あらすじ
ノーベル文学賞受賞作家が二十代後半に発表した短篇小説集
解説:桜庭一樹
ノーベル文学賞作家ハン・ガンの初期から近年に至るまで、未邦訳の小説を斎藤真理子個人訳で贈る《ハン・ガン コレクション》第1巻。
『菜食主義者』の前身である表題作をはじめ、変化していく社会の中で個人が抱える闇と傷を凝視した、生命力みなぎる初期の短篇8篇。
「私の女の実」:高層マンションの13階に妻と暮らす夫は、妻の体に痣があることに気づく。結婚後4年に及ぶ生活の中で妻が心を削られてきたからなのだが、夫はそのことに気づかず、妻はしだいに言葉を失っていった。ある日、ベランダに出ていた妻の体の一部が植物になっているのを見つけた夫は、大きな植木鉢を買ってきて妻を植えるが…
「日暮れ時に犬たちはどんな気持ちだろう」:貧困と父親の暴力に耐えかねて母親は出て行き、酒飲みの父と暮らすことになった少女テリョン。学校に行くこともできない少女は空腹を抱えつつ、母との思い出を拠り所に、父や周囲のことにじっと目を凝らす。
「赤ちゃん仏」:人気のニュースキャスターで完璧主義者の夫と暮らすイラストレーターの「私」は、普段から化粧もしない地味な女性。だが、自分だけが知る夫の秘密がある。彼の体には子供の頃に負ったやけどの跡が全身にひろがっている…
「ある日彼は」:体一つで上京した彼は、新聞・雑誌社に本を配達する仕事をしている。ソウルの埃と煤煙がひどいため、彼は配達中に何度も顔を洗う。冬のある日、ミンファと出会ったのも顔を洗った直後だった。彼から本を受け取るとき、ミンファは悲鳴をあげた。彼の頬が裂けて血が出ていたのだ。再度配達に行った際、ミンファに「横顔、すてきですね」と言われた彼は彼女をデートに誘う…
【目次】
日本の読者の皆さまへ ハン・ガン
私の女の実
日暮れ時に犬たちはどんな気持ちだろう
赤ちゃん仏
ある日彼は
赤い花の中で
九つの物語
白い花
線路を流れる川
あとがき ハン・ガン
解説 声なき人の代わりに 桜庭一樹
訳者あとがき 斎藤真理子
感情タグBEST3
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さみしさが、読むほどに募る。
吐き出すことのできない、行き場のないさみしさ。
いっそあなたには、鳥になりたいと、遠くへ飛んでゆきたいと願ってくれと思う。
だがあなたは立ち去ることを選ばずに、静かに閉じてゆく。
その眼差しは自らの内へ、選んだことと選べなかったことの境目へと向けられる。
残されるのは沈黙だけだ。
ままならぬ、と独りごちる。
母親との関係、夫との関係、冷たい都市に満ちる閉塞感だけではない。
自分自身の心が、自分にとってままならない。
それでも、今ここにあるのは閉じ切った哀しみではない。
彼女たちの頑なさの内側に秘められたしなやかさ、自らを見つめる眼差しの確かさは、かりそめの地に根を下ろしながらも遠い光へ向かって枝葉を伸ばす若木なのだ。
暗闇と光へーその両方に向かって、身体を引き裂くようにして伸びてゆく。
本書は、遠く離れた地でそれぞれの孤独に生きるものにとって、密やかに、だが確かにつながっている、同じ時代を生きていると感じさせてくれる。
僕らは孤独な木ではない。
たとえ、言葉にする術を持たずとも、ささやかな葉ずれはきっと、あなたに、僕に届く。
ーーー
“木々が見ている方向はいつも、陽のあたる方だ。運動場のあの木は明るい場所で育ったおかげで円く堂々と枝を伸ばしたが、日陰に立つ木々の枝は例外なく切実に曲がっている。ある木は光の中で生まれ、ある木は日陰で生まれるのか。
だがいずれにしても、その葉は等しく青く輝く。
その葉は日差しに向かってまっすぐに伸びていく。“
ー「赤い花の中で」より
Posted by ブクログ
ハン・ガンの作品には暴力や喪失や孤独が描かれている。人が目を背けたくなることや忘れたいことを突き付けてくる。一方でそれが癒しや励ましになる。
それは桜庭一樹さんの帯文−傘をさしていないハン・ガンは今日もまた誰かの傍で共に雨に濡れている−に尽きると思う。
血や痣や人間の生理的な描写も鮮やかに描きながら、時に夢のような抽象的なイメージを詩のように抒情的に描き出していく文体は美しく素晴らしい。
