あらすじ
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口絵(軍艦マンション、龍の砦、糸魚川善導寺、雪国の農家)
はじめに
第1章 もう一人のワタナベ —渡辺邦夫の回想
第2章 誕生、そして出発(1923~1947年)
軍艦が見えた海
建築との出会い
第3章 「久米建築事務所」時代(1947~1954年)
一番生意気な人
航空母艦「新潟労災病院」(1958年完成)
第4章 「早稲田大学 吉阪研究室」時代(1955~1957年)
地球人 —吉阪隆正
運命の邂逅と吉阪研究室
真友 —宮谷重雄
25mmの鉄筋を富士山麓にぶち込む男 —重村力
ターニングポイント「ヴィラ・クゥクゥ」(1957年)
第5章 「渡邊建築事務所」前半期(1958~1969年)
混沌こそエネルギー「奥多摩四部作」
仮面の中の凶暴性 —相田武文
飛龍の寺「糸魚川善導寺」(1961年)
逃げ出した学生 —内田啓一郎
大都会の砦「渡邊建築事務所(自邸)」(1962年)
建搦みの家「十里木の山荘(富士門田邸)」(1964年)
遺跡「井籠の家(宮田邸)」(1966年)
伝統を継ぐ者 —池原義郎
五智の砦「雪国の農家(岩片邸)」(1967年)
コルビュジエを超えろ、「龍の砦(嶺崎邸)」(1968年)
棺を蓋いて事定まる —栗生明
釈迦三尊の教え「最高裁判所庁舎」案(1969年)
奇妙な友情 —森義純
第6章 「渡邊建築事務所」後半期(1970~1983年)
鉄の軍艦「第三スカイビル」(1970年)
ハイテク建築 —棚橋廣夫
孤高の塔「第五スカイビル」(1971年)
能の精神「空中配置の家(山崎邸)」(1971年)
独善的な理想家 —楜沢成明
螺旋の形状「ポンピドゥー・センター」案(1971年)
潜水艦「斜めの家(田中邸)」(1976年)
鬼と仏の顔 —大橋秀三
異端の翼、香港「ザ・ピーク」案
第7章 狂気の建築家
「鬼軍曹」と呼んだ浦辺鎮太郎
渡邊洋治と黒澤明
渡邊洋治の教育「毒注射」 —小野正博
鬼畜米英 —古市徹雄
早稲田大学専門学校
学生のための海外建築ツアー
造ることへのおそれ(渡邊洋治の建築観)
龍の造形
第八章 没後から現在(1983~2025年)
おわりに
付章 伯父、渡邊洋治について —佐藤武志
主な参考文献・資料
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
建築界からは不当なほど低い扱いを受けながらも、クリエイターやサブカル界隈からは支持を集める昭和の建築家、渡邉洋治(1923~1983年)の評伝&作品紹介です。
僕が建築学科の学生だった90年代は、この人の名前を一度も聞いたことがなかったし、代表作「軍艦マンション」も全然有名ではなかったです。
それほど忘れられた存在で、評価もされていなかった人です。
しかし、知れば知るほど稀有な才能の建築家で、なぜ不当に貶められているのか、本当に不思議に思いました(多少の再評価はされているようですが、それでも日本建築界の外部からの影響が大きいようですし)…内藤廣の言う通りですね。
そもそもこの本も、建築施工の人が書いたというのが如何にもという感じ。
「異端」と呼ばれる建築家はたまにいるけど(ファッション異端も多そうだけど)、「狂気」とまで呼ばれたのは渡邉洋治だけですね。
でも、実際には狂ってなんかいないし、それだけ誰も彼のことを理解できなかったんでしょう。
彼を評価した藤森照信でさえも、あるいは。
…しかし、本当に日本の建築界って狭量で、しょうもないなあと感じました。