あらすじ
死は生の終着ではない、生への「出発」である
死とは何か?虚無(終着)である―
この“定説”が神なき現代社会を縛りつけている。いま、私たちが行うべきは、死の問い方を「何か」から「何でありうるか」と修正し、一人一人が「死すべき私」を起点として自らの生を定義づけることだ。プラトン以来の人生観の一八〇度転回を求める“逆転の思考”を提示する。
第一章 医学は死を背負いきれない
第二章 イエとムラが支えた死生観
第三章 合理主義がニヒリズムを生んだ
第四章 人間を動物化させる資本主義
第五章 「延命」の果てにある「虚無」
第六章 死は「出発」である
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Posted by ブクログ
「セカチュー」も好きだったし「ジョンレノン・・・」も「満月の夜・・・」も「きみの知らないところ・・・」もよかった。エッセイ「DNAに負けない・・・」はあたしのバイブル的著書だ。それらに比べて本著は片山思想のさらなる深みが加わった大人の内容。かつて全面に出していた「恋愛至上主義」は非常に薄くなっている。「死」を通して今の世界、特に資本主義というシステムが支配する世界を解釈し、話題性のある原発や戦争に対して説得力のある論を展開。もともと片山先生の思想に同調していたあたしでもさらなる納得を得られた。取り返しのつかないことが完成しつつある。確かにやむをえないことではある。やらざるをえない。しかし納得はすべきではない。それも薄気味悪いキレイ事や開き直りで正当化するような連中が得するようなことに貢献するべきではない。せめてそれだけは避けたい。どんなことであれ、だれであれ、自分の考えを裏付けてくれる思想は心強い。反論はいくらでも受け付ける。しかし説得力のある反論というものを聞いたことがない。あたしが頑固?そんなことはない。自慢ではないがあたしはちょっとした説得で寝返るような人間だ。そんなあたしすら説得できるような反論を聞いたことがないのだ。自分の考えを裏付けるにしろ破壊するにしろ、多くの思想に接する以外に方法はない。どんな言論でもそれを阻害することは人間の存在を破壊するほどの罪だとつくづく思う。