Posted by ブクログ
ハン・ガンさんの作品は、
息をするように静かで物悲しい。
問題を抱えていても何も解決しないまま生き続ける、そんな人たちの人生が描かれている。
斎藤真理子さんの解説も良い。
短編ごとに解説が書かれていて、解説を踏まえてもう一度読み返すことで、物語が違った見え方になる。
【赤い花の中で】という作品では主人公の少女が「彼」という一人称で語られる。読んでいて違和感があったけど、解説で「朝鮮語は日本語に比べて男女の役割語が薄く、また評論や報道記事などでは女性に「彼」を用いることが珍しくない」と書かれていて、驚いた。小説ではあまり用いられないらしいが、あえて「彼」を使うことで出家をする主人公の強さが表現されていると思った。
Posted by ブクログ
私は今ハン・ガンを読んでいる。そう実感できる作家性は30年前から健在。
現在の作品にも通底する過酷な運命を静めるまなざし。菜食主義者につながる表題作は特に印象的。
Posted by ブクログ
ハン・ガン・コレクション
私の女の実
著者:ハン・ガン
訳者:斎藤真理子
発行:2026年6月15日
白水社
初出:
「私の女の実」 創造と批評(1997春号)
「日暮れどきに犬たちはどんな気持ちだろう」 創造と批評(1999年夏号)
「赤ちゃん仏」 文学と社会(1999年夏号) 第25階韓国小説文学賞大賞受賞
「ある日彼は」 世界の文学(1998年夏号)
「赤い花の中で」 作家世界(2000年春号)
「九つの物語」 文学トンネ(1999年冬号)
「白い花」 ハイテル文学館(1996年夏、インターネット)
「線路を流れる川」1996年春号
著者がノーベル文学賞に選ばれたのは2024年。本書はそれから四半世紀以上前に書かれた初期の短編や中編を集めたもの。今年出たばかりだが、第二弾も予定されている。若い頃から難解(というよりいろんな解釈ができるよう)な小説を書いていたんだなあと思ったが、それ以上に、やっぱりこの人は詩人なんだと感じる。どうやら、最初に詩人で新人賞を取り、次に小説で取って文壇デビューを果たしているようである。
難解ではあっても、なぜか読んで心地よい。村上春樹の短編と違って。どうしてなんだろう?詩的だからだろうか?いや、そうじゃなくて、暗い過去やPTSD的なものを抱えながらも、生きるのに前向きだからじゃないだろうか。彼女の作品における暗い過去とは、韓国政府が行ってきた、正確にいうと、独裁時代の韓国政権が行ってきたことに対する憤り、傷つきであるが、そのバックにあったアメリカや日本の犯罪的行為に対して合わせて抗議するような作品とは感じられない特徴がある。
韓国の独裁政権や、民主化以降にあってもリベラル政権は、社会の不満を過去の日本の犯罪的行為と結びつけ、政府に対する不満を逸らしつつ政権を維持してきた部分があった。しかし、ハン・ガン作品にはそれがない。日本びいきなのではなく、それに誤魔化されてはいけない、という主張が感じられるのである。あくまで韓国政権が行ってきた国民に対する犯罪を率直に見つめなければならないという姿勢なのである。こんなに初期の作品からそうだったのである。
本の表題作にもなっている『私の女の実』は、女性がある日ベランダで植物になっているという衝撃的な展開。
新人賞に輝いていた『赤ちゃん仏』は、恐らくもっとも評価が高い作品なのだろう。
ただ、今回読んでいて一番面白かったのは『九つの物語』という短編だった。9本の中には僅か5行の物語もあるが、どれも素晴らしい。安藤冬衛もびっくりといったところかもしれない。
【私の女の実】
(本文9-39P)
夫:31歳、視点上の主人公
妻:28歳、4年一緒に暮らしてきた、
春の日、妻に言われて体を見ると、背中、腰、腹に痣がある。何処かでぶつけた?転んだ?妻に聞くが・・・ある夏の日、その痣が大きくなっている。医者へ行け!と妻に言う。仕事から帰宅し、どうだったかと聞くと、なにもなかったと妻。
6泊7日の海外出張を控えた日曜日、肌のほぼ全体に青い痣ができ、痣のない白いところの方が斑点のように見える。総合病院へ行け!
