あらすじ
人間には戦争せざるをえない攻撃衝動があるのではないかというアインシュタインの問いに答えた表題の書簡と、自己破壊的な衝動を分析した「喪とメランコリー」、そして自我、超自我、エスの三つの審級で構成した局所論から新しい欲動論を展開する『精神分析入門・続』の2講義ほかを収録。第一次世界大戦の衝撃をうけた精神分析理論の再構築の試み。
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Posted by ブクログ
序章「人はなぜ戦争をするのか」(1932年)
第一章「戦争と死に関する時評」(1915年)
第二章「喪とメランコリー」(1917年)
第三章「心的な人格の解明」(1933年)
第四章「不安と欲動の生」(1933年)
第一次戦争と国際連盟の失敗に衝撃を受けた西欧社会。国民の一部に過ぎない支配階級が通信を操作して国民を駆り立てる際、自らの生命を犠牲にしても闘おうとする力が生まれる理由とは。アインシュタインが考えたのは、人間は憎悪し破壊しようとする欲求があるのではないかという事であった。フロイトの答えは、アインシュタインの仮説を補強するものであった。
フロイトによると、人間の原初的に備わる欲動にはエロス(性的な欲動)とタナトス(死を望む欲動)が混在しているとする。死の欲動とは、破壊の欲動とも言い換えられるもので、自分に向かうマゾヒズムと外界に向かうサディズムに分けられる。タナトスはエロスが被さる事でマゾヒズム的な傾向が強まり、反対にエロスにタナトスが被さると外界への攻撃欲動が強まる。人間はマゾ的な自己破壊傾向から自らを守るために外界の他のものを破壊する必要があるかのようで、戦争は種の自己保存にあたる。
外界への破壊欲動を含め、種としての欲動には本来、善悪は無い。にもかかわらず、人間の原初的な欲動に対して、現代社会では文化的な「進歩」(法律を含めて)において厳しく管理し抑圧されることになる。それ自体は秩序を守るために必要である一方で、現代社会は破壊的な欲動としての人間の本質部分を考えることすらせず、文化的な成功を過大に評価し、更に道徳的な要求を高めるのである。しかし、文化に服属していても、動機が純粋か否かは外的な行動からは測れず、文化を支えているのは多くの「文化的な偽善者」であることを認めなければならない。
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白人同士はもう戦争をしないと思っていた西欧社会が直面した絶望と幻滅感を強く感じられる。国際関係の推薦図書として取り上げららないのが不思議だ。種として人間だけが行なう自殺、同種を殺しあう戦争。両者の関係を巧く説明しているように思える。また解説が素晴らしい。フロイトの考え方は非常に気に入った。
偽善者で保たれる文化や秩序の危うさ。引き上がった文化的期待値(西欧列強)に対し、無理して良い人ぶると(適応しようとすると)、内なる自己破壊傾向が加速する。人間でも国家でも変わらない。
文化、文明(エロスとタナトスのある配分)が極度に発達し、人間の本性(エロスとタナトスの配分)と乖離し始める世界では、共同体の自殺行為(又は自己保存のための外界への攻撃)が始まるのだろうか。
Posted by ブクログ
フロイトとアインシュタインで往復書簡をしていた際に
(当時ナチスが支配している戦争真っ只中あたり)
「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」
と当時50代のアインシュタインが70代のフロイトに問うわけですわ。
もちろん返答に困るんだけど
「文化の発展が反戦へ、そして平和主義になり戦争終焉へ向けることが出来る」という答え。
そんな精神分析学者のフロイトが書いた著書を更に分かりやすく解説した本。
と言っても小難しい話はちょっとなぁ…でもたまにはこんなのも読んでみるかと思いつつ読んでみた。
タイトル通り「人はなぜ戦争をするのか」って結構直球の疑問。
あぁまぁ確かにそうだよな、なんでだろ?
太古の昔から今現在まで戦争やテロ、内乱が世界各地で全然終わらないのは何で?という
当り前の疑問なのにそこまで考えたことが無かった。
例え絵にかいたようなどんなに正しい善人であっても
人間って攻撃する欲望や衝動って必ずあるってこと。
Posted by ブクログ
解説が確かに秀逸。
先に読んでおいて損はないです。
それでも、訳の仕方がいいせいなのか
解説を読まずしてもそんなにつっかかるところは
少ないですがね。
人という生き物は、
本当に不思議で、底知れなくて
自分という存在すら難しいな、
と感じます。
うつ病のそれは、また違った見方ができる、
という店で、すごく斬新でした。
それと同時に、ショッキングな部分も
出てきていましたがね。
でも、的を射ているな、と感じました。
私は一番、心的装置のところが
惹かれるものがありました。