・ストック(資産)の格差と社会保障の関係
など、中盤では実務的な示唆に富んだ議論が盛りだくさんで興味深かった。
終わりの方ではややアカデミックな議論を展開し、今後必要とされるであろう思想の、著者なりの方向性を控えめに示している。
これまでの人類の歴史がそうであったように、社会のパラダイムが大きく変革するときに必要とされる新しい思想が、現代は欠如しているという(現代は資本主義が飽和した時代で、新しい思想が求められているという文脈)。
このような時代に必要とされるのは、「有限性」(限られた資源の中で生きる人間をどのように位置づけるか)と「多様性」(古代から重視されてきた「普遍性」ではなく、むしろ、異なる歴史・風土・文化をもった集団をいかに承認し共存するか)をもった思想だという。
抽象的だし、なんとなく優等生的だけど、このさき現代思想について考えるとき、ここに立ち返って評価するといいかもしれない。
Posted by ブクログ
学術論文のようでちょっと難しい内容ではあるけど
コミュニティがこれからの社会でどんな役割を果たすのか
いま、私たちの社会は歴史的にどの地点にあるのか
分かりやすく解説してくれている
少なくとも日本について言えば、かつての成長型の社会、
食べ物やサービスなどのモノが増えることを大切に
してきた時代とは変わって
良い食べ物、サービスの質など、モノの総量ではなく
そこに幸福感などを求める時代になってきたのではないか
だから、「シェア」なのだ 所有ではなく、共有なのだ
一度読んだだけではすべてを理解できないけれど
これからのコミュニティや社会を考えていくうえで
指針を示してくれる一冊だと思う
Posted by ブクログ
テーマは『つながり』。
日本社会の各都市で起きている孤立問題から日本を覆う閉塞感、その打破のための普遍的原理追求を世界レベルの視点から模索しています。
もっさ抽象的ですが、今の日本には以前の高度成長期のような普遍原理(『追い付け追い越せ!』)が無くなり、カイシャという小さなコミュニティの中で個人は生きている。
排他的で余所者を受け入れない体質(ウチとソトの峻別)、しかし日本の都市計画ではそれが仇となり街の一体感や調和、コンセプトが見えない。乱雑した街並みになっている。
世界の都市(特に西欧)と比して目も当てられない凄惨な姿になっている。
西欧を倣って公有地を有効活用することが鍵と主張する。
特に住宅問題として、空き地の再開発(公営住宅)を通じて若年層の流出阻止及び流入を図り、ハード・ソフト共にコミュニティを再構築する機会と述べる。
普遍的原理については、紀元前5世紀に各地で隆盛した諸宗教がリージョナルレベルで浸透、いずれ来る諸原理の衝突にうまく折り合いを付け、価値観の多様性及び深化を遂げて現在に至る…。
とまぁ世界レベルから日本の地方都市レベルまで包括して『つながり』を主軸にして述べてますが、個人的に言えば同著『定常型社会』の衝撃の方が忘れられません。
次の時代は時間そのものを消費する社会になるという予言的文章には説得力があり、斬新な発想に驚愕しました。
またコミュニティについて、結局日本に無い普遍的原理の構築には社会心理学の最近の研究が目覚ましいほど発達していて、彼の問題提起を一歩踏み込んだ研究がなされています(社会心理学の山岸俊男教授や対人ネットワーク研究の増田直紀氏、また昨年亡くなった土居健郎著『「甘え」の構造』など)。
抽象レベルでは僕が今まで思っていたことを文章にしただけですが(過言です)、上記で紹介した本を併せて読むことで未来社会のビジョンが見えてくる気がします。
興味のある人は読んでみて下さい。
最後に…、この本は優れていると思います(実際、平成20年度大佛次郎論壇賞を受賞しています)が、もう一歩突っ込んだ内容にしてほしいと、期待をかけて星3つにします(笑)
Posted by ブクログ
本書のみでの論旨の理解は難しいのかもしれない。理解不足ながら、まさに東京郊外に住み、現実発生している郊外コミュニティーの課題と合わせて読むとき、視点が整理されてくる。東京郊外における高齢化問題、コミュニティーとしての団地再生の課題、ロードサイドビジネスを中心とする街作りのあり方など多くの問題の方向性を示してくれる。
Posted by ブクログ
「私」の領域(市場)でも「公」の領域(政府)でもない、「共」の領域である「コミュニティ」からの新しい社会作りを提案した本。内容は社会、経済、福祉など多岐に渡り、この第三の領域を発展させることで諸問題を解決しようというものになっている。
この本でいうコミュニティとは、「メンバーの帰属意識やメンバー間の連帯、相互扶助を前提とする社会と個人の間に属する中間的集団」とのことである。
人間社会の消費形態は、物質の消費→エネルギーの消費→情報の消費、と変遷してきたが、現代は量的な情報の消費から、質的で内面的な充実を求める「時間の消費」の時代であるとされる。
その中で、人々は自然、公共性、スピリチュアリティなどを追求するようになり、NPOや社会起業家の活動が目立ち、神社などが見直されるようになった。
「時間の消費」の時代である現代では「地域」が見直されている。充実した時間を自分の所属する地域(コミュニティ)で過ごそうとする傾向である。