戻ってくると、食べ物は腐り、洗濯物は途中で臭くなっている。妻はどこだ?
ベランダにいて、裸。手摺りに両手をのばし、たらいにつかっている。髪も皮膚も緑色。しかし、つやつやと甦っている。要求されて水をかける。そう、妻は植物になってしましった。
妻を紹介されたのは、彼女が25歳の時だった。上渓洞(さんぐどん)の団地(マンション)に住んで3年?今のマンションを探し出した時、妻は嫌だといった。人口70万もいるところなんて嫌だという。それまで妻は、山の斜面を粗末な家がびっしり産める地域で暮らし、寒さに慣れていたため、密閉されたマンションのセントラルヒーティングにもなじめなかった。引っ越して最初の年、頻繁に体を壊した。
彼女は小さな出版社に勤めていたが、辞めたのは結婚のためではない。アルバイトを掛け持ちし、お金をためて海外にいく計画だった。半年住み、次の場所でまた半年住み、というように。しかし、結婚し、そのお金はチョンセになった。
*チョンセ:韓国特有の不動産賃貸形式。入居時に多額の保証金(チョンセ金)を大家に預ける代わりに日々の家賃が発生せず、退去時には全額払い戻される。
彼女は、ベランダで植物を買うのが夢だと言った。野菜を育てて食べる。しかし、一度も実るまで生かしたことはなかった。2人とも、単純に水をやれば育つと思っていたのだった。だから、枯れていった。
彼女は母親に手紙を書いていた。これでもう書けなくなるだろうと。自分が植物になってから、彼は優しくなったとも。そして、母親と自分は海辺の村で暮らしていたが(母の出身地)、母親みたいになってしまうのがいやだから16歳で家出をしたことも読者に明かしている。1ヶ月さまよい歩き、釜山や大邱(てぐ)や江陵(かんぬん)の市街地で働いていた。市街地は輝いていた。しかし、いまは老け込んだ姿でそんな市街地を歩くのがつらい。故郷でも不幸、故郷でないところでも不幸。自分はどこへ行くべきだったのか。
植物になった彼女は、枯れた。そして、口から実が出てきた。いくつも出てきた。それを春に植えたら、妻はまた生えてくるのだろうか、と夫。
【日暮れどきに犬たちはどんな気持ちだろう】
(43-99P)
テリョン:少女、主人公、小学2年?
父親:トラックでキッチンカー的に食べ物を夫婦で売っていた
母親:出ていった
ジョンヒ:母親の消息を訪ねに行った一人、赤い髪のおばさん、母親の友達
「稲妻」:ナイトクラブの街頭宣伝
辺鄙な村に来て3日目、子供は1人で光を放つ海まで歩いてみようと決めて旅館を出た。父親は焼酎を飲んで寝ている。出て言った母親の口癖は「うんざり」だった。途中、つながれていない大きな犬たちに阻まれ、こわごわ戻った。父親はまだ寝ている。ソウルよりも南方。
トラックを売ったと父親。どうやってソウルに帰るの?
