あらすじ
東京大学の沼野充義(ロシア文学)教授と最前線で活躍する作家・学者たちが「新しい世界文学」について熱く語り合う! 世界文学とは、もはや読むべき価値のある古典作品のリストではなく、言語の別を超えたまったく新しい文学のありようなのだ。世界文学を通じてわれわれはどう生きるべきか、現在到達しうる最深の知見がちりばめられた対談集。ゲスト:リービ英雄、平野啓一郎、ロバートキャンベル、飯野友幸、亀山郁夫。
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Posted by ブクログ
『世界は文学でできている』
沼野充義
つまり、世界文学というのは、私が、あなたが何をどう読むのかだということなんです。突き放した言い方に聞こえるかもしれませんが、最初から与えられたリストに従って「これだけは読まなきゃ」と時部を縛りながら読むのではなく、読みたいものを夢中になって読んでいるうちに、次に読みたい本が出てきて、その結果、自分の世界が世界に向かって広がっていく、というのが本当は一番いいのでしょう。(p99)
★リストというのは目安としてあることを忘れてはならない。小学生のころ、無為に図書室で選んでいたことを思い出す。
余暇自体は増えていないにもかかわらず、エンターテイメントのジャンルは多様化しましたから、限られた時間の壮絶な奪い合いが始まって、結果、本の売上げも、テレビの視聴率も落ちることになった。読書は今、そのサバイバルの渦中に投げ込まれています。(p108)
★なるほど。現在は多様化が生んだ状況。
……純文学畑の人たちは、僕も含めて、文学はもうちょっと人間が生きる上で大きな影響を及ぼすものだ。単なる束の間の興奮ではないということを言ってきたんだと思います。(p136)
★つまりは、そういうことだろう。そう感じられるかは私たちにとって大切なことだろう。
つまり、「物語」(ストーリー)は、神話や昔話などに典型的に現れますが、さまざまな事件を生起する順番にアレンジした語りであるのに対して、「プロット」は因果関係などによってその事件を並べ替え、再構成したもので、小説家によって再構成されたプロットを読む読者は、記憶力と知性を要求されるようになる。(p138)
★難しい文章。例えば推理小説。死体から始まる。そして犯人へたどり着く。書かれる順番としては逆である。
文学というのは自分で読んで、感じて、経験して、分析して、そこから何かを得ていくという「読む」プロセスが一番基本です。だからインターネットで情報が集まるのが速くなったからといって、パソコンが自分の代わりに読んで、感じてくれるわけではない。どんな便利なメディアが出てきたところで、それを使うのは自分の頭だし、本を読むのは自分です。(p151)
★インターネットはすぐ情報を手にできる。だからもう情報の価値は昔より変わっているのではないか。今求められるのは分析したり、自分で考える能力だ。
そもそも彼らの小説は、宗教文学と呼んでもいいくらいでしょう。(p327)
★ドストエフスキーとトルストイについて。つまりキリスト教。
たとえば「いじめ」を語るにしても、いじめられる側だけに理屈があるのではなく、いじめる側にも理屈がある、という善悪の相対化と言いますか、そういった視点が出ている。(p333)
★『ヘヴン』について。善悪の相対性がこの作品にも書かれている。
『許されざる者』というのは不思議なことに、ドストエフスキー的なものとトルストイ的なものが混在している小説なんですよ。非常に贅沢な物語空間になっている。(p338)
……あれほどのことがったにもかかわらず、まあ、ほとんど普段どおりの平穏な日常を他の大部分の東京の住人と同じように送ってきたということを意味する。
しかし、あれほどのことがあったのに、文学は前と同じでいいのだろうか。世界文学の読み方も変わるべきなのだろうか。それとも変わるべきではないのだろうか。(p360)
★それは私の心にもよぎった感覚だ。結論としてイエスともノーとも分からないと述べる。
それはおそらく誤読ではなく、現代や状況を超えて生き、新たな力さえも獲得する文学の普遍的な力を示すものではないだろうか。(p370)
★震災前に書かれたものも、震災後にはその事を語っているように思える。それは誤読ではなく、「文学の普遍的な力」と述べている。なるほど。