そこで著者はコミュニティの中心を福祉、医療施設、自然関係、大学などに置く「福祉地理学」が提唱している。以前なら日本のムラ社会のしがらみの代表例として扱われていた自治会・町内会の再評価もなされている。
これまで私も、人々が緩やかに所属できるコミュニティを作ることで、分断された個人の立ち直りや相互扶助、社会的ノウハウの共有が図れ、新たな発展に繋がるのではと朧気ながらも考えていたので、大いに参考になった一冊。
Posted by ブクログ
西洋・中国の都市と日本の都市、街並み・景観、公・共・私、…様々な角度から論じている。コミュニティをめぐる思索の旅に出た気分に。
結論の出せないテーマなので、最後がムニャムニャですが、終盤流し読みにしても十分満足な内容だと思います。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
戦後の日本社会で人々は、会社や家族という「共同体」を築き、生活の基盤としてきた。
だが、そうした「関係性」のあり方を可能にした経済成長の時代が終わるとともに、個人の社会的孤立は深刻化している。
「個人」がしっかりと独立しつつ、いかにして新たなコミュニティを創造するか―この問いの探究こそが、わが国の未来そして地球社会の今後を展望するうえでの中心的課題となろう。
本書は、都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケア、科学、公共政策などの多様な観点から、新たな「つながり」の形を掘り下げる大胆な試みである。
[ 目次 ]
コミュニティへの問い
第1部 視座(都市・城壁・市民―都市とコミュニティ;コミュニティの中心―空間とコミュニティ;ローカルからの出発―グローバル化とコミュニティ)
第2部 社会システム(都市計画と福祉国家―土地/公共性とコミュニティ;ストックをめぐる社会保障―資本主義/社会主義とコミュニティ)
第3部 原理(ケアとしての科学―科学とコミュニティ;独我論を超えて)
地球倫理の可能性―コミュニティと現代
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
取り扱われているテーマが広範で、私には少し難解。
情報系の本ではなかった様だ。
アンジェラアキの「手紙」に何かを感じるという共通点は、著者と私が同年代だからなのかも。
Posted by ブクログ
先生に勧められた本でしたが、なかなかに抽象的だったのであまり自分の中で消化しきれませんでした。
*印象に残ったところ
P110「ある地域に不足しているものが、ほかの地域では過剰に存在したりする」
理由は「これまで日本をユニットとして考えてきたこと」「時間軸に沿って問題が改善・進歩していくとの発想が強かったこと」
空間的な解決、つまり場所を変えることで物事が改善するということがありうる。
*めも[都市計画]
地域の計画の大枠を規定した非拘束的地域計画=Fプラン
建物の細部を規制する拘束的地区計画=Bプラン
これらの二層制の土地利用計画
Posted by ブクログ
タイトルそのままで、コミュニティーとは何か?必要なのか?どうして今重要なのか?を語る一冊。
キーワードの1つである”定常化社会”すなわち成熟した経済社会の本質的な人間の価値の見直しと、そこにこそ本質的な価値創造性がある。本来、いずれの社会であっても、本質的な人間としての社会的価値創造が在るべきであるが、定常化社会であるからこそ、そこに気づかねばならなくなったという逆説的な現在なのかもしれない。
歴史的な社会構造の変化は、パイの分配への競争に向かい、そしてそこからの脱出という繰り返しがある。簡単に言えば、モノの消費から時間・空間の体感、言い換えると、欲望の見せびらかしから幸せという内的な感覚へと向かうということである。
社会現象的に言えば、都市化と過疎化の分離から引き戻しという現象が起きるともいえよう。
ところで、コミュニティーとは、外部に開いた性質のモノ。つまり、外部と接するときの1つの文化を持った固まり。
そして、外部とのつながりの交わりに文化の混乱が起こり、そこに創造性が生まれる。ということは、おっきく言うと、都市と田舎という2つの大きな塊となっている今の日本で、その2つの交わりを起こすところに創造性が起こるというともいえる。
しかし、ここでもう1つ大切なことは、都市と田舎という間にある傾斜的な意識である。創造性は、補完的な関係、つまり、相互に尊重し合うフラットな関係の間で起こるのであって、いずれかがいずれかを支配するような意識(簡単に言えば、都会が田舎を営利的に活用するといった感覚)では、永続的で本質的な創造は起きないと思うのである。
人は一人では生きていけないという。というが、果たして本質的にそれを実感しているかというと、その感覚は希薄なように感じる。というのは、当たり前に自身の周りの生活が豊かであるから。そして、当たり前に親がいて、20才とは言わないまでも、ほとんどの私たちは、生まれてからしばらくは生きることを全力に外部から守られる当然があるから。無くなって初めて知るということである。
今この定常化社会の最先端である日本に自身が身を置くことを貴重なタイミングとして、この先の社会がまた新たなモノの消費から時間・空間の体感を繰り返すスタート地点とするのではなく、その共生となる社会構造を創造することを始めたいと思うのである。