父親は、子供をつれて母親を探す。実家の果樹園、ジョンヒ・・・
母親は20歳の時に妊娠、花屋で働いていた。父親は27歳でレストランの厨房の下働き。1月ぐらいで喧嘩して辞めて、違うレストランへ。
父親と母親は、トラックで鯛焼やアイスクリームなど季節ごとに出すものを変えながら売り歩いて生活していた。子供も手伝い、宿題は助手席でやった。ソウルの半地下の住宅に住んでいた。
父親は酒癖があまりよくない。軍用ジャンパーを着て、腕には入れ墨。どこかPTSD的なものも匂わせる。母親は、ある日父さんが声を上げて泣いたから好きになったと言っていた。その母親が出て言った。父親に似ているといいつつ、子供に対しても「うんざり」だとの言葉を投げかけた。
弟のような存在と母親の友達が表現する若い男がなんらかの形でからんでいる。駆け落ちしたことを父親は疑っている。
最後に父親は毒入りピーナツサンドを食べさせて、2人で心中しようとするが、できなかった。
********
子供は串で鯛焼の型を持ち上げては、こんがり焼けた魚たちのひれの先をつかんで引っ張り出した。まだ焼けてなくて白っぽいのは元通りにふたを閉めておく。生まれてくるためには、あの熱い型の中でもっとがまんしなくてはならないのだ。隣の鯛の型と同じようにがまんしなければ、あそこから抜け出すことはできない。
巫病(ふびょう)とは、南西諸島のシャーマンであるユタが、ユタになる前にかかる病で、神によってユタになるよう導かれる病とされています。巫病になったからには、親ユタの元で修行する必要があり、修行してユタになる人もいれば、稀に苦しんだまま亡くなる人もいます。
【赤ちゃん仏】
(本文103-170)
チェ・ソンヒ:イラストレーター、出版社から仕事をもらっている、短大を出て出版社の美術部を辞めてフリーに、5歳の時に父を亡くす
イ・サンヒョプ:ニュースキャスター(元外信部記者)、ソンヒの夫、中学のときに大火事にあって首から下にやけど跡(赤い)
兄:
義姉:兄の妻
ヒョンソク:その子、就学直前
母親:観音菩薩像を3千枚描いている
「赤ちゃん仏(赤ちゃんを象った仏像)」を見る夢を2月に見たトピックが導入。東南アジアのどこかの国、洞窟を入っていくと、粘土でできた赤ちゃん仏があり、それを自分の手でこねたときに表れる顔を見に行くのだという。周囲が突然暗くなり。、最後は洞窟が途切れて砂漠となってまぶしい光が・・・赤ちゃん仏の夢は物語の中で3回見ることになるが、それが何を意味するのかは分かりにくい。でも、なんとなく感じられる。それが、ハン・ガン作品の魅力だと強く感じさせてくれる作品。
主人公の夫であるイ・サンヒョプは、放送局の社員で外信部記者系のニュースキャスター。7時のニュースから格上げ、9時のキャスターを担当するスター。色白肌で端正な顔、お洒落のセンスもいい。ただし、首から下は赤くやけどの跡が残る。だから、常に長袖、襟元もテレビでは開けない。その事実は、誰も知らない。妻のチェ・ソンヒは、自分と義母だけが知っていると思っている。
ソンヒは4年生大学に落ち、美術系の短大を出て出版社に勤めたが、辞めてフリーに。小さな出版社から仕事をもらっている。見た目もごく普通。世間では、どうしてあの2人が夫婦なの?という陰口も。
結婚3年。人に紹介されて出会ったが、ソンヒにしたらサンピョプはそれほど強く惹かれる相手でもなかった。サンヒョプは完璧主義者で、ときには独断的な性格。権威や枠にはめられることを嫌う自分の性格とは合わないことを最初から知っていたソンヒ。華やかすぎる彼の職業も好きではなかった。世間の注目を一身に集める男が私のような平凡な女に興味を持ったことへの驚きの方が大きな比重を占めていた。
ある時、突然、服を脱いで誰にも見せたことのなかった全身のやけど跡を彼女に見せた。それで結婚を決めてしまった。
ただし、日がたつにつれ彼女は彼を遠ざけるようになった。彼の傷跡が自分の体に触れることが苦痛だった。胸に触れる感触が嫌で、体を重ねるときは上着を脱ごうとしなかったし、寝床を避けていた。寝たふりして背を向けた。
2月、一人の女性から電話が入った。彼女は名乗ったが、知らない名前だった。そして、半年前か彼と心が通じ合っていると宣言した。ソンヒはしたいようにしたらいいと応える。果たして、彼女は彼のやけど跡のことを知っているのだろうか?きっと、まだ知らないはずだと考えた。
