あらすじ
19世紀ロシアの一裁判官が、「死」と向かい合う過程で味わう心理的葛藤を鋭く描いた「イワン・イリイチの死」。社会的地位のある地主貴族の主人公が、嫉妬がもとで妻を刺し殺す――作者の性と愛をめぐる長い葛藤が反映された「クロイツェル・ソナタ」。トルストイの文体が持っている「音とリズム」を日本語に移しかえ、近代小説への懐疑をくぐり抜けた後の新しい作風を端正な文体で再現したトルストイ後期中編2作。
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Posted by ブクログ
幸福の虚妄と言う点で文学の優れた業をみせている。裕福に暮らすロシアの中流階級層の人間が、世俗の欲望を追うこと意外に生きる意味を見出せない時、愛欲、嫉妬、憎悪といった利己心の中で、人間の「幸福」の条件を焼き滅ぼしてしまう、という内容。
Posted by ブクログ
以前(と言っても2025年の6月の樫本大進)、ヴェートーヴェンのクロイツェル・ソナタを聞いた時に、トルストイがそれを踏まえて小説を書いていると知って、次にもしクロイツェルを聞くことがあったら、読もうと思っていたところ、案外早くその機会が訪れそうなので、読みました。
収録されている「イワン・イリイチの死」も面白かった、し死への向き合いシミュレーションとして、真に迫るものがあって、トルストイすごい…と概ねなっていた。何も背景なく本作を手に取ったら、むしろ「イワン・イリイチの死」の方が面白かった&好きだったかも
「クロイツェル・ソナタ」
…そもそもわれわれ男性だけが知らないこと、それも知りたくないがゆえに知ろうとしないことで、女性がよく知っていることがあります。それはもっとも高尚な、いわゆる詩的な恋愛というものが、精神的な価値によってではなく、肉体の親近感によって左右されること、しかも髪型とかドレスの色や仕立てとかでどうとでもなるものだということなのです。…高尚な話題を巡る会話なぞはしょせんただのおしゃべりに過ぎず、男が必要としているのは肉体、および肉体をもっとも魅惑的な光で浮き立たせてくれるものすべてであると。(p.179-180)
…女性の権利が不在だというのは、なにも選挙権がないとか裁判官になれないとかいう意味ではありません。…そうではなくて、女性が性的な交渉において男性と平等ではないこと、つまり自分の欲望に従って男性と交わったり交わらなかったりする権利、男性から選ばれるのではなく、自分の欲望に従って男性を選ぶ権利を持っていないことが問題なのです。(p.189)
…でも少し時がたつと、またもや互いの憎しみが恋情によって、つまり性欲によって覆い隠されることになり、私はまたもや、この二度の喧嘩は過ちであり、取り返しがつくのだと思って自分を慰めたのでした。(p.209)
…でも、そうしたいろんなことをしてみせながら、女性に対する見方はまったく変わっていません。女性は相変わらず快楽の道具であり、女性の肉体は快楽の手段です。そして女性の側もそのことを承知しているのです。これはもう奴隷制と同じですね。(p.220)
…都会というのは、不幸な人間たちには暮らしやすいところです。都会の人間は、自分がとっくに死んでいる、朽ち果てているということに気付かぬまま、百年でも生きていられますからね。自分のことを反省する暇がないくらい、いつも忙しいわけですよ。(p.244)
Posted by ブクログ
『イワン・イリイチの死』が特に好きだった。
私もとある病気で、この苦しみから逃れられるくらいなら死んだっていいって思うくらいのお腹の痛みに苦しんだことがあるので、イワン・イリイチの苦しみの描写はとても共感できた。
病気になると、周りは最初は心配してくれていても、そのうちこの嫁のように疎ましく思ったり病気になったことや苦しんでいることが他人への当て付けなんじゃないかと思われたりすることは本当にあるし、病気のせいで周りを暗い気持ちに引きずり込んでしまうこともよくあることだと思う。
自分の人生は間違いだらけだったんじゃないか、こんな時に甘えることができるのは使用人だけなのかとか、なぜ自分だけがこんなに苦しまなければいけないのかとか…読んでいてすごく苦しかった。
解説にもあるけど、恐れ→拒絶→怒り→戦い→絶望→鬱→受け入れという段階を踏むのも共感できた。
最後に死を目前にして、「なんと歓ばしいことか!」「死は終わった」「もはや死はない」という場面があるけど、本当にそうだと思う。
恐ろしいのは死自体ではなくてその瞬間に辿りつくまでの痛み苦しみを乗り越えるところだと私は思っているので、やっと全てにケリがつくと悟った段階でもうそれは死ではなくて救いや安堵だったのではないかなと思う。
『かつて光があり、今は闇がある』という部分も好き。
『クロイツェル・ソナタ』に関しては、一言で言うとなんだこの男……って話。
汽車の中でたまたま相席になった男が、いや実は自分は妻を殺してましてね……と話し出す、というとサスペンスのようだけど、実際は性愛についてみたいな部分が多くてちょっとうんざりした。
性欲に支配されすぎたおじさんにしかみえなかった。性欲がすべての中心すぎる。
ここまで人間て性欲だけで動いてるの!?って絶望しそうになるほど性欲のことばっか考えてる。
これは禁欲の大事さを訴えたかったのかな……?
