あらすじ
ホームレスが急増し、年越しのテント村が作られた2008年12月。朝日新聞の歌壇欄に彗星のごとく現れ、注目を集めながら約9カ月で消息を絶った「ホームレス歌人」がいた。歌壇欄や投書欄には共感や応援の投稿が相次ぎ、新聞記事やテレビでも報じられたことから広く知られた「ホームレス歌人・公田耕一」とは、いったいどんな人物だったのか。そして突然に消息を絶った後、どうなったのか……。 「あの冬」の、象徴的な存在だった「ホームレス歌人」をめぐる感動の探索物語。
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2008年12月、「朝日歌壇」欄にあらわれ、翌年9月の入選作を最後に姿を消した、ホームレスと名乗る公田耕一さん。彼はどんな人だったのか、その後どうしているのかを追うなかで、ホームレスであること、失うこと、表現することなどを考える、得るものの多い一冊だった。
刺さったのは、「目の前に手立てがなくなれば、生存そのものをあきらめる」人たちがいる、ということ。そんなになるまでに心折れる人生を生きた、生きさせられたのだ、ということ。
はっとしたのは、表現することが人を救うということ。自分と向き合うことで、人としての尊厳を取り戻すということ。
母も短歌を詠む人なのだ。彼の短歌をどう読んでいただろう。
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謎のホームレス歌人、公田耕一氏の正体を突き止めるべく、ドヤ街で取材をしたドキュメンタリー。
取材の最中で出会った人たちや出来事の話が、心を打ちました。
アメリカで殺人を犯し終身刑で牢屋に入っている歌人、郷隼人さんや、その郷隼人氏の短歌を教材につかって、ドヤ街で識字教育をした大沢敏郎先生、そして、政治家を目指していたがうまく行かず、ホームレス生活をしている田上等さん。
人生波乱万丈なんてもんじゃない。
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ホームレス歌人をリアルで見守っていたものの、
半分冗談かと思っていたが、やはり「連絡求む」の記事で
急速に惹かれるようになりました。
「伊達直人公田耕一その人を知りたくもあり知りたくもなし」
自分は知りたかった。あなたがどんな風に生きてきたかを。
あなたはいつも自分の心のどこかにいる・・・
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(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ (ホームレス)公田耕一
二〇〇八年の師走、住所欄に「ホームレス」と書かれた歌が朝日新聞の歌壇に載った。「柔らかい時計」は、ダリの描いたひしゃげてしまった時間感覚か。新聞は「連絡求ム」と呼びかけたが、今は連絡をとる勇気がないとのこと。翌年九月までに三十六首が紙面を飾り、そののち名前は消えた。「これは間違いなく共感を集める」と彼を探したが、空振りに終わったマスコミもあったようだ。
著者は今年五十歳で、十年あまり続けたライター稼業の廃業を考えつつ、公田氏の行方を追う。ドヤ街の施設で、「クデンです」と名乗る電話を受けた職員に出会うも、消息はとだえ、本拾いで日銭を稼ぐ男に目をつけるがこれも別人。アメリカにいる終身刑受刑者で歌壇の常連入選者、郷隼人にも手紙を出す。「生きにくい人」への想いがつまっている。
(週刊朝日 2011/05/27 西條博子)
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私は常々、言葉で表現することで絡まった自分の想いを整理し、そのことが自分にとっていかに重要かと実感していますが、著者はもう少し先に行って、どんな苛酷な環境にいても、言葉で表現することができれば、人は自分自身のまま生きていけるのではないかと述べています。
他人に話すことに長けている人、絵で自分を表現できる人など人それぞれ得意な表現手段があるかと思いますが、私にとっては、それが言葉なのではないかと思います。
言葉で表現できるうちは、自分が保てるのではないかと感じました。
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どんな人なんだろう?知りたくて一気読み
この寄る辺なさは、学生時代聴いたトムウェイツにも感じたな [親不孝通りと言へど親はなく親にもなれずただ立ち尽くす]
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毎週月曜日の朝日新聞朝刊に、読者が投稿した短歌と俳句が掲載されます。私は短歌も俳句も全く素養はありませんが、何年か前、週明けの辛い出勤の慰めを求めて読み始めて以来、いまでは習慣のように目を通しています。
その「朝日歌壇」に、2008年の暮れから約9カ月にわたってたびたび採用されたのが、本書の主人公「公田耕一(ホームレス)」です。住所として記される(ホームレス)というカッコ書きが異彩を放つことに加え、印象に残る質の高い作品が何度も入選したため、多くの読者の目にとまったのは自然の成り行きでした。
ホームレス歌人への想いを歌った歌が投稿され始め、担当記者は住所を教えてほしいと紙面で呼びかけ(採用の薄謝であるハガキ10枚が何回分もたまっている)、ついには社会面でも記事になりました。私も大いに関心をもって成り行きを見守ったものです。