3月、出て行くことを決めた。引っ越しは4月。仕事を増やし、準備を進めた。今住んでいるところは、都心から離れた郊外。夫は都心好みだったから、引っ越しを試みていたが、大家がチョンセの返還をなかなかしてくれなかったのでずるずる住んでいた。ソンヒはのんびりしたこのまちが好きだったので、4月の引っ越しは気が重かった。
金曜日、休日を控えた夜、夫は帰ってこなかった。あの女性のところにいるのだろうと思っていたが、真夜中に帰ってきた。唇を噛んだあとがあり、顔に少し傷もある。かなり酔っていた。どうやら、彼女に初めて体を見せて、ふられたようだった。その女性は、夫が勤めている放送局の交響楽団に所属するバイオリニストで、音楽大学の大学院を卒業したばかり。父親は名門大学の経済学教授、母親は精神科医、弟は医大生。
ソンヒも夫も、決して裕福とは言えない家庭に育ち、しっかりした母親に育てられたという共通項があった。
バイオリニストの女性は、ソンヒのことを尊敬すると言ったらしい。
*********
信じられないことだったが、私はあの傷ゆえに彼を愛していると思っていたけれど、今はその傷ゆえに彼を嫌悪しているのだった。その傷跡が単なる薄皮一枚にすぎないことを私ははっきり知っていた。けれども、それを知っているという事実が私の心の薄皮一枚まではがしてくれることはなかったのだ。それは彼の過ちではなかった。罪があるとすればすべて、私のものだった。
画面越しに見る彼の顔はただ平穏だったが、耳の挿したイヤホンにはスタジオの喧噪が絶え間なく飛び込んできており、連日くり広げられる戦いのようなニュース報道を終えた後には疲労が押し寄せることも知った。全世界で起きる事件をつかんでは投げ返すばかりで、結局は手の中に何も残らない虚無感も理解した。
【ある日彼は】
(本文173-230P)
テクシ:主人公
ソ室長:30代、25歳から禿げている、愛妻家、娘2人
妻:美人、新婚初夜に初めてはげ頭を見る、夫に他人の前でかつらを取らせない、
パク:経理、20歳
チョン社長:40代前半、テクシの前の職場(出版社)ではチョン次長だった、
イ・ミンファ:小さな週刊誌の会社で入力、去年出会う、20代後半?
ノさん:ミンファが勤める会社の経理、ミンファが唯一親しい
ユン代理:企画部
出版社の新刊本を分類してテレビ局や新聞社などに配達し、紹介されたらそれをチェックして出版社に報告する会社。社員は3人。17時間労働。
テクシはその前は出版社の倉庫にいた。そこで荷が崩れてアルバイトが死ぬ事故が発生し、もうそんな職場にいたくないだろうと気をきかせてくれたのが、チョン次長で、件の会社をアイデア一つで設立し、彼を誘って雇ってくれた。彼が遺産として引き継いだ古民家に、無料で下宿まで用意してくれた。社長はボーナスや小遣いをくれるなど気遣いをしてくれた。
週刊誌を発行する小さな会社で、ミンファと出会う。2人は付き合うようになったが、テクシは自分が1.5坪の部屋に住んでいるため結婚できないことを自覚した。すると、ミンファは私の部屋で住もうと提案してくれ、半地下の部屋で暮らし始めた。やがて、喧嘩をするようになったが、抱き合うとまた元にもどった。少し手を挙げたこともあったが、それも収まった。
僕を愛してる?
ミンファは淡々とした口調で。
今のところは。
ミンファはそんな風にしか答えない。
無関心さは彼女の気質で、関係を維持させ、守るための努力を一切しなかった。
結局、永遠のものなんてないんだよね、そうでしょ?
テクシはすべてに対して単純というより、ほとんど盲目的なまでに誠実だった。少しのためらいもなく、彼は自分の前に置かれた日常生活をこなしていた。一方、ミンファには、まるでこれから千年くらい生きると約束された人みたいにゆったりと構えた面があった。そんなゆうぜんとして面が彼女の力強さでもあった。
彼女が会社のユン代理を連れ込んでいた。昼間に部屋にもどると、ユン代理がいる。彼女とよろしくやっている。ついに、彼は閉店セールでナイフを買ってそこに飛び込んだ。ユン代理は逃げ、彼女は裸でシャワーを浴びていた。下半身に切りつけた。そして、病院に連れて行った。傷跡は17箇所。
見舞いに来たノ(盧)さんは言った。ミンファは、自分のことを好きな人にはすぐに心を許してしまう、と。テクシは部屋を出て考試院の十号室で暮らし始めた。
*考試(公務員試験)の受験生用に作られた狭小な簡易宿泊所
【赤い花の中で】
(本文233-278P)
ソニ:「彼」、6歳、ユニのお「お姉ちゃん」?
