あらすじ
1953年、戦後の娼街に流れた、「町が焼かれる」という不穏な予言。女たちが、互いの痛みを知りながらもそれぞれの方法で「からだ」を使い、編み上げる祈りとは。いま注目の書き手による渾身の初小説!
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Posted by ブクログ
土門蘭さんの初小説。新刊ですが、2019年の京都文鳥社(2017年に土門さんと編集者の2人で立ち上げ、2025年に廃業)出版の改訂版とのこと。
『死ぬまで生きる日記』(2023刊)では、25年間希死念慮を抱き続けた土門さんの、カウンセラーとの2年間の対話記録に引き込まれました。執筆順はこちらが先だと勝手に思い込んでいました…。
本作は、朝鮮人と排斥、娼妓で身を立てる事、暴力等を背景に「女性の生きにくさ」が、淡々とかつ濃密に描かれ、その文才に驚き圧倒されました。
土門さんは韓国人母子家庭だったそうで、作中女性に自分を重ね、女性の内面が生々しく深く描くことは、辛い仕事だったかもしれません。
「朝鮮人によって町が焼かれる」との不穏な噂は、女性たちの声を代弁する著者の内なる声だったのでしょうか? 読み終わってみれば、前述の執筆順に納得し、土門さん自身が生きにくさを抱えて過ごして来たことに想いを馳せ、ますます切なく感じました。
本書の舞台は広島県呉市朝日町。終戦までは「朝日遊郭」がありました。坂が多く山と海に挟まれ、夜になると山の上から船の赤い灯が海に浮かぶような情景が、心を癒すように描かれます。
時は、朝鮮戦争休戦の1953年7月の1か月間。娼街を生きる、年代も出自もばらばらな5人の女性たちが、弱くもたくましくそれぞれの方法で生き延びようとする描写が連作の形で続きます。
戦争を直接描かず、戦争に呑み込まれた元遊郭の町に暮らす女性の生き方に焦点を当て、虐げられた者から観た世界を透徹した目で描きます。そう生きざるを得なかった姿は、哀しくもあり崇高です。
現代社会にも変わらず潜んでいる諸問題を浮き彫りにし、読み手に慟哭を喰らわせるほどの強烈な一冊でした。
Posted by ブクログ
酷暑の新作ミステリー!?第7弾!
プロローグ
この時期に読むべき題材がある
そう、決して忘れてはならない“あの”歴史
そして、本作はとんでもない作品である
熱い、兎に角、熱い!
この燃えたぎる血潮を誰かに伝播したい
そう思った!
本章
『戦争と五人の女』★Super8!!!
隠れた名作とは正に本作のことだ
実はこの本、2019年に京都文鳥社という
作家、土門蘭と編集者の2人で立ち上げた自費出版に近い出版社で刊行されたものである
その京都文鳥社の廃業にともない河出書房新社が版権を買い取り、本年度に改めて刊行された準新作がこの『戦争と五人の女』なのである
正に、奇跡の復活と再出版である
いずれ、オリジナルの京都文鳥社版も手に入れたい
(装幀が素晴らし過ぎる!!!)
内容、あらすじはいつものように書きたくないのだが……
戦後の日本を舞台に、主に朝鮮をルーツとする五人の女が主人公だ
彼女たちは、体を売ることを生業としているのだが、そこには是非はない
ただ、生きるために世の中(男)が欲するものを提供するのだ
勿論、女たちの生活や背景にはただならぬ、壮絶な過去と現在があり、人生がある
その各人生になんともやるせなさい性を感じるのだ
生と性、生と死、欲望と虚無、希望と絶望とが入り交じる物語に寄り添うことも拒絶することも難しい何かが潜んでいる
泣きたい、怒りたいという負の欲望だけが我々に降り注ぐ
只々、日常を切り取っているだけなのだが
この時期の、この時期による、この時期のための
作品
完璧と云いたい!
エピローグ
これは、戦争小説の新たなる切り口である
ミステリー要素もあり、それはそれで本作に深みを与えているのだが、それが主ではない
最終章を読み終えると、序章に深みが増してくる
深く、深い悲しみがジワッと胸に迫る
なんて普通で、なんて深く切ない作品なんだ!
最後にそう思った!!!
完
※今日という日に本作を読み終えたことに感謝したい_(_^_)_8v
Posted by ブクログ
すごい作品としか言いようがない、圧倒され、この世界に呑み込まれた読書体験でした。
1953年の広島県呉市が舞台で、終わらない戦争の中で、女として生きることの過酷さを描いた物語です。
特に印象的なのは、『世津』という女性の章です。世津はからだを売って生活をしていますが、授かりやすい体質で、7人目の子どもを宿しています。世津は、男どもがつくったばかみたいなこの世界で、女に生まれたこのからだを目一杯に使い、たくさんの子どもを産み、残していく。それが、このばかみたいな世界に対する復讐なのだと。
ここに登場する女性たちは、終わらない戦争に自分たちの人生を奪われ、色々なものを諦めているけれど、根底には怒りがあることが文章から溢れています。
単純にこの境遇がかわいそうだとか、過酷だとかだけじゃなく、女性の強さと弱さがとても美しく描かれていて、切ないのに励まされるような、なんとも言えない気持ちになりました。
この作品は何度も読み返したくなる。出会えて本当に良かった作品です!
