あらすじ
日本人にとって推し活はもはや一時の熱狂ではない。現代の推しは、私たちに「ハレの日」を与えてくれる一方で、「ケの日常」もまたともにあることを教えてくれる。それは、この社会に広く浸透した一つの文化なのだ。では、私たちはそんな推しと、どのように持続可能な関係性を築いていけるだろうか。「推し活」文化の源流から令和の最前線までをひもとき、ポスト消費社会における「推しの構造」を鮮やかに読み解く。
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Posted by ブクログ
うわーん、三宅香帆さんの語り口好きだ〜!
そもそも推し活文化は今に始まった話ではないということ、自分の身体では獲得し得ない成功体験を他人の身体に託すこと、託した通りになってもらえるように行動すること、等、今までぼんやりとしていたところが幾分明確になった。
推しもファンも、秘密を共有していないが故に相手の理想にはなれない。という事実は新発見だった。ファンの立場で「推しにいつ裏切られるか」という気持ちになることは理解できるが、それは裏を返せば推しの方から見ても同じで、「ファンが自分の理想とはちがう」ということが起こり得ているのだ、ということは、言われてみればその通りで、背負っている不安は同じなのだと元気づけられるようだった。
そして後半の、母性(=共同体に発展させやすい言葉を使う性質)の暴走こそが現代の課題であるという話には大きく頷けた。そこに抗う手段として、自分の言葉で喜びや痛みを語ることが出てきたことが何より嬉しい。これからも私は推し(推しと呼ぶのは好まない)と一対一で向き合って生きていきたい。
Posted by ブクログ
○近代日本から遡る「推し活」の文脈
甲子園や宝塚歌劇団から紐解く推し活の歴史は、当時の時代背景を知らない自分でも納得のいく内容となってました。
その中でも特に
「推し」=「夢を叶えるために頑張る子供」
「審査員」=「父」
「ファン」=「母」
という考え方は圧巻で、子供は父に認められるために励み、母は子供に母性愛を注ぐこともあれば、過度な介入は凶暴性を孕む。この構造はまさに推し活にそのまま当てはまるなと感じました!
○ファンダムが作り出す共同性の恐怖
好きなものを共有する仲間と話し合ったりするのはとても楽しい。
ただ、みんなで応援するぞ!という集団により形成された空気が個を失わせ、時にはそれが誰かを傷つけることもあるということ。
だからこそ、推し活を一対一で楽しむことの大切さを改めて再認識するとともに、
「自分の言葉を持つ」
ことの重要性が伝わる本でした!