ユニ:3歳、男の子、5歳で死亡
ちい兄さん:
上の兄さん:
母親:
主人公ソニが6歳、弟のユニが3歳、燃灯会(旧暦4月8日の釈迦誕生日)のお寺で話は始まる。ソニは女の子だが、何故か物語の地の文では「彼」と表現されている。理由は最後まで分からない。
*翻訳者の解説によると、朝鮮語は日本語に比べて男女の役割語が薄く、また評論や報道記事などでは女性に「彼」を用いることは珍しくないが、小説では例が少なかった、とのこと。
ソニの上には兄が2人。一番上は年も離れていて近寄りがたいが、2番目の兄はソニのことをよく叱りつけ、手も上げた。父親はいない。なお、2番目の兄はコミュニケーションがうまくとれないなど、なにか問題を抱えていることを匂わせる。
2人の兄が学校へ、母が仕事にいくと、ソニとユニは2人で過ごす。なにかとユニの面倒をみていたが、ユニが5歳の時、隣の家の解体現場で釘を踏みつけて熱が出て、死んでしまう。ソニがちゃんと面倒をみないからだと2番目の兄は激しく叱りつけた。
ソニは中学に上がっても、教師から殴られて鼻血。その時、初潮を迎えてダブル出血。尼僧になることを決めた。
修行が始まった。上の兄は大学時代に軍隊へ。除隊し、大学に復帰して銀行員になり、やがて同僚と結婚。下の兄は大学の受験勉強中。ソニも修行をつづけ、旅に出て修行もする生活を送る。
【九つの物語】
(本文281-294P)
『初恋』(本文3.5ページ)
ある夏、少年と少女。島に通って3日目、少女はなんとか自分で自転車に乗れるようになった。島からの帰り道、少年が運転する自転車の後ろにのる少女。舗装していない道に入ると、後ろからトラック。田んぼに落ちないようにぎりぎり隅に寄ると、トラックは追い抜いていった。その時だろうか、茨の棘が3筋、少女の足を傷つけた。出血をしていた。ごめん、本当にごめん、どうしよう、と少年。大丈夫、帰って薬をつければ大丈夫だよ、と少女。そうは言ったが、傷はひりひり、目には涙が滲んだ。
何日か後、少女は夏を過ごした海辺の村を去って自分の住む街へ。秋学期が終わるともっと大きな都市へ引っ越した。少年と再び会うことはなかった。
30歳になった冬のある夕方、彼女は足を洗っていてふと手を止める。傷はとっくに癒えて跡も残っていない。ただ、茨の鋭いとげが彼女の足を刺したとき、唇をかみしめていたあの日の日差しが、海と田んぼの畔と舗装していない道路の砂埃の上にあふれていた目が痛くなるほどの日差しが、彼女の冷たい足の甲の奥まで突き刺さる。
『風』(本文18行)
暗いうちに彼女は出発した。彼女はコートを脱ぎ、バッグからセーターを出してシャツの上に着て、コートを羽織った。その建物に間借りしている人たちはみんな眠っていた。外はもっと寒いだろうと思った。
その後、彼女を再び見た者はいなかった。
『青い山』(本文18行)
ときどき彼女は同じ夢を見た。低いスレート屋根の家が密集している山のふもとをさまよう夢。青い頂上を目指すが、雨雲に囲まれた、切り立つように高い頂上で、高くて険しいことはなんでもなかったが、どれほどさまよってもそこへたどり着けなかった。迷路のように絡み合った路地はすべて行き止まり。牛の群れを追っていく老人、汚れた服を着た少年たちが壁の間を流れるように歩いて行って消えた。
現実の中でもその山を見た。ソウルは山に囲まれている都市。あの巨大な山がソウルを睥睨していることがあった。
『月光』(本文5行)
眠りから覚めた女。月光が彼らの枕元を青く染めていた。男が寝返りを打つ。隣に女はおらずに空っぽ。女は夢の中でも男がさみしくないよう、手の甲に顔をそっと擦りつけた。
『肩の骨』(本文8行)
人体の中でいちばん精神的な場所は肩。寂しい人、緊張すると、怖がっていると、堂々としているときは・・・みんな肩に現れる。初めてあなたと並んで歩道を歩いていたとき、あなたのやせた肩と私のやせた肩がぶつかった瞬間、孤独な白い骨たちが、ちりん、と遠くの風鈴のような音を立てた瞬間。
『自由』(本文11行)
夜明け前の夢、星が輝き、道は広くなり、男がいない自由さを感じた。目が覚めると横に男。
『声』(本文13行)
人が死ぬとき、一番最後まで残る感覚は聴覚だと男は聞いた。あなたの声が巣kだと、鉛筆みたいで好きだとおとこが説明した。女は笑った。男の唯一の心配は、女の声が自分より先に地上から消えてしまうことだった。
『西の森』(本文21行)
森の近くを家を去る二人。初秋の朝、隣家の女性がなつめの実を彼女の両手に入れてくれた。顔は知っているけど挨拶したことはなかった。
どこへ行くんですか?