本書は、そんなホームレス歌人を横浜寿町に探したライターによる取材記録です。結局、実在の人物であることは確認できたものの、本人を探し当てることはできず(「こうだ」か「くでん」か「きみた」かも不明)、幻のホームレス歌人は幻のまま終わります。けれども本書は、ドヤ街で暮らす人々の姿を描くことで、公田氏の歌に多くの人が共感した日本の現実(自分もいつ同じ境遇に置かれるかもしれないという不安)を見事に浮き彫りにしたことによって、また、ライターとしての行き詰まりに向き合った著者自身の真摯な内省の記述によって、十分に価値のある一冊として成立しています。
公田氏は賢明にも、移り気な世間の慰み者になることを避けて姿を隠し通したと思われますが、氏の人生を救ったであろう「表現すること」はどこかで続けていてほしいと願わずにはいられません。
朝日歌壇で異彩を放っている投稿者といえば、もうひとり、アメリカの刑務所に収監されている郷隼人氏がいます。こちらもしばらく作品が掲載されていないように思いますが、いまも歌を詠み続けておられるのか気になります。
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「(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」
(ホームレス)公田耕一の名で2008年の暮れに朝日新聞の歌壇欄に載った一つの短歌。その後も「公田耕一」は歌壇欄を飾ることになります。
短歌の知識も素養もない自分にはわかりませんが,その歌壇欄に自分の歌が載ることというのは相当難しいらしく,立て続けに掲載されたということ自体が驚きなのに,「ホームレス」という肩書きが読者の心を引き付けました。
しかし,初掲載から9ヵ月後,突然この歌人は消息を絶ちます。著者は,あるきっかけから,果たしてこの歌人は実在したのか,今どこで何をしているのかを探ることになります。
歌に出てきた言葉を手掛かりに,著者は,ドヤ街と呼ばれる横浜の寿町で,そこに暮らす人々,関係者から話を聞き,時には自ら路上宿泊を体験し,歌人の正体を探ろうとします。
この本は,ホームレス,生活保護の現状も描かれていますが,それがメインではなく,この歌人がどういった思いで短歌を詠んでいたのかを追跡していくことがテーマであったように思います。
孤独な状況の中で「短歌」という手段を通じて自己表現したホームレス歌人。著者は,この歌人を通じて表現するという行為の計り知れない力を知ることになりました。
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母は朝日歌壇の愛読者なので、「ホームレス歌人・公田耕一」のことも、アメリカの「獄中歌人・郷隼人」のことも会話に上っていた。今、あの冬を思い出してみる。著者は元新聞記者だが、今や不安定な生活だ。もう身近な問題として「ホームレス」がある。数ヶ月、横浜に居ると目される公田を探すルポ。
人はどんな境遇になっても「表現」することで人間であることの杭をうつことができることを知る。
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一時期、朝日新聞の歌壇で注視されていた1人のアマチュア歌人がいた。ホームレス歌人こと公田耕一。住所を記載するのが歌壇の規定であるにも関わらず、住所不定の彼が記した自身の居住地は(ホームレス)だった。
その特異な肩書きと、ホームレスとしての生活感あふれる歌が多くの人の注目を集め、彼についての歌を寄せる投稿者が現れるまでになった。朝日記者が「名乗り出て欲しい」と呼びかける記事を掲載し、歌壇愛読者のみならず、朝日新聞購読者の間にも、かなりよく知られる人物となった。
しかし、彼の歌が毎週のように掲載されるようになって9ヶ月、その投稿はピタリと止む。生きているのか、死んでしまったのか。公田耕一はどこから来て、どこへ行ったのか。その足跡を追ったルポが本書である。
著者は公田が住んでいたと思われる横浜のドヤ街で聞き込みをし、擬似ホームレス体験をし、公田の実像に迫ろうと試みる。
結局のところ、公田本人に会えたのかどうかは本書を読んでもらうとしよう。
しかし、本書の主眼は、公田その人よりも、公田を追う中で著者が出会った人々、また著者の胸中に生じていく思いの方だろう。丹念に綴られた、公田を追う「過程」を読んでいくと、「ホームレス歌人」がなぜ多くの人の琴線に触れたのか、様々に考えさせられる。
*本書中では、ドヤ街で識字教育に努めたという大沢敏郎、また、大物政治家のかつての盟友であった人物が印象に残った。
*自分も、公田登場前後から歌壇に目がいくようになった1人である。公田が一因であったことは間違いない。もう一つの原因は歌人夫婦の永田・河野夫妻(永田は朝日歌壇の選者でもあり、公田の作品も何首か選んでいるし、本書にも登場する)。
短歌とは、人生の1シーンを鮮やかに切り取るツールになりうるものであることは確かなのだろう。自分で詠める気はまったくしないのだが(^^;)、折に触れ、追っていきたい。
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その名を見なくなってからもうずいぶんになるのに、毎週月曜日の朝日歌壇を開くと、いまだに紙面に「(ホームレス)公田耕一」とあるのではないかとつい探してしまう。歌壇を読む習慣のある人なら、そんな人は結構いるのではないだろうか。
印象的な短歌を次々入選させ、反響を広げながらついに正体を明かさず、紙面から消えてしまった公田さんは今どうしているのだろう。著者の探索も結局は本人を捜し当てるには至らないのだが、それで良かったような、ほっとするような気持ちになる。著者自身もそう感じているようだ。