Posted by ブクログ
これはもう本当にすごい。今年一の衝撃作です。初小説だとは思えない筆力です。『死ぬまで生きる日記』や『ほんとうの事を書く練習』が話題で、エッセイストでありインタビュアーとしてもご活躍の土門蘭さん。これは小説ではあるものの、リアリティと迫力が凄まじい。
時代は戦前戦後から朝鮮戦争休戦前の数年間を描く。広島県呉市がモデル。体を売って生きる5人の女の話。戦争という母体の中で描かれる、母と娘。女と男。生と死。
5人の女がそれぞれの視点で描かれ、この時代と彼女たちの置かれた環境が立体的に浮かび上がる。私は普段、性描写は多いものは苦手なタイプなんですが、これはそんなことは気になりません。
そこには、それで生きていくしか無い女の生活があります。圧倒的な暴力の中にある、小さなそれぞれの暴力。痛くて苦しく切なくて虚しい。
ですが、目を背けて生きるわけにはいかない、そんな気がします。これはまた読み直すと思います。
Posted by ブクログ
もう衝撃的な作品を読んでしまいました。時は朝鮮戦争が休戦する1953年7月10代から50代までの五人の女性が主人公、日本人であったり韓国人であったりどちらでもない人種、娼婦を生業として女衒での出来事が衝撃極まりませんでした。性暴力や差別や身体障害にまつわる描写など一筋縄ではいかない文章表現、あぁこんなにもすごい小説を読んでしまったんだなぁと思いました。最後まで読む手が止まらずすご〜く考えさせられました。こんなにもすごい衝撃作をあなたもぜひ読んで深く考えて見て下さい。
Posted by ブクログ
8さんの熱いレビューを忘れられず、書店に並んでいるのを見た時にこれだっ!!と手に取りました。
土門蘭さん、初小説なのだそうです。
出だしがね、
『夜の空は、夜の海のようだ。
女は、部屋の扉の前で空を見上げながらそう思った。』
もう、8さんやんっ(*´艸`*)
熱い季節になると、何冊かは戦争に絡むものを読みたいなと思いますが、この本は私が想像していた域をだいぶ上の方から攻めてきましたよ( ̄▽ ̄;)
想像とは全く別のお話でした。
朝鮮戦争休戦直前の1953年7月、広島県呉市の娼街を舞台に、過酷な現実を生きる5人の女性たちを、短編で繋ぎ描いています。
日本や韓国などルーツの異なる五人の女性たち、出自も年齢も異なる女性たちが「7月31日、町が焼かれる」という不穏な噂のもと、それぞれの過酷な生を生きる小説。
と書いてしまうと、ふーん( ̄▽ ̄)
という感じになってしまいますが、この本には、猛烈に引き込まれる何かがあります。
私の苦手な連作短編方式。
しかも私は性的描写がある本が本当に嫌いで、気持ち悪くなってしまうことがあるのですが、この本も最初はそれが受け入れられず、先に進めるか不安でしたが、読み進めると全く気にならなくなってきました。
文字の持つ力が強いのか!?はたまた紡ぎ出す物語の女性の強さなのか?目が離せなくなってしまいます。
連作短編なので、それぞれの女性の視点が変わるだけで、少しずつ真実が見えてくるミステリ要素も備えた作品。
一気読みしてしまいました。
戦争のドンパチとは全く違いますが、そういう時代を生き抜いた女性たちのお話です*( ᵕ̤ᴗᵕ̤ )*
Posted by ブクログ
続きが気になって気になって、仕事中にも読み進めてしまった
女の怖さと醜さと美しさが戦争の中で生まれては死ぬ
これが土門さんの初の小説だとは驚いた
Posted by ブクログ
「ほんとうのことを書く練習」で、知った作家さん。
五人の女性視点から語られる性や戦争にまつわる短編集。
ひたすらに逞しさと儚さ、そして猛烈な美しさを私は感じた。
そして、ああ生きているんだなと
激しさに似た生命力を彼女たちから感じた。
とにかく美しい1冊。
Posted by ブクログ
生まれたときから戦争が「ある」という世界は、どんなふうなんだろうか。
明日を夢見ることができないと、人は「欠けて」「壊れて」いくのだろうか。
男にとっての戦争と、女にとっての戦争。
終わったらどう生きたら良いかわからなくなるのは、なんとなく理解ができる。今まで当たり前だった世界が転換し、置いてけぼりになる。男は死んでしまったり、頭がおかしくなる。女はそのままで、置いてけぼりになる。置いてけぼりにされた世界で生きられないなら、どうしたら良い?
「善い」とは、どういうことなのか。それを心の底から理解できずに大人になってしまった、戦争の中で生まれた人々の哀しさ。物語の中にずっと佇むように在る「聖書」だが、誰もそれを読むことはできない。それでもそこから立ち上る「光」は、五人の女を照らしている。と、読みたがっている自分に嫌気がさす。
帯や感想に「崇高」「美しい」という言葉が並ぶが、そこには違和感を感じる。「遊郭」に対しての何処か浮世離れした儚い美しさのようなイメージ、あれはなんなのだろうか。呉の色街の風景描写、簡潔な言葉選びの巧さは確かに「美しい」部分もあるが、ただただやはり、哀しい。美しく映るとしたらそれは、安全なこちら側から眺めているからなんだろう。
2019年に書かれたものということもあるんだろう。7年前と今と、私個人レベルでも考え方の変化があるのだから。
人種、戦争、性差。
その当時、圧倒的に弱い側から見た、哀しく寂しい物語だった。
Posted by ブクログ
自分に欠けている何かを埋めるのでなく、他の誰かも何かを欠いていることに束の間の安堵を得ているのか。誰しも孤独で、それを傍観する者もいる。視点の変化で女たちの色んな貌が立ちあがるようだった。奪われ殖やすおぞましい輪廻を断つ光はどこか。