都会へ行くんです。
遠くですね。
それほど遠くないですよ。
二人は去り、秋は深まった。ある夕暮れ、二人はベランダに出た。西向きの窓の向こうに日が沈みかけ、遠くの高層ビルのガラス窓が輝いていた。車、通行人、サイレン。窓枠の横の棚から干からびたなつめの実を1個ずつ取り、口に入れた、ほんのり甘い汁を飲み込むとき、彼らは何も言わなかった。
『歳月』(本文2.5ページ)
彼女は彼と手をつないで歩いた。坂を登る間に世界は暗くなる。怖い。すっかり暗くなって何も見えなくなって、触ることもできなくなって、聞こえなくなったら、夢のように静かになったら、その真っ暗な場所で、怖がったり寂しがったりしないで、僕がいることを忘れないで。
ますます暗くなったね。これからも暗くなるね。私たちはこのまま歩き続ければいいのかな?じわじわと汗でぬれた手、彼の手を握りながら彼女は歩いた。
【白い花】
(本文297-320P)
主人公がずっと感じて生きてきた吐き気。食べものを前に抱いてきた嫌悪感。履き続けたい気分。赤い内臓をずるずる吐き出した後、できることなら靴下を裏返すように肛門までそっくり裏返してしまいたい衝動。
地方の国立大学の国文科を卒業し、初めてソウルに出てきてしばらく勤めた雑誌社では、白髪交じりの主幹が酒の席で「ニヒルだなあ、ニヒルだよ・・・でも本当のところ、そのニヒルさは純粋に健康のせいだよ!」と叫んだ。
その雑誌社をやめて放送局へ、編集プロダクションへ、仕事中毒になり働いたり、積み立て貯金をしたり、、、のたうちまわる吐き気と、慢性の胃痙攣のために打ち続けた注射。ただ執拗に日光を渇望していた。
済州島に2か月滞在(なにをすることもなく滞在)し、本土に戻るために乗った莞島(わんど)行きフェリーの中、白づくめの男を見かけた。若くても50代前半。1時間、横に立って話をしたり、酔っ払いが来たり、修学旅行帰りの高校生が来て話をしたり。全部で6人来た。
酔っ払いの中年男女、女が白い蝶を見たと言った。こんな海にいるわけがないと男。確かに見たといいながら、女が吐いた。ティッシュを取ってくると男は離れていった。白づくめの男はハンカチを出した。すると女は白づくめの男の服に吐いてしまった。詫びる女。女の髪には白いリボンが挿してあった。喪章の一種だった。
それが喪章だと聞いたのは、済州島の北部、細花(セファ)の村で過ごした時、借りた部屋の大家からだった。彼女は夫を4.3の時に亡くしていた。1948年4月3日、済州島民による武装蜂起の時、銃殺されていた。その現場も案内された。済州島では通常5日かけて葬儀を行うが、漁で出ていたりすると7日。段取りが決められないときは「生殯(センビン)ヌル」という墳墓のようなものをつくる。夫の日から8年目の4月、21歳でこの世を去った長男のためにそれをつくった。
吐いた女は、私なんか死んだほうがいいんだわ、と泣いていた。
高校生たちは、昨日、初めて酒を飲んだが酔わなかったとか言っている。
港についたフェリー。白づくめの男は40代には見えない。30代に思える。陸から2人の少女が駆け寄る。抱きしめる。続けてきた保護者の男性とも抱き合う。フェリーから人が吐き出される。
主人公は8歳のときに父親を亡くす。母親は白い木綿のリボンがついたピンを髪に挿していた。父親が白い蝶になり、母親の髪にとまっているような気分になった。フェリーから降り、吐き気はなく、日光が気持ちいい。
【線路を流れる川】
(本文323-370P)