「百均の『赤いきつね』と迷いつつ月曜だけ買う朝日新聞」この歌は、朝日歌壇の担当者が公田さんに連絡してほしいと呼びかけた記事の中で紹介されていた。選外だったというこの歌が私は一番好きだ。表現せずにはいられない、そしてそれを誰かに受け止めてもらいたいという切ない思いが、つつましく静かに立ち上ってくるように思う。
公田さんの歌が毎週のように入選していた頃から、朝日歌壇をゆっくり読むのが月曜朝の習慣になった。正直に言うと、それ以前は素人の投稿歌なんて目を通す値打ちがあるとは思っていなかった。仲間内で張り合いながら頑張っているけど、売り物にはならない手芸サークルを見るような感じ、とでも言おうか。でもよく見るとこれがいい味わいなのである。プロが作ったものとはまた違うしみじみとした手触りがあってじーんとする。ああ、トシをとったんだなあと思う。そう思うのはそんなに悪いもんじゃない。
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いつものように、新聞を見ていたときにふっと朝日歌壇に目が行きました。
いつもなら、見もしないページ。
なのに、目が行ったのは野生のカン。
何だか、注目すべきことがありそうな気がする。
パーッと目を走らせて釘付けになったのが「ホームレス」という文字。
通常、投稿され選ばれた短歌とそれを作った人の住んでいる都道府県名または市町村名と名前が記載されています。
その住んでいる部分が「ホームレス」
へぇ、風流な家のない方もいるもんだ、とその時は思っただけで。
本当に、そう思っただけだったのですが。
気付けば毎週月曜日には朝日歌壇に目を走らせる習慣となってしまいまして。
新聞には、ホームレス歌人、公田耕一さんへの呼びかけまであったり、朝日歌壇に投稿している他の方の歌に公田さんが読まれたり、と何だか俄然にぎわってきたのですが・・・
突然、ぱたりと公田耕一さんの投稿がなくなってしまいました。
気になって、気になって、どうにかなりそうな時に出版されたのが、この本。
気になった人間は私だけではなく、この三山さんは気になりすぎて、横浜の寿町まで行ってしまい、この本を書き上げた人。
社会情勢的にも、派遣切り、派遣村など、こう世知辛い時だったので、共感を呼んだんだと思います。
結局、公田さんは発見できなかったのですが、発見できなくてよかったと思います。
ここで「私が公田です」と出てこられても・・・
東洲斎写楽のように、突然現れて、突然消えて、どんな人なのかも分からないままでいいのかもしれません。
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寿町、昔はほんとに怖い街だったけど、今はそんなになったんだ。関内の周りは浮浪者(って昔は呼んでた)たくさんいたもんなあ。どんな事情があって人と関わりたくないのか、わからないけど。ほっといてくれって人に救いの手を伸ばす人たちってすごいよなあ。私なら絶対嫌になる。
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ホームレス歌人、公田耕一(投稿用のペンネーム)、36首を。三山喬「ホームレス歌人のいた冬」、2011.3発行。①鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか ②パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる ③百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞 ④温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る ⑤一日を歩きて暮らすわが身には雨はしたたか無援にも降る
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9ヶ月の間、短歌を朝日新聞に投稿し続けた歌人、公田耕一。
住所はホームレス。
彼を探すべく、特定すべく筆者が取材を重ねる。
本当に探す必要があったのだろうか、
探さなければ、また投稿があったかもしれない。
それ以前に彼は本当にいたのだろうか、
公田耕一は一人なのだろうかなど、
いろいろ考えてしまった。
「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」
「日産をリストラになり流れ来たるブラジル人ととなりて眠る」
「温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る」
Posted by ブクログ
横浜のドヤ街の詳細なレポート……ではあるけれど、結局公田氏には出会えず。インテリなホームレスとして紹介されている田上氏(菅直人氏の旧友で、仲人もしてもらった間柄とか)は、その後色々なメディアに出て、社会復帰されたようですね。ネット上では田上氏=公田氏としている人もいますが、この本の後にそんな発表あったんでしょうか? ち、違いますよね……?
朝日歌壇の選歌風景が垣間見られたのは思わぬ収穫でした。
Posted by ブクログ
短歌にまつわる評論や歌人のエッセイ・歌集は、それが凝縮された感情を取り扱う言葉をめぐるものだから、こんなにも余韻が深いのだろうか。
自分自身の内面に向き合って、言葉をつむぎ表現するということによって、再確認されたり昇華されるものは確かにあるし、それが言葉の力であろう。生きることにとって表現とはなんと大きな意味を持っているのだろう。
個人的な生活から生まれることばが短歌となることで、全く別の生活を営む私の内面にも端的に飛び込んでひろがりをもってくる。紹介された作品のいくつかは、すっと私の中に入り込んできた。