すなわち、ここで生きたい。そして、子供の子供にもここで生きてほしいと誇れて生きていけると安心できるところ、社会にするということである。
Posted by ブクログ
会社や家族といった共同体が変化しつつある中、これからの日本社会にはどのようなコミュニティが求められるのかを論じている。
著者は本書の中で「持続可能な福祉都市」というものを提唱している。日本の都市(特に地方都市)は車での移動が基本なので、高齢者や障害者が徒歩中心の生活を送るのに適していない。これは車社会であるアメリカでも同じ。最近は若い人でも車を持たない人が増えているから、車中心の社会を見直してもいいかも知れない。
いいことは言っているんだけど、抽象的な部分が少なくないので、少し難しい印象を受けた。ある程度社会学の知識があった方が読めるかも。
Posted by ブクログ
現代社会での”コミュニティ”のあり方を問う一冊。「コミュニティ」の分類や定義、現代社会においてなぜコミュニティを重視すべきなのか、といった論点整理は参考になった。
ただ、どうにも読みづらくて飛ばし飛ばし読んだので、(たぶん)コアとなる”定常化”の概念が理解しきれてない。誰かと輪講しながら読みたい・・
Posted by ブクログ
全体としてやや複雑で斜め読みでは理解するのが難しかったが、第5章「ストックをめぐる社会保障」において、経済が成熟し定常化した現在の社会では公有地を福祉政策、コミュニティ政策、都市政策の有効なツールとして積極的に活用していくことが重要であること、相続税、土地課税、環境税等によりストックの再分配を図り人生前半の社会保障の財源として活用すること、などが提案されており興味深く読んだ。
Posted by ブクログ
興味があり、購入。
読み進めるには少ししんどい印象。
しかし、内容自体は最近自分の考えていた内容に大いに関係していると共に、これからの課題であると感じていたことであった。
コミュニティ形成に大切な要素が今の現状足りてないと感じた。
Posted by ブクログ
コミュニティのあり方やその再生については多く議論されており、地方自治体では商店街や公民館、学校などを中心としてコミュニティを形成する試みがなされている。コミュニティが重要視されるのは、それが人が生活するうえでの基盤になるものと考えられているからであり、経済成長に頼らない豊かな生活を送る上での基盤になるものであると認識されているからである。
しかし、マンションの住人はマンションを単位としたコミュニティという意識は薄く、むしろコミュニティは排他性や同調圧力を生むためにコミュニティというしがらみからの開放が進歩であるとされてきたという歴史がある。文明の発展とは、コミュニティという集団によってではなく、個人がバラバラに生活できる社会が「進歩」であると考えられてきた。このような理由から、コミュニティという言葉に対して批判的な立場をとる人も存在する。
本書は、都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケアなどさまざまな観点から、人と人との新たなつながりの形を模索するものであるが、「コミュニティ(共同体)」をより具体的に分析し、感情的次元の「農村型コミュニティ」と規範的・理念的なルールによる「都市型コミュニティ」とに分類している。
人の移動が少なく、濃密な関係性が築かれるのが「農村型コミュニティ」であり、コミュニティという語についての一般的な認識がこれにあたると言える。そして、生産のために個々が集う場所が「都市型コミュミティ」であり、この外部に開かれている流動的な集団を、西欧では宗教が、日本では経済成長という理念が一つの集合として束ねていた。
明治以降、日本は欧米列強の進出に直面する中で、「文明の乗り換え」を行った、しかし価値原理(キリスト教)は受容せず、仏教・儒教の価値原理はほとんどを捨象した。この価値原理の喪失を経済成長という信奉が埋めたと言える。
そして経済成長が頭打ちになった現在、個々をまとめるコミュニティの意識が希薄になっていると言われているが、推論すると本書で言うところの「都市型コミュニティ」が薄れているのであり、重要ということになる。
しかし、ここで議論は転回し、社会保障の話に移る。制度としての保障だけにとどまらず、心のケアなども含めた保障で、ケアを施す場としてコミュニティが重要であるという内容であり、このコミュニティとは濃密な関係を受容する「農村型コミュニティ」、感情的次元による「つながり」の場についてである。
さらに、社会格差に対する保障にも触れているが、興味深いのは所得に関するフローの格差ではなく、ストック(資産)の格差が、日本の固定的な階層の中での世代交代により蓄積され、より拡大しているという議論である。このストックに対する保障という観点から都市政策による社会保障という考えが
導きだされている。これまでの都市政策は景気刺激策として行われてきた。そして福祉政策は担当省が異なるということもあり、制度やサービスが中心であった。
著者の提言は、NPOや地域コミュニティなどの「公」的な領域の発展と、所得の再配分や土地所有のあり方などの公的部門の強化が重要であるとし、大きく括れば社会保障のより一層の充実といえる。