主人公は少女時代(12歳)の春先、母親を亡くす。自殺。その後には父親と継母の口論が毎日。母親は日曜日に教会へ行っていたが、同行を許さなかった。一度だけ平日に許してくれた。母親は席について泣いていた。母親が死んだ後、少女は線路の先まで歩いた。教会があり、硝子にシジュウカラがぶつかって痙攣、死んだ。その後も1週間に1度ぐらい鳥が死んだ。鳥をポケットに入れて持って帰っていた。
大人になり、「あの人」に話しかけたり、あの人のことを語ったりする。あの人は、勤めを辞め、1ヶ月だけどこかへ行くと告げた。一緒に行かないかと誘ってくれたが、どうせ無理だろうという態度で形式的なものだった。2ヶ月しても帰ってこなかった。彼もまた、14歳で母親と故郷を出て半地下の家を転々とした人生だった。目標は二つ、ソウル市民になることと半地下を出ること。
主人公はキリスト教関係の本を出す出版社に最初に就職した。実務担当者は彼女1人で、残業や日曜出勤もよくある零細企業だった。そこで初めて目の病気になった。
Posted by ブクログ
詩人の言葉で綴られた短篇集は、その一篇一篇が「九つの物語」だけでなく、長めの詩のよう。
哀しみの通奏低音はあるものの、必ずしも哀しいわけではなく、色のない痛みみたいなものがある。
同じ経験など一つとしてないのに、読み終えて自分自身が身を削ぐような経験をしたように思う。
「誰がどうしてどうなった」という物語には収まらない展開は形自体も詩のよう。
比較的初期の中・短篇集ということで、「菜食主義者」を出すまでもなく、のちのハン・ガン作品の萌芽を感じられて、それも嬉しい。
最初のあいさつやあとがきに作者の謙虚で控えめな人柄がうかがわれて、親しみを感じるし、桜庭一樹の解説も斎藤真理子による訳者あとがきも読めてよかった。
Posted by ブクログ
95年から00年にかかれたというハンガンの短編集。
後の長編につながるのかな、と思わせるものもないではないけども、それぞれの短編単体で、悲鳴や痛みにに似た輝きを秘めている。
あのとき辛かったな、苦しかったな。
そんなことを思い出しながら読み終えた時、桜庭一樹のあとがきの一文がこころに残る。
“傘をさしていないハンガンは今日もまた誰かの傍らで共に雨に濡れている”
日本の雨も冷たいが、私達にはハンガンの本がある。
Posted by ブクログ
隣国ゆえ精神性が似ているのか、日本語訳が滑らかだからなのか、日本の小説を読んでいる錯覚におちいる瞬間があった。生きづらさは万国共通だなと思った。
Posted by ブクログ
桜庭一樹氏の解説が秀逸。なかでも社会学者 申栄福のことば。
「助けるというのは傘を差し掛けてあげることではなく、共に雨に打たれながら共に歩いてゆく共感と連帯の確認であると考えられます」
作者はこの作品を通して、厳しい状況で傷ついた人々に対しそこから脱出することを共に考える手を差し伸べているのか。
Posted by ブクログ
息をのむほどに美しく
どこかヒリヒリとした痛みが伴う
圧倒的な文学の世界に酔いしれました♡
ハンガンさん好きだわ〜♡
表題作をはじめ収録されているのは
生きることの息苦しさや
人間関係のなかで傷を抱えた人々の
静かな営みを描いた物語_
ハンガンさんの紡ぐ言葉は
とてもひんやりとしていて静謐…
登場人物たちの「孤独」や「生」の痛みが
リアルに胸に刺さりました!
ある日突然
植物になっていく妻を描いた世界観など
現実と幻想のあわいを漂うような
不思議で切ない余韻がたまらなく良かった〜!
生きることは
きっと傷を負うことと同義なのかも…
これからもハンガンさんの作品を
追いかけていきたいです♪