あらすじ
長州藩の兵学師範をつとめ、松下村塾を主宰して維新の俊傑たちを育てた吉田松陰は、安政の大獄を断行する幕府から政道批判を咎められ死罪となった。その思想的影響は没後も衰えることはなく、三十年の短い生涯にかかわらず、公刊された評伝は膨大な数にのぼる。「革命家」「憂国忠君の士」「理想の教育者」など、時代の状況によって描かれ方が目まぐるしく変化したのはなぜか。維新に先駆けた思想家の人物像を再構築する試み。
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田中彰 「 吉田松陰 」
時代により変わってきた松陰像を整理しながら、最後は 松陰の「人間を平等に見る目線(一視同仁)」に着目して、普遍的な松陰像を試みている
戦争中の松陰像は 忠君愛国の象徴で偶像的。徳富蘇峰 の名著「吉田松陰」も 戦争中に「革命家 松陰」から 「改革の率先者 松陰」に改訂され、侵略戦争の正当化の役割を担った様子
戦後の松陰像は 失敗の中に松陰の人間性を見出している。敗戦の時代背景が関係しているのか。
名言「 秩序の中に進歩がなく、破壊の中に進歩が保障されている〜人は歴史を作る。そして、それ以上に 危機は人を作る」
著者の松陰像が一番爽やか
*人間を平等に見る目線(一視同仁)
*その目線は 松陰の実弟(障がいを持つ敏三郎)により 養われたのでは?
*福堂策(読書等により囚人を善人に転じさせ、獄を福堂に変える)
*罪は憎んで人は憎まず(罪は病と同じ〜病さえ治せば、真っ当な人間として蘇る)
Posted by ブクログ
吉田松陰について書かれている本は、相当数あるそうで、それは彼の人物像が時の政権に利用されたことにもよるのだそうだ。この本は、そのような本の松陰への評価を利用し、松陰を再評価しようとするなかなか面白い視点のものである。しかし、歴史上の人物の像とはそのようなものかもしれない。
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主観による評伝ではなく、明治・大正・戦前・戦後とさまざまな評価の変遷を伝えながら、いずれの時代も全否定されることのない松陰の魅力と、被差別民や障がいにも平等に向き合った先見性を明らかにした、松陰研究のレファレンス。
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吉田松陰像は時代よって異なる
→一方で強く批判されることはない
→対照的に井伊直弼は時代によっては批判の的
→革命家や教育者として捉えられやすい
身分や性別、障害を問わず一人の人として扱った
→師と生徒との関係であっても優越を乱用しない
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吉田松陰が戦時下において理想的国民像として昇華され、戦後新たに見直されてゆく流れを描いている。松陰の人物史をある程度把握している事が前提となっており、作中では軽くおさらいするのみ。