女を人間とも思わないような思想をずっと聞かされるのでだいぶしんどいけど、やっぱり小説としてはうまいのかなと思う。
嫌だななんだよこのおじさん……と思いながら一気に読めた。
読後クロイツェル・ソナタを聴いてみた。
主人公が言わんとしてることはなんとなくわかった。
Posted by ブクログ
イワン・イリイチの死について
判事のイワン・イリイチは、職務として自分に関係する人物には丁寧で慇懃に接する一方、職務上の関係がなくなると同時に、他のあらゆる関係を絶っていた。すなわち、職務上のことをきっぱりと切り離して自分の実人生と混同しない性格であった。その性格ゆえ、家族との関係に優先して、社交的であることを大切にし、体裁を保つことを考えていた。
ある時、わき腹が苦しく、正体不明の病気になった彼は、その性格から同僚には強がり、家族からは相手にされず、孤独感と死との恐怖に怯える日々を過ごしていた。酷く衰弱していた彼の慰めとなったのは、嘘を決してつかない性格で、イワンが虚栄心を張らずに心を許せる台所番のゲラーシムだけとなった。
痛みに苦しむイワンは、死の直前、ひとつの光(自分にとっては、死の恐怖が消えたこと、家族にとっては、自分が死ぬことでつらい目から解放されること?)を見ながら息をひきとるのであった。
人間にとって普遍的な死について、実在の裁判官の死をきっかけに構想した、後期トルストイの代表的な中編小説である。
裁判という形式を重んじる舞台で強者としての権力を行使していた彼が、弱者になった途端、医者(強者)のいつも変わらない形式ばった自己満足のような診断に憤りを感じるという皮肉が描かれている。また、共同体に属する社会的個人として、将来を約束された有望なイワンが、孤独でもう戻ることのできない死という絶望に苦しむという対比が見事に描かれており、そういう点で、主人公はこのような性格・境遇でなければならなかったといえよう。
また、うわべの嘘が憎いこと(116頁)、死ぬ理由を知りたいと願うこと(127頁)は、社会的弱者となったイワンが判事という論理的思考が要求される職務に矜持を持って取り組んで来た彼の性格ゆえに思った本心なのであろう。
全体を通じて、①「人間の死」について、②「社会的強者と弱者の関係」について見事に描いている作品であると考えられる。
Posted by ブクログ
「イワン・イリイチの死」では、
重篤な病に倒れたイワン・イリイチが
自らの「死」を確信してから鬼籍に入るまでの様々な葛藤が描かれる。
病に冒されるまで、
イワン・イリイチの人生は法に則り、
そつなく順調に歩まれてきたものだった。
しかし、「死」は自身も周囲も呑みこみ、
あらゆる状況を一変させる。
恐怖、孤独、嘘、軋み、無力、神の不在、生への渇望――。
本作は、自身の死を前にしたトルストイが、
その恐怖を描き出したものだという。
確かな生を送る者には、
死の定めを背負った人間の苦悩を窺い知ることはできない。
死にゆく者と同期することの不可能性。
それを強く認識しながら遡行的に彼らと接すること。
そこにこそ、「虚偽性」からの逸脱が生じうるのかもしれない。
トルストイからの教訓に学び、
多くの死に対して誠実な目を向けたい。