あらすじ
書楼弔堂電子分冊版、第二十巻。『書楼弔堂 霜夜』収録の「複製」をシングルカット。
古今東西の書物が集う墓場にて。
明治の終わり、消えゆくものたちの声が織りなす不滅の物語。
花も盛りの明治40年――高遠彬の紹介で、ひとりの男が書舗「弔堂」を訪れていた。
甲野昇。この名前に憶えがあるものはあるまい。故郷で居場所をなくし、なくしたまま逃げるように東京に出て、印刷造本改良会という会社で漫然と字を書いている。そんな青年である。
出版をめぐる事情は、この数十年で劇的に変わった。鉄道の発展により車内で読書が可能になり、黙読の習慣が生まれた。黙読の定着は読書の愉悦を深くし、読書人口を増やすことに貢献することとなる。本は商材となり、さらに読みやすくどんな文章にもなれる文字を必要とした。どのようにも活きられる文字――活字の誕生である。
そんな活字の種字を作らんと生きる、取り立てて個性もない名もなき男の物語。
夏目漱石、徳富蘇峰、金田一京助、牧野富太郎、そして過去シリーズの主人公も行きかうファン歓喜の最終巻。
残念ですがご所望のご本をお売りすることはできません――。
※本電子書籍は『書楼弔堂 霜夜』の電子分冊になります。
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Posted by ブクログ
目次
・活字(夏目漱石)
・複製(岡倉天心)
・蒐集(田中稲城)
・永世(牧野富太郎)
・黎明(金田一京助)
・誕生(甲野賢三の息子甲野昇)
今回は一冊の本を作るための活字から、商品としての本を販売するための流通にまで話が広がり、そして「本のそむりえ」たる弔堂が店を閉めるまで、の話。
活字ができたことにより、本は一気に大量生産が可能なものになった。
複製と模倣の違いを踏まえたうえで、複製(印刷技術のない頃は筆写)が昔の文献を今に伝えてきたのだった。
そして紙。
手漉きの和紙から大量生産が可能な洋紙への移行。
しかし紙とても永遠に残るものではないので、やはりここでも複写して残しておくことが大事という。(余談だが、和紙の修復については国立公文書館のロビーでビデオ上映している)
明治という時代を舞台にしながら、これは確かに現代の読者に向けての本であった。
価格が高い本がいい本というわけではなく、短時間で読むことがよい読書というわけでもない。
読書というのは、コスパやタイパの範疇外のものなのだ。
同じ本を読んでも受け取るものはそれぞれの人によって違い、同じ人が読んでもその時々で感想は変わってくるだろう。
世の中は常に変動していて、本の中身は変わらない。
だから人は本を読んで、己の現在地を確認するのだろう。
”技術は必要だから改良されるもの。必要は改良に先んじてあるべきもの。そこをはき違えるなら、その文化は滅ぶでしょう。”
本屋の大敵は戦争である、と。
武器の進歩を人間が追いかけるようになっては本末転倒だ、と。
”真実より村の判断が重視されるものなのだな。真実を知る者も口を拭うのだ。拭うだけでなく口裏を合わせ始める。知っているのに知らぬふりをする。”
SNSがない時代から、この国はそうだった。
Posted by ブクログ
書楼弔堂シリーズ最終巻。相変わらず京極御大は面白いなー。
主人公が「印刷造本改良会」の一員であり、本という文化の近代化(大衆化)に一躍買った存在という部分は特に気をつけて読みたい。
本が大衆化される以上、生産のためにある種の均一化が必要になる。まぁ主人公が悩んでいたフォントがその1つなんだけど、その均一化と浮世絵がキーになっているのが構成として美しいね。
本も浮世絵も、別にアナタのために生まれたワケではない。
それらの存在から作者が本当に意図したことを完全に受け取ることは不可能だし、その必要もない。本も浮世絵も変わらずそこに在り続けるし、アナタがそこから何かを受け取ることこそが大事なのだな。
そういった人の思いを見出そうとし、自分の人生に奥行きを出すことをこそ、読書の本懐と京極御大は語りたかったと僕は受け取ったかな。
真実はわからないけれど、それもまた本の中に記されている…かもしれない。
Posted by ブクログ
フォントをつくる話はとても興味深かった。
「読みやすくどんな文章にもなれる文字」「どのようにも活きられる文字」
それは語り手とリンクしていて、
だから、最後に弔堂が渡した「一冊」がとてもよかった。
今までの語り手のその後がわかったのもよかったな。特に高遠さん…ちゃんと働いてる…